第16話 校舎裏

 ところが、わたしは文芸部には行かなかった。

 堀切くんに校舎裏に呼び出されたからだ。


 3時間目の体育の授業が終わった後、わたしは机の物入れに紙片が入っているのに気づいた。

 4時間目の教科書とノートを取り出そうとして手を入れたら、教科書の上に乗せてある紙に触れた。取り出してみると、B5の大学ノートを1枚切り取った紙が4つ折りされたものだった。

 また千歳あたりから来たんだろうと思って、なにげなく開いた。

 千歳の文字ではなかった。


『今日の放課後、旧校舎の裏に来てください。堀切』と書いてあった。


 え、なにこれ、本物?

 わたしは紙をとっさに物入れに戻した。

 そして、4時間目の英語の授業が始まってから、誰にも見られないようにそっとまた取り出して、見た。

『今日の放課後、旧校舎の裏に来てください。堀切』

 鉛筆かシャープペンで、まちがいなくそう書かれていた。

 千歳のカワイイ手書き文字とは似ても似つかない右上がりの筆圧の高い字。男の子が書いた字と思われる。

 本当に堀切くんから?


 わたしの心臓は跳ね上がり、ドッドッと鳴った。当然、発電機も唸る。

 ボボッ、ボボボボボボ、ボボンボンボボボボッ。


 旧校舎の裏と言えば、告白の名所である。

 校舎とコンクリート塀の間の狭い空間に樹木が生い茂っていて、薄暗く、密談をしたい生徒などしか近寄らない。いじめの現場になることもあると聞いたことがある。

 偽物じゃないよね。

 いたずらじゃないよね。

 まさかいじめじゃないよね。

 本物だよね。

 本物であってほしい。

 わたしの胸にさまざまな想いが去来した。


「相生、次から読んでみろ」

 わたしはうつむいて紙を見ていた。文面と発電に意識を持っていかれていた。

「相生、読め」

「ひゃ、ひゃいっ」

 教師から呼ばれているのにやっと気づいて、わたしは立ち上がった。

 紙を手に持ったままなのにも気づいて、ぎゃーっと慌て、ポケットに隠した。

「教科書、つづきを音読しろ」

「あっ、すみません、どこからですか?」

「授業を聞いてなかったのか?」

「す、すみません。ちょっと注意散漫でした」

「おまえ、授業と関係ない紙を見てなかったか?」

 ヤバい。

 教室中の視線がわたしに向いているようだった。

 正確に言うと、堀切くんは前を向いていて、わたしを見ていなかった。それはとっさに確認した。 

「ポケットに隠した紙を見せてみろ」

 ヤバいヤバいヤバいヤバいヤバい。

 これは絶対に見せられない。

 死守しなければならない。

「だ、だめです」

「なにがだめだ。授業中に関係ないことしてた方がだめだろ。いいから見せろ」

 これは一種のハラスメントだ。教師の横暴だ。プライバシーの侵害だ。でもわたしにも非はある。

 とにかく絶対に見られてはいけない。

 こんなものを教師に教室で声を出して読まれでもしたら、わたしは死ぬ。

 堀切くんも赤っ恥をかくことになる。

「し、死にます!」とわたしは叫んだ。

「は?」

「これを見られたらわたしは死にます! 生徒に自殺されたくなかったら、このことは不問にしてください!」

「ちっ。31ページの2段落目からだ」

「はい?」

「音読だよ。さっさと読め」

 わたしは教科書を開き、懸命に読んだ。

 かなり不器用な発音で、どもりどもりで、ひどい音読だった。

 罰だったのだろう、丸々1ページ読まされた。

「そこまで」と言われ、苦行を終えたとき、わたしはへなへなと崩れ落ちた。


 当然、千歳から追及された。

「奏多、学食へ行こうよー」

 昼休み開始早々に、千歳がにやにやと笑って言い、ユナさんも興味深げにわたしを見つめていた。紙はまだ制服の上着のポケットに入ったままだった。

「今日はひとりでお弁当を食べたいかな……」

「悪いようにはしないからさあ。行こうよお」

 千歳に肩を抱かれ、わたしは学食へ連行された。


 わたしと千歳がお弁当を、ユナさんがきつねうどんを食べ始めてしばらくしてから、千歳がささやいた。

「あたしたちには見せてくれるよね?」

「え、なんのことかなー」

「そのおとぼけ苦しすぎるだろ。ポケットの紙、見せてよ」

「だめ」

「だめか」

「絶対にだめ」

「あたしたちでも見られたら死ぬ?」

「死ぬ」

「かー、どんだけすごい文書なんだよ。見たいなあ」

「千歳、やめなさい」

 うどんを食べる手を止め、ユナさんがぴしゃりと言った。

「わかったよお。あたしだって奏多には死んでほしくない。じゃあ、見せろとはもう言わないよ。でも教えて? ラブレターでしょ?」

「千歳!」   

「ラブレターじゃない……」

「じゃあなに?」

「千歳、マジで怒るわよ! 奏多ちゃんの気持ちを考えなさい!」

「話せるときが来たら、ちゃんと話すよ。でもいまは追及しないでほしい」

「そっか。今日の放課後、ピザ食べない?」

「今日は行けない……」

「わかった、がんばれよ」

 千歳はお弁当に向き直った。

「昨日見た鮫映画がとんでもない駄作でさあ」

「食事中に鮫映画の話は聞きたくない」

 千歳とユナさんがなにごともなかったようにおしゃべりをする。

 わたしは会話には参加せず、放課後お腹が減らないように、なんとかお弁当を全部食べた。

 発電音はずっと鳴りつづけていた。


 放課後、わたしは少し時間をつぶしてから、旧校舎の裏に行った。

 この紙片が、本当に堀切くんがわたしの机に入れたものなのか、確信は持てなかったが、行かないという選択肢はなかった。もし本物だったら、大変だ。クラスで1番容姿のすぐれた男子をすっぽかすことはできない。

 体育の時間にわたしが席を離れた間に、彼が入れた紙片だったら、すごくうれしいけど、もしいたずらだったら、めちゃくちゃ落ち込むだろうな。

 わたしはかなりのリスクを負って、英語の教師から隠し通したのだ。

 堀切くんは校舎裏にいるだろうか。

 もし彼からのものだったとしても、騒ぎになってしまった後だから、露見することを怖れて、来るのをやめるかもしれない。

 教師に見られたのは、大失敗だった。

 わたしの心は千々に乱れていた。


 すべては杞憂だった。

 堀切くんが待っていてくれたのだ。

 木立の陰にいた彼の姿を見つけたとき、わたしの胸はつまった。

 わたしは彼に駈け寄り、黙ってその目を見た。

「英語の時間、隠してくれてありがとう」と堀切くんはまず言った。

 よかった、と思った。苦しかったけど、恥をかいたけど、隠し通して本当によかった。

「うん。絶対に隠さなくちゃいけないと思ったから……」

「助かったよ。あの場で暴露されたら、大恥をかくところだった」

「うん……」

 わたしはうつむいて、用件が始まるのを待った。


「大事な話があるんだ」

「う、うん。なにかな」

「えっと、おれ、相生さんが好きなんだけど。つきあってくれないか」

 唐突で、ストレートだった。

 ボボボボッ、ボボボボボッ、ボボウボンボンボンッ。

 期待していたことが現実になって、わたしは驚き、戸惑い、喜んだ。


「うん。わたしも堀切くんが好き。つきあえたらうれしい」

「そうなの? 相生さんは森口くんが好きなのかと思ってた」

「森口くんなんて全然好きじゃないよ。趣味は同じ読書だけど」

 嘘を言っているわけじゃない。

 紙片に書かれていた文を見た直後から、森口くんへの想いはさっぱりと消えて、発電機の高鳴りはすべて堀切くんが起こしたものに変わっていたのだ。

 少し前まで、クラスで1番モテるイケメン男子はただの憧れの存在で、現実的な彼氏候補は森口くんだった。

 でも手が届くとなったら、話は別だ。

「どうしてわたしなんだろう。ユナさんでなくていいの?」

「宇津木さんは綺麗だけど、でも相生さんも沖館さんも、あのグループはみんな美人だろ」

「そうかな。わたしだけ平凡だと思うんだけど」

「相生さんはスタイルがとても良くて、宇津木さんにも負けてないよ」

 スタイル? そうか、この大きな胸が決め手なんだな?

 猛烈に恥ずかしかったが、これで見初めてくれるなら、巨乳に感謝だ。


 十人級発電機は大きく鳴り響いていた。

 わたしの恋は告白されるというクライマックスを迎え、受け入れて、実った。

 すごくうれしい。これからもっとめっちゃ発電できるようになるかもしれない。

「一緒に帰らないか?」

「うん。でも学校内で仲良くしていたら、先生に見とがめられるかも」

「おれ、校門の外で待ってるから」

 堀切くんは旧校舎裏からダッシュして、わたしの前からいったん消えた。

 わたしはゆっくりと教室に戻り、かばんを持ち、その中に紙片を移してから、校門へと向かった。

 堀切くんが待っているのを見たとき、わたしはこの上ないしあわせを感じた。

 最寄り駅まで並んで帰った。

 あまり会話は弾まなかったが、彼とときどき目を合わせるだけでドキドキして、ときめいた。

 駅で連絡先を交換し合ってから別れた。わたしは下りの電車に乗った。堀切くんは上りだった。

 電車の中で、堀切くんの低い声を反芻して味わった。


 帰宅して、十人級蓄電機を取り替えたばかりの新品の大容量家庭蓄電池につないだ。わたしの蓄電池は満杯になっていて、15分ほどの送電で家庭蓄電池もフルチャージになった。

 通常の10倍以上も発電したのだ。

 今日はいろいろあったからこの結果は当然なのかもしれないが、十人級蓄電池をいっぱいにしたのは偉業だと思えた。

 わたしはやはり人並みはずれた発電力を持っていたのだ。

「きゃーっ、奏多、いきなりすごいじゃない!」とお母さんは狂喜していた。

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