第10話 クラスメートを全員皆殺し



 次の日は、朝からずっと羽黒の様子をうかがっていた。


 いやまあ正直にいえば、ここ最近ずっと羽黒を見ていたので、結局いつもと変わらないのだけれど。


 昼休み、昼食の時間になると、部活をやっている奴らはそれぞれ部室に弁当をもっていってそこで食べる生徒も多いので、教室の中は人もまばらになる。


 残っているのは、俺や日和のような帰宅部の面々のみ。


 基本、リア充なやつらは部活をやってたり、やってなくともそれぞれのたまり場にいくので、昼休みに教室に残っているのは俺みたいなやつらばかりだ。


 おさげにメガネの羽黒楓はいつものように、ひとりぼっちで自分の席で弁当を食べている。


 大きめの弁当を食べ終えた羽黒楓は、文庫本を取り出し、うつむき加減でそれを読み始める。


 頃合いを見計らって、俺は羽黒の机へと向かった。



「よお、羽黒」



 話しかけられて、羽黒は一瞬身体をびくっとさせると、ちらりと俺を見て、すぐにまたうつむいた。



「それ、なに読んでるんだ?」


「……べつに……」


「ええと、文学的なやつ?」


「……」


「それとも、ラノベ? ラノベだったら俺、結構語れると思うんだけど」


「……」


「…………昔のやつ? 最近の?」


「……」


「BL?」


「…………」



 一応それにはふるふると首を横に振る。


 言葉はいっさい発しない。


 とりつくしまもないとはこのことだ。


 だけど、この前の経験からある程度予想していたので、根気強く話しかけることにする。



「笑えるやつ? 泣けるやつ?」


「…………すかっと、するやつ……」



 やっと、答えてくれた。



「おもしろい?」



 羽黒はかすかにうなずく。



「えっと……だれがかいたやつ?」


「…………キング」



 キングって、スティーブンキングか?


 いくつも映画化されてる超有名なホラー小説家だったと思う。その映画の吹き替えで、好きな声優が出演していたので覚えている。で、それが結構おもしろかったので、キング原作の映画はいくつか借りて見たことがある。



「ああ、スタンドバイミーとかグリーンマイルとかショーシャンクの空にとかな。有名だよな」


「……結構、月山君、詳しいね」



 お? 食いついてきた。


 正直、映画は見たけど、原作はよんだことがない。でも、ひとまずこの話題でいけそうだ。



「キングの、なに?」


「……キャリー」


「それは知らないなあ。どんな話なんだ?」


「いじめられてる女の子がね、……超能力でクラスメートを全員皆殺しにするの」


「………………」



 今度は俺が黙る番だった。


 え、なにそれ、そういう願望あるの、この子?


 こわっ。


 好きな作家の話になったからか、羽黒は少しだけ饒舌になって、



「死のロングウォークってのもおもしろかった。少年少女がいっぱい集められて徒歩レースするんだけど、一位以外は全員撃ち殺されるの」


「………………」



 えー。


 怖い。怖すぎる。


 なにこの子。


 思わず半歩後ろに下がってしまった。


 そんな俺の雰囲気に気づいたのか、羽黒は慌てたような口調で、



「いや、そうじゃなくて、ええとね、おもしろいんだよ、ほんとに」



 まあ、なにはともあれ、会話する態勢にはなってくれたようだった。



「ところでさ、羽黒。ほんと、たまたまなんだけどさ」


「……なに?」



 会話する気にはなってくれたようだけど、羽黒はいまだうつむいたままで視線をあげようともしなかった。


 おさげの髪に隠れて、どんな表情をしているのかすらよくわからない。


 そんな羽黒の目の前に、俺はスマホを差し出した。


 例の、優勝旗を持った羽黒の写真が移ったページを表示している。



「たまたま見つけたんだけど、これって羽黒だよな? すげえな、中学の時、全国優勝したんか?」



 それを見た瞬間、羽黒の小さな身体がぶるん、とふるえた。



「すげえなあ、羽黒、まじ柔道強いんだな。俺をあんなに簡単に投げ飛ばせるのも納得……」



 俺が言い終わる前に、羽黒は勢いよく顔をあげた。


 唇をきっと引き結び、いつもの大きな黒い瞳を、メガネごしにまっすぐ俺に向ける。


 こうして視線を合わせるのは久しぶりだったので、くそ、悔しいことにドキッとしてしまった。


 羽黒は、彼女にしてはとても低い声で、


「やめて……」といった。



「え? でも、これ、羽黒だろ?」


「違う、それは私じゃない……」


「いやだってほら、これ……羽黒って書いてあるし、どこからどうみてもおまえだろ、これ……」



 スマホの画面を羽黒の目の前にかざす。


 次の瞬間、



「やめてっていってるでしょ!」



 教室にいる時のダウナーバージョン羽黒からはまったく予想ができないほどの大声をはりあげ、同時に俺がもっているスマホを強く払いのけた。


 スマホは俺の手から離れ、一直線に教室の壁まですっとんでいき、ゴッ、という鈍い音をたてて壁に傷をつけ、そのまま床に落ちた。何度かバウンドし、ちょうどそこにいた日和の足下に転がる。


 それを拾い上げた日和の、



「ねえ、……液晶、割れちゃったよ~……?」



 という声が、呆然としている俺の耳に届く。


 あまりのことに、教室に残っていた生徒たちの視線が俺と羽黒に集まる。


 俺は、コツコツお年玉を貯めて買ったスマートフォンのことよりも、むしろ目の前にいる同級生の女の子の、突然の激昂に動揺してしまって、声もでない。


 羽黒は周りを見渡し、自分に視線を向けているクラスメートたちを見、次に日和が手に持っている割れたスマホの液晶を見、そして最後に俺の顔を見て、すぐに下へ目をそらす。


 なにかを言おうとしたのか、口を開き、すぅっと息をすいこんだが、目を泳がした末に結局言葉を発することはなく無言で立ち上がった。



「おい、羽黒……」


「…………」



 羽黒は、斜め下四十五度に視線を固定したまま、ずんずんと歩き、教室をでていってしまった。


 俺も日和もほかのクラスメートも、ポカーンとしてそれを見送ることしかできない。


 しばらくして、教室内がざわざわと騒がしくなる。



「なんだあれ?」


「あいつ、やっぱどっかおかしいよな」


「ちょっといかれてるよな」


「あの女、月山のスマホぶっこわしたんだぜ」


「ぼっちのくせに話しかけられたらきれるのかよ」



 おおむね羽黒の悪口でクラスが満たされる。


 日和が俺に液晶の割れたスマホを渡し、



「ねえ、なんだったの~?」



 と訊いた。


 俺は少し考え、俺は別に悪いことしてないよな? ふつうに話しかけただけだろ、あいつ俺のスマホ壊しやがって、ふざけた女だ、と言いかけた。


 だけど。


 なぜか。


 口からでてきた言葉は、自分でも思っていなかったものだった。



「いやいや、おもしろい動画あったから見せようと思ったんだけどさ、間違ってこないだおまえにもらった無修正エロ動画を見せちまってさ」



 日和は、俺の顔を覗き込むようにしていたが、



「なるほどね~」といった。



 うん、俺は知っている。


 日和ってやつは、めちゃくちゃ察しがいい奴なのだ。


 この二次元少年少女を心から愛するオタク女子は、少し逡巡したあとで、



「淳一、あの子にあのエロ漫画見せたの!? 同人の、ペンギンとエッチなことするやつ!」



 と大声で叫んだ。


 実際そんな漫画があって、まさに日和から見せられたことがある。


 ペンギンったってほんとのペンギンじゃなくて擬人化されたペンギン少女なんだけど、クラスの奴らはそういう二次元キャラについてはほとんど知らないわけで。


 とたんにクラス内が爆笑に包まれた。



「ぺ、ペンギンって!」


「うわー月山サイテー」


「いやわかってたよ、あいつ変態だもん」


「そんなん女に見せるのかよ、ちょっと引くわー」


「え、なになに、どんな漫画なのそれ?」


「ペンギンって上級者すぎるだろ!」



 教室内はそのエロ漫画と俺のセクハラについての話題一色になった。



「いやいや、みんな違うんだ! 声優で羽黒に似てる子がいたから見せようと思ったら間違えただけなんだ!」


「声優かよ、お前ほんとにアニオタだな」


「っていうかそもそもエロ漫画をスマホにいれておくなよ!」



 その事件以降、俺のニックネームは「セクハラ月山」になったが、まあ、うん、いいことにしよう。


 ちなみにそのエロ漫画をスマホにいれていたのは本当だったので、特に反論することもない。


 いやほら、わりと、こう……よかったから!


 修理代でアニメのBDのための資金が消え去ることになりそうだったが、さしあたって俺が気になったのは、自分が踏んだ羽黒楓の地雷の大きさだった。


 どうして自分の写真を見せられただけであんなに怒ったのか?


 過去のこととはいえ、全国優勝した記事だ。


 どちらかというと、誇っていいことだと思うのに。


 羽黒が戻ってきたら……もし羽黒がその気になってくれたらの話だが、とりあえずいろいろ聞いてみよう、と思った。


 だがその日、午後の授業に羽黒楓は出席しなかった。

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