第119話 お家で続き?
「……蒼大くんの家に上がっていってもいいですか?」
駅から家まで帰っている途中、紬は足を止めてそんなことを言う。
「うん、大丈夫だよ」
「それと……シャワーをお借りしてもいいですか?」
「うん、いいよ」
一旦クロの様子を見に行ってくる、と言って自宅へ戻る紬の背中を見送る。俺も、寂しがってるだろうきなこと遊ぶか。
玄関を開けると、床で横になっていたきなこは、やっと帰ってきたかと言わんばかりに大きくあくびをして、こちらに向かってきた。
とりあえずモフろう。
しばらくして、紬がインターホンを鳴らす。
嬉しいことに、紬は俺の家に長居するつもりらしく、いつものようにクロを連れてきた。
「先、浴びていいよ」
「え、でも……」
「わからないけど、塩分がついたままだと髪とか傷みそうだから」
俺は喉まで出かかっていた言葉を別の言葉に置き換える。着替えたいまは水着がないはずだし、仕方がないな。
「すみません……ありがとうございます」
「いいよいいよ」
そのあと、廊下を片付けているとシャワーの水音が聞こえてきて、どきどきするような、いたたまれないような気持ちでその場を離れた。
紬のあとにさっとシャワーを浴びて、すがすがしい気持ちでリビングに向かう。
紬は扇風機の前にぺたんと座って、前髪を風で揺らしている。
「あ、蒼大くん」
「そのままでいいよ」
きちんと座り直そうとする紬に、俺は微笑みかけてそう言う。
「その……続きはいいんですか?」
「え?」
「……」
紬はなにか言いたそうに口を動かしたけど、言葉は聞き取れなかった。ただ、恥ずかしそうに顔を手で覆ったところを見るに、なんとなく言わんとするところはわかるような。
「今日のところは、可愛い紬を眺めるだけで満足かな」
「それは、蒼大くんの本音ですか?」
「……っ。……それはずるいって」
俺の頭の中に、そう言ってることだし続きやれよ、と囁く悪魔と、疲れてるだろうし休ませてあげて、と言ってくる天使がいる。
「それなら、私がしたいこと、してもいいですか?」
俺が頷くと、紬は何やら自分のバッグを探ったあとに、とんとんと膝の上で横になるように促してくる。
俺は恐る恐る紬の目の前で横になる。膝の上には転がらないでおいたが、紬は俺の頭の下に手を潜らせようとする。
たぶん、膝の上でいいという合図なんだろう。
「……これは?」
「耳かきです。今日は、はしゃいだので……疲れが取れたらいいな、と」
「……それなら、お願いします」
「それに、耳の中に水が入ってたりしないかな、と」
紬は、私も実はまだ水が取れないんです、とはにかむ。それから、もし痛かったりしたら言ってくださいね、と続けて、梵天を近づけてくる。
「おっ……」
きなこが視界にぬっと現れて、驚かせてくる。梵天のふわふわが猫じゃらしにでも見えたのだろう。
「……きなこちゃんはあとでね?」
紬は優しく微笑みかけて、きなこを抱いて反対側にゆっくりと下ろす。
紬が優しく撫でると、きなこは満足げに去っていく。
「続き、やってもいいですか?」
「よろしくお願いします」
俺は恐る恐る紬に身を任せる。紬が不器用だと思っているわけではないが、慣れない感じに少し体がこわばる。
「……どうですか?」
耳元で囁くように確認されるのが、なんだかこそばゆいようで心地よい。
「痛いとかは全然なくて、すっきりしたかも」
「それなら良かったです」
「俺の頭、重いだろうし交代しよっか? 紬、横になって」
「……お言葉に甘えます」
紬が横になると、すぐに返事が返ってこなくなって、そのかわり小さな息だけが耳に届く。……疲れてたんだろうな。
俺の膝の上で、肩をわずかに揺らしながら寝息を立てる紬の寝顔を見守る。
……これくらいはいいかな、と思って、紬の目に入りそうな前髪をそっと手で払った。
紬の寝顔を見たい、という意図はもちろんある。
「……だめです、蒼大くん」
いまの行動を指摘されたのかと思い、びくっとつい反応する。
口から漏れた寝言だったようで、そのあとはなにもなく紬は目を瞑っている。
いまどんな夢を見ているんだろうか、ということばかり気になる。
「私だって……」
しばらくして、紬はまたむにゃむにゃと口を動かす。
今度こそ夢の内容がわかるかも、と俺は耳を傾ける。……と、紬はぱちっと目を開いた。
「……いつから寝てましたか?」
「ちょっと前かな、疲れてたんだろうね」
「……ここが心地良かったからです」
紬は起き上がって、恥ずかしさのためか袖で口元を隠しながら言う。
……ついに紬のいまの胸の内は聞くことはできなかったけれど、ストレートに伝えてくれた言葉はこの上なく嬉しかった。
「また、遊びに行きましょうね」
うん、と俺は頷いて、赤丸で次の週末を囲んだカレンダーを見やった。
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