第106話 想定外の雨

 2年生になって初めての中間テストも過去の記憶となり、また平穏な日常が戻ってきた。

 梅雨というトンネルを抜けさえすれば、もう夏だ。まあ、梅雨の季節は紬と出会った思い出があるから、トンネルというほど暗い印象はないけど。



 「おはようございます、蒼大くん」


 ……ところで、この光景は夢だろうか。

 この前も夢で見たように、紬が微笑みかけながら俺を起こしてくれている。ただ、もう制服を身に着けているようだが。

 

 「あれ……紬? どうしてここに?」

 「……すみません。昨日そのまま寝てしまっていたみたいで」


 俺の記憶が正しければ、寝落ちしてしまった紬をベッドまで運んだはず。

 テスト明けの週末だし、疲れているだろうな、と思って起こすのはやめたような。


 「念のため、俺の頬を軽くつねってもらえる?」

 「……? わかりました」


 紬の柔らかい、小さな手がゆっくりと近づいてきて、俺の頬に優しく触れる。少しも痛みを感じることはなかったが、紬の体温は伝わってきた。

 ああ、これは現実らしい。



 『今日は全国的に晴れますが、明日は西日本から次第に雨が降るでしょう』


 支度をしていると、アナウンサーの声が、意識することなく耳に流れ込んでくる。

 さっき紬に質問したところ、一旦自宅に戻って着替えだけ済ませてきたらしい。

 

 準備を済ませて、部室の暑さ対策を進めようと、普段よりさらに早く学校を目指した。





 「今日は、ホームセンターに寄ってもいいですか?」


 まだまだ明るい部活からの帰り道、紬はそう尋ねてくる。

 だいぶ日も伸びてきて、それがまた俺たちに夏はもうすぐそこだということを教えてくれる。


 「もちろん。俺も猫草の種を買って行こうと思って」


 最近玄関に置いている観葉植物にきなこが興味を示すので、猫草を買ってみるかと最近思っていた。


 実は、猫にとってはヒヤシンスやチューリップなどのユリ科の植物は有毒だ。球根などはもちろん、花粉や花瓶の水までも危険だったりするらしい。

 安全そうな植物も、猫や犬にとっては有害だったりするので、気をつけないといけないな。


 「紬はなにを買う予定なの?」

 「私は、ちゅーると、クロのお水を入れる器を買います。……このまえ、少しひびが入ってしまったので」


 ならプラスチックの方がいいね、と言いながら良く知った店内を歩く。目を閉じてでも、猫用品のコーナーに辿り着ける自信はある。



 買い物を終えてホームセンターを出ると、日が沈んだわけでもないのに、空は真っ暗になっていた。

 わずかな間に、もう降り出しそうな空模様に変わったようだ。そういえば、向こうの山の方は雲行きが怪しかったかもしれない。


 「降り出しそうだね、急ごう。荷物は持つよ」

 「え……でも」


 紬は、申し訳なさそうな瞳で俺を見上げてくる。


 「大丈夫だから」


 そこまで重くないし、紬のペースに合わせてちょっと走るぐらいならどうってことない。テストも終わって教科書はだいたい置いてきたので、キャットフードが追加されたぐらいなら余裕だ。



 ホームセンターを出てすぐに、ぽつぽつと小さな音を立てて降り始めた雨は、あっという間に水たまりを作るほどの強さに変わった。

 今日は全国的に晴れって言ってたよな、と正直思う。


 あと5分かからないぐらいで家に着くはず。それまでの辛抱だ。

 そう思って、紬の方を見やる。


 どうやらまったく気付いていないようだが、制服がびっしょりと濡れてうっすら透けている。 

 淡い水色の紐のラインと、日に焼けていない、白い肌の色がはっきり見えてわかるほど、制服は肌に密着している。

 

 その姿を見て、いたたまれなくなった俺は、羽織っていた上着を脱ぐと、紬にぱさっと被せる。


 「……蒼大くんが冷えるじゃないですか」

 「走って温まったから、大丈夫」

 「大切にしてもらえるのは嬉しいですけど……自分のことも、大事にしてください」


 俺が誤魔化すと、嬉しいような困ったような、色んな感情が混ざっている表情を紬は見せて、上着をぎゅっと掴む。

 事情はあるが、これをそのまま紬に説明するわけにはいかない。


 「行こっか。もう雨宿りするには濡れすぎたし」


 そう言って、俺は返事を待たずに紬の手を引く。

 足が濡れるのなんてお構いなしに、俺たちは家への道を走る。なんだか、わざと水たまりに足を突っ込んでいた子供の頃を思い出すな。


 俺たちは頭からずぶ濡れになりながらも、なんとか家まで帰ってきた。


 「すぐお風呂入って暖まって」

 「へくしゅ……そうします」

 

 俺が言うと、可愛らしいくしゃみをしてから頷く。体が冷えてしまっているのかもしれない。


 「……ひゃっ!?」


 俺は自然と、紬の額に手を伸ばしていた。よく考えると、熱があるかはわかるけど、体温が低いかどうかはわからないな。


 「冷えてるから、あとでココアでも淹れに行くよ。風邪には気を付けて」


 冷えているのは確実だから、とりあえずこうでも言って注意してもらうしかないな。


 「は、はい……お願いします」


 紬は頬を赤らめて、こくこくと首を縦に振る。少しは体温が上がったかもしれない。

 俺が風邪を引いてしまったら紬が気にするから、俺もすぐにお風呂で暖まるとしよう。


 


 




 


 

 




 


 



 


 


 


 

 


 

 


 

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