第127話 ふたりのルール

 「どうしたの……そーくん?」

 「ああ、いや……なんでもないよ」


 しばらくして部屋から戻ってきた紬が、スマホを眺める俺を覗き込む。

 言えない……『同棲 ルール』なんて検索していたなんて。


 ふたりで基本的に四六時中一緒に暮らすからには、ある程度ルールが必要だろう。俺は紬が何をしようと構わないけれど、紬の方はそういうわけにもいかないか。


 「隠し事は良くないと思いま……思うよ」

 「うっ……」


 紬は恥ずかしそうに訂正する。

 俺はちょっとだけためらってから、スマホの画面を見せる。結婚は何年後にするか、とか書いてあったからためらいたくなるのも分かってほしい。


 「私はそんなにルールは必要ないかな」

 「最低限必要だな、って思うのとかはある?」

 「猫ちゃんたちにご飯をあげるタイミングとか……? そーくんばっかりポイントを稼ぐのはだめ」


 紬はちょっと笑いながら釘を刺してくる。たしかにその点は重要なルールかもしれない。


 「家事の分担とかは?」

 「そーくんに時間があれば、一緒にやりたいなって」

 「もちろん一緒にやらせていただきます」


 今まで通りのところも多いし、固くなってルールを設定する必要もなさそうだ。


 「それで……えっと」


 紬は同棲のルールが書かれたWebサイトのページをスクロールしていき、下の方まで行ったところで手を止める。


 「……どうしたの」

 「ううん。……もう少しだけ、先のことだから」


 確実に結婚についてのところを見た、という反応だ。俺は、紬に返すべき適切な言葉を探す。


 「……ちゃんと責任取れるようになるまで、待ってて」

 「……うん」


 俺は紬の目をまっすぐ見つめて言うと、紬は顔を赤らめて小さく頷く。俺たちふたりの間に、甘くて、ちょっと気恥ずかしくて……なんともいえない空気が流れた。

 


 「……何しようとしてたんだっけ」

 「そ、そうだね」


 俺ははっと顔を上げて紬に問いかける。次何をしようとしていたかの記憶がまるでない。


 「だいぶ時間あるし、お菓子とか一緒に作りたいな」

 「それ、いいね」


 紬の提案に賛同して、俺は台所に向かう。


 薄力粉や砂糖を混ぜて基本のクッキー生地を作り、それとほとんど同じようにチョコレートクッキーの生地、コーヒークッキーの生地を作り三毛猫模様のクッキーを作ることを目指す。

 俺の記憶では前にもお菓子作りに一緒に取り組んだことはあるけど、そこまで凝ったものは作ってないかな。


 紬と並んで台所に立つのも、いまでは当たり前のことではあるけれど、袖が擦れ合うぐらいの距離感にいることが愛おしい。

 

 「美味しそう……!」

 「だね」


 オーブンでクッキーが焼かれていくのを並んで見守る。あと数分はかかりそうだし、きなこたちを撫でて待っておくか。


 眺めているとだんだん生地が焼けて膨らんできて、焼き上がりを待つ俺たちの期待も膨らんでいく。


 「ふふっ……しあわせ」

 「うん。こんな時間が増えるの、嬉しいな」


 俺たちはそれぞれ膝の上の猫を愛でながら、さくっと噛むごとに口の中に広がるクッキーの甘さを味わった。


 


 「そういえば……お風呂はどうする? どっちが先か、みたいな」

 「そうだなあ……紬はゆっくり入りたいだろうし……紬が出てくるのを待つよ」


 俺はちょっと考えてそう返す。

 ……が、俺たちの周りだけ時間が止まったかのように、紬からの返事が聞こえてこない。

 

 「一緒に入るっていう選択肢は……?」

 「……いいんですか?」

 「……前みたいに、ドライヤーまでしてほしい」


 赤く頬を染めた紬に見上げて言われると、言葉が耳に届くと同時に頷いてしまう。

 最近は俺の方が固くなってしまっているかも。


 「……わかった。けど毎日は……俺の意識が持つか心配」

 「う、うん。そーくんのペースで大丈夫だから」


 本当に俺の意識が持つのか怪しい。だって、今も少し悩殺されかけたし。

 再び、部屋が静まり返って、きなこが眠たそうにあくびをする。


 紬の方をちらっと確認すると、火が出そうなくらいに耳まで赤くなっていた。


 「……ちょっと恥ずかしくなってきたかも」

 「……ごめん。俺から言い出すべきだったね」


 もうちょっと俺がしっかりしなきゃ。あと……今紬が感じてる恥ずかしさをなんとか帳消しにしてあげたい。


 「……こっち向いてよ、紬」


 俺は紬の顔にかかる美しい髪に触れる。ほんのり赤く染まった顔を躊躇いながら俺の方に向けてくれた紬の前髪を押さえて、おでこに軽くキスをする。

 

 「……これで恥ずかしさは釣り合ったでしょ」

 「……うん」


 俺の行動が予想外だったのか、紬は一歩二歩ぐらい後ろに下がってしまった。


 「そーくんはやっぱり優しいね。好き」

 「……俺の方が恥ずかしさ上回った気がする」


 これはずっと同じ流れを繰り返して終わりが見えなくなるやつだ、と思って俺は顔を上げて微笑みかけるだけにしておいた。







 

 

 



 


 



 


 


 

 





 


 




 

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