第125話 おはようのキス

 「おはよ……紬」

 「お、おはようございます」


 紬は俺にちょっかいをかけようとしていたのか、瞼を開けると顔を背ける。……たぶん起こそうとしてくれていたんだろうけど。


 「……起きてたんですか?」


 紬は俺の方を見ないまま、こちらに声だけかけてくる。


 「……ん? いや、起きてなかったけど」

 「なら、気にしないでください」


 ベッドに腰掛けていた紬は立ち上がり、艶のある美しい髪が揺れて、シャンプーの香りが辺りに広がる。


 ……めっちゃ気になる。


 「何しようとしてたか、教えてよ」

 「……む、無理です」


 紬は頑なに教えまいとする。

 なんと言ったら教えてくれるだろうと悩んで、俺は再び横になって目を瞑る。


 「起きてなかったことにするから」

 「余計に恥ずかしいです」


 そう言われても、俺は諦めず目を瞑ったままでいる。

 30秒経ってもなにもなかったら、布団と仲良くしてないで起き上がろう、と決める。


 瞼を閉じたまま耳を澄ませるが、紬が動いたような気配はない。

 このままだと寝落ちしてしまいそうだし、そろそろ目を開けるか、と体感20秒過ぎで思いはじめた瞬間。

  

 ふんわりと甘い匂いが鼻に届いたかと思うと、頬に一瞬だけ、柔らかい唇がぷに、と触れたのを感じた。


 「……おはようのキス、です」

 「……えっ」


 寝ぼけた頭が、やっと紬に口づけされたことに気が付いて慌てて活動を始め、俺はベッドから這い出る。

 

 「……ちょっと刺激的すぎるかも」

 

 紬はよほど恥ずかしく感じているのか、クッションで顔を隠している。かく言う俺も、きっと照れて顔を赤くしていることだろう。


 「……蒼大くんが遅くまで寝ているからですよ」

 

 今度から時間の許す限りぎりぎりまで寝ようかな、と思う。

 

 朝ご飯は、向かいに座る紬のことをなんだか意識してしまってなかなか食べ進められなかった。

 



 「おはようございます」

 「あ、せんぱい」


 前から先生に呼ばれていたので、部活に顔を出す。

 

 「夏休み、なにしてたんですか〜?」

 「お、全員揃ったか」


 俺たちがやってきてからすぐ来た先生に、部員皆で目を通しておいてくれ、と言われながら文化祭についてのプリントを手渡された。

 俺との会話をキャンセルさせられた優愛は若干不満そうな表情を見せている。


 「……なんか、距離感おかしくないか? 気のせいならいいんだが……喧嘩でもしたか?」

 

 真逆です……!と心の中で言いながら、俺たちは腰を上げてもぞもぞと手が触れ合うぐらいの近さにまで接近する。

 

 というか、早乙女先生も俺たちとは真逆の方向で猫たちとの距離感がおかしい。もう職員室とかでも猫好きが話題になってそうだ。


 「……もう会議の時間か。はぁ……行ってくる」


 見るからに残念そうに猫を下ろして、クールな足取りで先生は去っていく。


 

 なんとも言えない空気感の3人が部室に残されてしまった。


 「……なんですか、新婚夫婦みたいな距離感して。ふたりが喧嘩なんかしないの、分かってるんですよ」


 沈黙を破って口を開いた優愛の言葉に俺たちはびくっと反応し、今更だと思いつつ互いに少し距離を取る。

 

 「……そんなにじっと見ないでくれ」

 「せんぱいが教えてくれるまでじっと見続けます」

 

 優愛は様々に眺める角度を変えながら、じっと目を合わせてくる。

 相手が猫だったら喧嘩を売ってると思われるぞ、と心の中で呟く。


 「……同棲し始めたんだよ」

 「そ、蒼大くん……」

 「ど、同棲……ですか? まだ高校生ですよね?」


 このままずっとはぐらかし続けるのも難しそうなので、素直に打ち明けたところ、紬は恥ずかしそうにうつむき、優愛も耳まで赤くなってしまった。

 もっと微妙な空気にしてしまったような。

 

 「じ、実質結婚みたいなものじゃないですか……!」

 「そ、そこまででは……」

 「なにか証拠を見せてください。イチャイチャしてみせるとか……っていつもしてますね」

 

 錯乱状態の優愛はひとりで盛り上がっている。


 「そういえば、同棲まで行って敬語なんですか? 今どき怒られますよ? ……そうです、夫婦らしい会話でも聞かせてくださいよ」

 「まだ夫婦じゃないけど……」


 優愛の耳には入ってなさそうだけど、俺は静かにツッコむ。夫婦らしい会話ってなんだよ。


 「……そーくん。今日の夜ご飯はなにがいい……?」


 紬は俺のことを見上げながら、恐る恐る敬語なしで問いかけてくる。語尾に小さく、ですか、と付いてたような気もした。

 というか、そーくん呼びが可愛い。


 「一緒にシチューでも作る?」

 「う、うん」


 紬が頷いたところで、優愛はストップ、と言わんばかりに俺の袖を引っ張る。


 「ちょ、ちょっと……流石にこれ以上は聞いてられません。敬語を使わない花野井先輩の破壊力が凄すぎます」

 「わかる。俺もちょっと……どうにかなりそう」

 「……どうしたんですか?」


 紬は俺たちふたりを覗き込みながら尋ねる。タメ口から普段の敬語に戻っただけなのに若干圧を感じるような。


 「いや……なんでもない」

 「……? わかりました。あ、お水が足りないようなので、入れてきます」


 どうやら純粋に尋ねていたらしい。紬が出ていってから、優愛が近づいてくる。


 「あ、あの……花野井先輩とどこまで行ったんですか?」

 「……答えると思うか?」

 「私、3日ぐらい寝込んでもいいですか」

 「部活は来てよ、3日は心配になるだろ」

 「……間違って勘違いしてしまいそうになること、言わないでください」


 そう言って優愛はちょっと迷って、俺の額にデコピンを入れる。


 「前の仕返し、ですっ!」

 「……」

 「あ、怒っちゃいました……?」

 「1時間正座で。猫座らせたまま」


 それめっちゃ足痺れるやつじゃないですか〜!という声が聞こえて、俺はほくそ笑む。 

 ぼちぼち文化祭のことも考えるとするか。

 

 


 

 


 

 


 

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