第116話 定番のはしゃぎ方

 紬は、日焼け止めクリームがついた手を俺の背中でそわそわと滑らせる。まだ海に入る前だというのに、どきどきしてきた。


 「蒼大くんの体……やっぱり、引き締まってますね」


 紬は日焼け止めクリームを追加で手に垂らしながら言う。

 

 「実は、最近鍛えてたんだ」

 「どうりで、格好いいわけですね」

 「……え」

 「……蒼大くんも、さっき私に同じようなことを言ったじゃないですか」


 紬は恥ずかしそうに、その後はなにも言わずに黙々と俺の肌に日焼け止めを塗り込む。


 「……紬? 手が届くところは自分で塗るよ」


 紬が腕にも手を伸ばしてきたので、俺は声をかける。流石にこれ以上は色々持たない。


 「そ、そうですね……」


 紬は我に返ったようで、慌てて手を俺の背中から離す。

 俺は紬から日焼け止めクリームを受け取り、さっと塗り拡げる。刺してくるような日差しがパラソルの外に降り注いでいるのを見て、紬の言う通りにしていて良かったな、と思う。


 「待たせてごめん、行こっか」

 「はい。行きましょう」


 俺は紬に浮き輪を託し、ボールを抱えて波打ち際へと歩く。

 ぎりぎり波のしぶきがかかるかかからないか、というところに立ってみる。


 紬はしゃがみこんで水に手を付けようとしている。なにしようとしているんだろう、と思っていると、いきなり大きめの波がやってきた。


 「わっ……」


 紬は顔に水しぶきを浴びて、髪から水滴を滴らせながら立ち上がる。


 「思ったよりも濡れたね」


 俺がちょっと笑いかけながら、紬の方を見ると、しょっぱい海水が口に入ったのか、ちょっと苦い表情をしていた。

 

 「大丈夫でしたか?」

 「うん。俺は脚にかかったぐらいかな」


 そう返して、俺は目を細めて眩しく輝く海を眺める。もう濡れたことだし、そろそろ入って遊んでみるか。


 「……蒼大くん」

 「ん……?」


 紬の方を向いた瞬間、ばしゃっと海水が飛んできた。思ってたよりもしょっぱいな。

 髪の毛から、絶え間なく海水が滴り落ちてくる。


 「これで、お揃いですね」


 紬は髪を耳にかけながらそう言って、子供のように無邪気に笑う。今は確認のしようがないけど、たぶん俺の頭はワカメが乗っているみたいに見えてるんだろうな。


 「あ、あの……?」


 俺がなにも言わずに立っていると、怒ったかのではないかと心配になったのか、紬は顔を覗き込んでくる。


 「……ははっ」

 「そ、蒼大くん。やり過ぎました……」

 「俺も本気でやるけど、いいんだよね?」


 そう言って、俺は水をすくう。俺の動きを予測していなかったようで、驚いている紬に水をかける。


 「ぷはっ……いまのはフライングです」

 「紬がそれを言うか」


 それから俺たちは、浅瀬に入って水をばしゃばしゃ掛け合った。本格的に海に入るウォーミングアップにもなったような気がする。



 「もうちょっと深いところ、行ってみる?」

 「私……実はあまり泳げないので、蒼大くんに泳ぎ方を教えてもらいたいです」


 さっきから、大事そうに浮き輪を抱えていたのでもしかしたら、とは思っていた。

 そもそも泳ぎを教えたことがない上に、海で自然の波がある中だけど、可愛い彼女の頼みとあらば頑張るしかない。


 「ちゃんと握っておくから、胸ぐらいまでの深さのところまで行こうか」

 「わかりました。……ぜったい、離さないでくださいね」

 「うん、離さないよ」


 俺の手をぎゅっと握って、すがるような目をされると……庇護欲のような感情が湧き上がってくる。


 浮き輪の助けを借りて、紬と俺は1メートルほどの水深のところまでたどり着いた。遠浅な海なので、砂浜までは15メートルぐらいはある。

 波が周期的にやってきて、俺たちはまるで海藻のように揺れる。


 「まあ、いきなり海で泳ぐのは大変だから、まずは水に慣れるところからかな」

 「それなら追いかけっこをしたいです。私が追いかける方で」


 さっきまで泳ぎに自信がなさそうだったけど、やる気があるようだ。


 「じゃあ、スタート!」


 俺はそう言うと潜って浮き輪で小回りが利かない紬の背後に回ろうとする。……これ、俺が追いかけてるみたいだな。


 本気で泳ごうとは思っていなかったので、ゴーグルを持ってきていなかったことを少し後悔している。……目に水がしみて痛い。


 「ぷはっ……」

 「えへへ、捕まえました」


 目の痛みを堪えきれなかった俺が上がってくる場所とタイミングを見計らっていたみたいだ。

 浮き輪から身を乗り出して俺の肩辺りにしがみついてきたので、俺はつい狼狽える。……ちょっと大胆すぎやしないか。


 「今度は蒼大くんの番です」


 なかなか来ない海でテンションが高いようで、紬は俺の心の内には気付いていない。


 「……わかった。練習だと思って、バタ足頑張ってみて」

 「わかりました」


 そう言って紬は俺の方をちらっと振り返って見て逃げようとするが、バタ足の勢いを弱め始める。

 流石に、もう体力がなくなったということはなさそうだけど……?


 「岸まで競争しませんか?」

 「自信ありそうだね」

 「負けた方がなんでもひとつ言うことを聞くというのはどうでしょう」

 「……本気だ」

 「これぐらいすれば、上達も早いかな、と思いまして」


 もちろんいいよ、と俺は勝ったときのお願い事をなににしようか考えながら返事をする。

 スピードの差があることは明らかなので、ハンデはある程度設定するが、それ以外は本気でやらせてもらおう。


 前にいる紬が岸へ泳ぎはじめてから数秒して、俺もその背中を追った。


 

 


 

 

 


 


 

 

 






 

 

 

 

 

 

 



 


 


 





 


 

 


 

 

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