第104話 夏服お披露目
起きてカーテンを開けると、春の陽気というより、暑さを感じるほどの日差しが照りつけてきた。
実際のところ、昔と比べてどうなのかは分からないが、温暖化の波が押し寄せてきているように感じる。
温暖化が進むと、猫が添い寝してくれなくなるので対策が必要だと思います。
そんな提言がしたくなるほどには、まだ慣れない暑さは身体的にも精神的にも堪える。
「おはようございます」
「お……」
玄関先に立つ紬の姿に目を奪われて、そのあとの3文字さえ口から出てこない。
いままで、ブレザーを羽織っていたのも上品な感じがして好きだったが、この夏服のシャツ姿には、高校生の夏を表していると言ってもいいほどの爽やかさを感じる。
「その……似合ってますか?」
「……他の人に見せたくないくらい」
「そ、そんなにですか。蒼大くんがそこまで言うなんて、珍しいです」
「それぐらい言ったことあるような気がするけど」
オーバーな表現だと思われたかもしれないが、本当にそう思ってしまった。
紬は、恥ずかしそうにしながらも、俺と目が合うと微笑んで見せる。
「今日は、朝から暑いですね」
そう言って紬が髪を結ぶ動作に、俺はついつい見惚れてしまう。真珠のような白さの二の腕を見て、触ったらぷにぷにしてそうだな、なんて思う。
「……ほんと、そうだね」
腋がぎりぎり見えるか見えないか、というところに夏服だとどうしても目が行ってしまう。
「どこ見てるんですか」と言われてしまう前に、なにかしら話を切り出そう。
「今年の夏は、色んなところに行きたいね」
「はい。去年は、蒼大くんと仲良くなることで精一杯だったので」
「もうあれから1年たつのかあ」
「そうですよ。もっと、一日一日を大事にしないといけませんね」
紬は、どこか自分に言い聞かせているようにも見えた。
通学路の脇に青々とした若葉が生い茂っているのを見て、もう夏だと宣言したくなるような気持ちになる。実際には梅雨入りもまだしていないんだけど。
去年までは、そんなわずかな変化を気に留めていただろうか。
紬との夏を心待ちにしているから、たぶん小さな夏の訪れを見つけられたんだ。
「……紬のおかげだなあ」
「……? どうしたんですか?」
紬はきょとんとした表情を見せるが、嬉しそうなのは隠しきれていない。
「いや、紬といると……やっぱり、ちょっと恥ずかしくなってきた」
「そこまで言って取り消すのは、なしですよ」
俺は観念して、続きを話すことにした。
「紬のおかげで、今まで見えてなかったものも見えてきたんだなあって。間違いなく、日々の楽しみが増えたと思う」
紬と出会う前も、楽しくなかったわけではないが。イベント事にアンテナを張ったり、季節が進むのを楽しみにしたりはしていなかったように思う。
「……嬉しかったので、こうしててもいいですか?」
「もちろん」
紬は嬉しそうに俺のことを見上げて、それから指を絡めてくる。
普段なら学校に行くまでで手を繋ぐことは紬が恥ずかしがるのであまりないけれど、今日は積極的みたいだ。
「暑い……」
俺は机に突っ伏してぐったりと体の力を抜く。
今日の6限、最後の授業は体育だったので、かなり汗をかいた。部室もそろそろ涼しくしないと、猫たちも熱中症になってしまいそうだ。
「今の時期って、女子の方はなにしてるの?」
男女で分かれて体育をしているので、ふと気になったことを教室に戻ってきた紬に質問してみる。
「バスケットボールです」
「そうなんだ、楽しそう」
「蒼大くんたちはなにをしているんですか?」
紬は、掃除に行こうと椅子を机の上によいしょ、と上げながら聞き返してくる。
「俺たちはサッカーやってるよ」
「蒼大くんは走り回ってそうですね」
紬は乱れた俺の髪を眺めて、微笑みながらそう言う。ノートの端に、「あとで直してあげます」とささっと書いたのも見えた。
クラスではほんとの想いを言わないあたりは、1年前と変わってない。
それはそうと、この時期にサッカーするのは暑すぎる。まだ汗が引かないので、正直ちょっと気にしている。あとでちゃんと拭くかなあ。
「お、思ったより涼しい。助かった……」
部室が入っている建物は、午後は日陰になるので周りよりかはいくらか気温が低い。俺たちが入ると、外からの風が流れ込んできたからか猫たちはのそのそ起き上がる。
俺たちが夕方部室にやってくると、ちゅーるが出てくるということを覚えたようだ。
俺はしらたまとハルにちゅーるをあげ終えると、紬のもとにおもちとシロが集まっているのをちょっと離れて見ながら、制汗シートを取り出す。
さっきタオルで拭いたけど、紬がそばにいるんだし、気をつけないと。
「……私も1枚もらっていいですか?」
「必要だったら、何枚でも使っていいよ」
制汗シートを使っているのを見て、どうやら紬も使いたくなったらしい。まあ、屋内といえどもバスケの動きは激しいし、汗はかくだろう。
もうちゅーるがなくなったのに、なにか取り出してるなと、猫たちは勘違いして見つめている。
「……これで、蒼大くんと同じ香りです」
紬はすんすん、と香りを嗅いだあと、ぼそっと呟く。
今日は一番好きな、爽やかなミントの香りのものを選んできていて良かった。……俺と同じ香りなのは、そんなに嬉しいのだろうか、とも一瞬思ったが。
しかし、暑いのもそう悪くはないな。
フライング気味な暑さの中、そんなことを思った。
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