第124話 未来の話

 今日は、ふだんと変わらないふたりでの夕食や、そのあとのまったりとした時間でさえも特別感に満ちていた。


 「そろそろ、お風呂入る? どっちが先がいいとか希望があれば……って、いろいろルール決めていかないとだね」

 「そうですね。ただ、この家は蒼大くんの家なので、蒼大くんが先がいいかと」 

 「これからふたりで住むんだし、そういうのはなしでいいよ。まあ、今日のところは先に入るね」


 ソファにちょこんと座った紬に見送られて、俺は風呂に向かう。


 

 毎日紬と会うことはこれまでもこれからも変わらないのに、なんとなく紬からの印象を意識して、シャンプーやボディーソープをいつもより多めに取って、良い香りの泡で体を包む。

 流石に使いすぎたな、と風呂場の床に落ちた泡の塊を見ながら思った。

 

 ……普段は、どんな風に過ごしてたっけ。


 湯気が立ち昇る湯船に浸かって、ゆっくり振り返る。付き合い出した頃もこんなことを考えたような。


 「次、どうぞ」

 「はい、行ってきます」  


 俺たちは微笑みながら目線を交わす。……まあ、こんな感じだったかな。



 「お風呂、上がりました」


 戻ってきた湯上がり姿の紬に見惚れて、リビングのドアの前で向かいあったまま固まる。

 半歩前に出れば簡単に抱きしめられるぐらいの距離感だ。


 「……蒼大くん?」

 

 髪はしっとりとしていて、頬を熱でぽっと紅く染めている紬が俺のことを見上げてくる。

 何秒も紬と目を合わせて、その場に立ったまま動かないでいると、紬は口を開く。

 

 「どうしたんですか……わっ」


 通せんぼしている俺が頭に優しく手を乗せると、紬は驚いたようで片目を瞑る。


 「紬に見惚れたというか」

 「……そんなこと、軽々しく言ったらだめ………ですよ」


 紬は恥ずかしさが頂点に達したようで、言葉が途切れ途切れになっている。

 別に軽々しく言ったつもりはないんだけどな、と思いながら、手をゆっくりと離す。


 「紬にしか言わないけど」

 「それは分かっていますが……面と向かって言われると、恥ずかしいです。いつもはそんなこと、言わないじゃないですか」

 「同棲するんだし、思ってることははっきり伝えたほうがいいかなと」

 「それはそうですけど……」


 一緒に生活していくなら、なんでも言い合える関係を目指すべきだと思う。

 紬は納得してくれたようだったけど、やっぱり恥ずかしいのは変わらないみたいだ。


 「毎日、こうするつもりですか……?」

 「……紬が大丈夫なら」

 「……大丈夫です」


 紬は俺の胸に顔を埋めて、ぎりぎり聞こえるぐらいの声で返事をする。

 ぎこちないやり取りだったけど、距離感を確かめあうように、顔を上げた紬と目を合わせた。



 「ベッドは……どうしますか?」

 

 そろそろ寝ようか、と提案すると、紬は恥ずかしそうに聞いてくる。


 「明日ダブルベッドを買いに行こうか。……今日は、俺がソファで寝るよ」

 「あの……一緒に寝るという選択肢はありませんか」

 「……っ。狭いけどいい?」

 「……経験済みですし」


 その言い方の方が軽々しく使っちゃだめだと思う。


 紬の手を引いて寝室へと連れて行き、ベッドに入る。枕元に先客がいたので、尻尾を踏んでしまわないように注意して横になる。


 紬が寝てしまわないうちに、言っておきたいことがあって口を開く。


 「……今日の連絡先交換の件はごめん」

 「い、今ですか? 遅かったと言っているわけではないですけど」

 「謝るタイミングを逃してた」

 「……鈴木さんの手前、気になるとは言えませんでしたけど、ちょっとは気にしてましたからね」

 「ほんとごめん」

 「そんな風だと、愛想を尽かされてしまいますよ」


 紬は、他人事のようにそう言う。ちょっと脳で意味が処理できなかった。


 「……えっ」

 「……からかってみただけです。普通は、ですよ。私は……そんなわけ、ないです」

 「気をつけます」


 深刻そうな顔、しないでください、とちょっと笑いながら言われてしまった。さっきの反撃を食らったか。


 「……あと、将来の目標が決まったかも」


 天井のぼんやりとした橙色の照明を見つめながら、俺は呟く。

 気付けば、新たに家族に加わった猫も枕元にやってきていた。名前、考えなきゃだな。


 「聞かせてもらってもいいですか?」

 「獣医を目指したいなと思って。スコティッシュフォールドのこともそうだし、そもそも猫はいずれ腎臓が悪くなるって言われるから、長生きしてほしいなって」

 「……私も、なりたいです。蒼大くんの真似というわけではないですけど……好きなことを仕事にしたいな、と」

 「じゃあ、目標に向かってお互い頑張ろうか」

 「そうですね。勉強、教え合いましょう」


 真っ直ぐ俺のことを見つめてくる紬に頷いてみせて、ゆっくりとまぶたを閉じる。

 今日1日で、紬との明るい未来がはっきり開けていったような気がした。



 

 

 




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