第90話 紬とお掃除

 高校の入学式は、在校生は基本的に行かないで良いので楽だ。


 そういうわけで今日は時間もたくさんあるし、念入りに掃除するか、と思って窓を開けていく。

 掃除機の音を嫌がるきなこには、俺の部屋に避難してもらう。

 

 冬のあいだ、たくさん生えていた保温性抜群の毛が、夏が近づいてくるにつれて生え変わるので、その分抜けた毛も多くなる。


 猫の種類によっては、その生え変わりや成長によって色が変わったりする。

 うちのきなこのトラ模様はほぼ変わらないけど、部室の子猫たちはこれから大きくなるにつれ体色が変わっていくこともあるだろう。これからが楽しみだ。


 

 リビングを掃除していると、インターホンが鳴って紬の姿が画面に映し出された。


 今朝は特に連絡もなかったので、思いがけない早い時間の訪問に胸が踊る。


 「おはようございます、蒼大くん。あ……お掃除中だったんですね」


 壁に掃除機を立てかけていたのに気付かれてしまった。あとやり残したところは俺の部屋とか玄関ぐらいだから、夜に済ませてもいいかな。

 

 「ごめん。今日はどこか出かける?」

 「そうですね……。あの、もし蒼大くんが良ければ、手伝いましょうか?」


 紬は想定外の提案をしてくる。

 別に見られても困るようなものは置いてないし、ある程度綺麗だとは思うけど、汚いところがあったら見せたくないしなあ……。


 「……散らかってるかも」

 「掃除は好きなので、大丈夫ですよ」


 俺の意図とはちょっと違う返しが来たが……そこまで言ってくれるなら、と思う。

 紬は、もう断られるとは思ってなさそうな表情をしている。


 「……じゃあ、お願いします」


 俺がぺこっと頭を下げると、紬は嬉しそうに微笑んで見せた。



 「どのあたりをやりますか?」

 「あと俺の部屋とかぐらいだから、そこまでやってもらいたいことはない……かも」


 紬の仕事は、安全地帯から見守ってもらうことぐらいにしておこう。

 そう思って伝えると、紬はなにか仕事をしたかったのか微妙な反応をする。


 「そうですか……。普段蒼大くんのお家に入り浸っているので、少しでもお手伝いしたいと思ったのですが」

 「それなら、リビングできなこの相手をしておいてもらおうかな」

 「分かりました」


 俺が仕事を任せると、紬は納得いったようで、きなこを抱きかかえてリビングへと歩いていった。



 ベッドの下であったり、椅子の上だったりときなこがよくいるスペースを重点的に掃除していく。

 どちらにせよ、色んなところに毛が舞って飛んでいるから全体的に掃除しないといけないけど。


 ロボット掃除機があれば楽なのかな……とか思ったりする。貯金はあるから、そこからお金出そうかな。


 この太い毛はきなこのひげだな、と思いながら拾う。財布に入れておくか。



 うん、綺麗になった……ような気はする。目に見える変化はほぼないけれど、たぶん空気は綺麗になった、よし。


 網戸まで閉めて、掃除は終わりだ。


 俺がリビングに戻ると、急にきなこが窓の方に向かって走り出して、大ジャンプを見せる。どうしたどうした。


 「蒼大くん、虫がいます」

 「え、どこ?」


 紬がじっと見つめて、びしっと人差し指を指したところを目がけて、またきなこがショーのイルカのように跳ねる。


 「……あれか」


 目を凝らすと、上手くきなこの攻撃を躱した小さな羽虫がより上の方へと飛んでいくのが見えた。

 虫追尾モードになったきなこは、狩人としての本能が覚醒する。いまも瞳を細めて、虫がたどる不規則なルートをじっと観察して後を追っている。


 紬も、そんなきなこを視線で追っている。


 「俺が捕まえるよ。きなこが食べてしまってもいけないし」


 椅子を持ってきて、俺はティッシュで包もうと試みる。


 「気をつけてくださいね」

 「うん、大丈夫。……よいっと」


 俺は天井で一休みしている虫にさっとティッシュを被せる。これで我が家の平和は保たれた。


 「……もう大丈夫だよ、紬」

 

 紬は椅子に上った俺の腰を下から支えてくれていた。腕を回して、俺が足を滑らせないようにしていてくれたらしい。


 「……紬?」

 「い、いえ……なんでもないです」


 紬は慌てて回していた腕をほどく。

 なかなか支えるのをやめようとしなかったのは……なんでだろ。



 「手伝ってくれてありがとう」


 外に出て虫を逃がしたあと、俺は感謝を伝えようとなんとなく紬の頭に手を伸ばす。もちろん手は洗っている。

 思わず撫でたくなる不思議な力を、彼女は持っている。


 「わ……びっくりしました」

 「あ、ごめん」


 「……やめるんですか」


 俺が手を引っ込めると、それはそれで不満だったらしい。

 俺の手を掴んで、ほんとにいいのか、と尋ねてくる。

 

 「……やめません」


 ぽふっと紬の頭に手を乗せて、また撫で始める。


 紬の頭を撫でながら、きなこがリビングを歩き回り、カーテンの裏側まで入念にチェックしているのをつい口元を緩ませて眺めた。


 ……ずっともういない虫を探している、というのは可哀想なのでしばらくしておもちゃで気を引いたが。

 


 

 


 





 


 



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