第138話 温泉旅行

 あっという間に防寒具が必要な時期がやってきて、街のあちこちでクリスマスソングが聞こえてくるようになった。

 待ちに待った温泉旅行も、気づけば当日の朝がやってきた。


 「忘れ物はないね、紬は大丈夫?」

 「三日前から準備してたから、大丈夫。さっきも確認したよ」

 

 紬のスーツケースを玄関まで運びながら、わくわくしながら必要なものを詰めていったんだろうな、と想像する。



 「ただいま~」


 外国からの帰りだというのにちょっとスーパーに寄ってきた、みたいな帰宅だ。そのせいか、懐かしいというより、いつも通りだという安心感の方が強い。

 父さんは異質さを放つアロハシャツを身に着けている。今、冬だぞ。


 「待たせちゃった?」

 「それは大丈夫」


 俺たちの準備が早すぎただけだ。家を出る予定の時刻までは1時間近くの余裕がある。


 「いつも頑張ってくれてた分、目いっぱい羽伸ばしてきてね」

 「母さん……ありがとう」


 海外にいるなかでも、ちゃんと思ってくれていたんだな、としんみり感動を覚える。いい旅のスタートが切れそうな気分だ。


 「……でも、羽目は外さないようにね」

 

 耳打ちしてきて、ニヤッと笑みを見せる母さん。……若干の感動をいますぐに返してほしい。






 「あの山、雪積もってる」

 「お、ほんとだ。たしかに、ここは冷えるね」


 俺たちは新幹線と在来線を乗り継いで、有名な温泉地にやってきた。写真で見たような、あちこちで湯けむりが立ち上る光景が広がっている。

 紬の準備は言っていた通り万全だったようで、コートを羽織って暖かそうな見た目をしている。


 「ここだよ」

 「……すごい」


 いかにも日本旅館という外観をしている。高校生カップルが初めてのお泊り旅行に選ぶ場所はここで合っていたのか……?と思うほどだ。


 俺たちは女将さんに出迎えられて、ぺこりと頭を下げる。


 「ふふっ、こんにちは」


 一緒に出迎えてくれた旅館の看板猫にも紬は挨拶している。


 

 「紬が良ければ、早速散策に行かない?」

 「もちろん。そのために……お昼寝もしたから」


 紬は新幹線の中で、俺に寄りかかって可愛らしい寝息を立てていた。寝顔が見られなかったのだけが残念だ。

  

 俺たちは白い息を吐きながら、温泉街を眺めて回る。


 「……すごい色」

 「血の池地獄って名前のままだね」


 赤に染まった水がぼこぼこと気泡を立てているのを見ると、ほんとに地獄って表現が合っている。


 「酸化鉄とか酸化マグネシウムが含まれてるからこの色になるらしい」

 「そうなんだ、化学の復習になるね」


 旅行に来てるけれど、俺たちはちゃんと高校生している。こうして思い出すだけでも、多少の効果はあるだろう。


 「そーくんは勉強、順調?」

 「ぼちぼちかな。志望校に行けるように頑張る」

 「私も、同じところ行けるように頑張るね」


 受験期はいったんそれぞれの家で生活するようになるだろうから、大学でまた同棲を再開する形になるな。これは、頑張らないと。


 「次の地獄、観に行こうか」と俺は紬に声をかけて血の池から離れる。激辛ラーメンのスープを思わせるような地獄だった。



 「いつ来るかな」


 俺たちは間欠泉が噴き出すのを今か今かと待つ。

 しばらく経って、いきなりお湯が噴き出し始めた。

 

 「お〜」

 「いつか来るとわかっててもびっくりするね」

 

 紬は噴き出るお湯の柱を見上げて言う。たしかに、想像していたよりも実際に見てみると、迫力がある。

 

 「最後は足湯に行こう」


 お湯の噴き出しも落ち着いてきて、そろそろ寒さも感じてきたかな、というところで声をかける。


 「ちょうど足が冷えてきた気がしてきてたから、嬉しい。流石そーくん、完璧なプラン」

 「そんなに褒めてくれるの?」

 「私は褒めて伸ばすタイプなので」


 紬は微笑みながら返す。そんなの、伸びるとしてもダメ人間の方にグダグダに伸びていくと思うんだけど。



 「……気持ちいい」


 紬はすらっとした、白くて綺麗な脚をゆっくり揺らしながら、リラックスした表情をこちらに見せる。

 温泉に浸かったときもこんな感じなのかな、とちょっとイメージしてしまったのは内緒だ。


 「帰ったら温泉でしっかり暖まろう」

 「うん。そのあとは一緒に美味しいご飯を食べて、夜はそーくんと話しながらまったり過ごしたい」

 


 日が傾いてくる中、ぼんやりとした風情のある灯りに照らされながら、旅館への道をゆっくり歩いた。



 


 

 


 

 

 


 


 

 

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