第86話 新たな過ごし方

 2年生として初めて受ける授業が始まる、ということで、俺は普段より少し早く椅子に座る。


 紬も俺と同じタイミングで席について、目を細めて微笑みかけてくる。


 「この前までと変わらない景色ですね」

 「うん。これまでと変わらずよろしく」


 奇跡的に、座席の配置まで変わっていない。


 1限の授業を担当する早乙女先生がカツン、カツンと靴音を響かせながら廊下を歩いてくる。

 さっそく去年と同じように小テストとか始めそう。


 「数学担当の早乙女だ。去年持っていなかった生徒もいるようだな。まあ、よろしく頼む。

 ……それじゃあ、さっそく授業を進めていこう」


 ……さすがにそんなことはなく、軽く自己紹介から始めている。

 もっと時間を稼ぐ先生もいるのに、早乙女先生らしくあっさりと自己紹介を終え、さっそく板書しだした。


 チョークが黒板に文字を刻む音がリズム良く鳴っていく中、紬はちょんちょんと俺の肩をつつく。


 「……あの。申し訳ないのですが……教科書、見せてもらえますか?」

 「うん、もちろん。珍しいね」

 「入れたはずなのですが……」


 紬は、机をじわじわと俺の方に近づけてきて、椅子も寄せてからこそっと頼んでくる。

 早乙女先生は黒板の方を向いているのでタイミング的にはバッチリだ。


 「これで見える?」


 俺は教科書を開いて、しっかりと開き目をつける。


 「はい、大丈夫です。ありがとうございます」


 まあ、たまにはこういうこともあるだろう。それに、久しぶりの授業なんだし。


 ……にしても、この距離感で授業を受けるのは、いつまで経っても慣れない。


 ほぼ、紬は俺に寄りかかってきていると言っても過言ではないような体勢だ。

 紬がペンを動かしたり、前の人に遮られている黒板を見るために体を揺らすたびに、ふんわりと心地よい香りが広がる。


 ……いかんいかん、最初の授業なんだし、もう少し集中していかなければ。


 「忘れたはずはない、と思ってましたが……蒼大くんのすぐ隣で授業を受けられますし、良いこともありますね」

 「それは……」


 紬が囁いて、俺は照れ隠しに慌ててペンを動かす。


 「猫村、いい具合にペンが走っているな……では、ここの問題で使う公式は?」

 「お、俺ですか……」


 さっきまで集中していなかったのが、実はバレていたのかもしれない。

 ウォーミングアップのような問いだから、助かったといえば助かった。


 「これは、相加相乗平均の考え方を用いると良いと思います」

 「うん。合っている。それでここは……」


 早乙女先生は満足そうに頷いて、解説を続けていく。ふぅ、ひとまず安心。



 その後は紬が少しうとうとして本格的に俺に寄りかかってきたぐらいで、いつの間にか1限の終わりのチャイムが響く。

 

 「……あれ?」


 紬が机の中から次の時間の教材を出すと、数学の教科書はその上に載っかって一緒に出てきた。


 「お、普通にあったね」

 「あ、あの……これは……。け、決してわざと忘れたふりをしたわけではなく」


 紬は恥ずかしそうに、必死に否定してくる。

 数学の教科書は他と比べても小さいので、忘れたと勘違いすることはあり得ると思う。


 「紬ならたぶんそんなことしないから、案外ドジなんだなーって思っただけだよ」

 「……からかってますね?」


 ついニヤッとしてしまっていたのかもしれない。紬はジトッとした目でこちらを捉える。


 「いや、たまにそんなところを見せてくれるのも……可愛いな、と」

 「……い、いきなりですね」


 そうは言っているけれど、嬉しそうに口元が緩んだのは見逃さなかった。




 「よし、やっと昼休みだ。行こう、紬」

 「はい。朝は先生からご飯も食べていた、と聞いていますが、早く様子を見に行きたいと思っていました」


 あっという間に4限まで終わり、チャイムが鳴り終わる前に俺たちはお昼ご飯を手に教室を飛び出す。

 

 「皆どんな感じかな」


 そう言いながら部室のドアを開けると、相変わらず子猫たちは追いかけっこをして戯れていた。

 母猫は、やっぱり少し離れた位置から俺たちの様子を観察しているようだ。


 「ちょっと活動してから、お昼ご飯をいただこう」


 そう言ってから、俺は廊下に段ボールを取りに行く。


 「なにするんですか?」

 「ん、隠れ家を作ろうと思って」

 

 ペンとカッターナイフをポケットから取り出し、簡単なキャットタワーみたいにしようというイメージの下、作業を始める。

 ペンで簡単に印をつけて、カッターナイフでさくさくと刻む。

 

 「この3つは積み上げますか?」

 「うん。ちょっと大きいから、気をつけてね」


 俺が穴を開けた、大中小とそれぞれサイズが違う段ボールの箱を、紬はくっつけながら積み上げていく。


 「これで、多少はストレスも減るはず。もう少し時間が経ったら人にも慣れてきてくれるとは思うけど」


 これは、自分に言い聞かせている面もある。

 野良猫の警戒心は野生を生き抜くためのものだから、そんなにすぐは慣れてくれないものだ。……そう思っても、初めて経験することなので少し寂しい。


 「もう入ってくれてますよ」


 母猫は、ひょいひょいっと段ボールを駆け上がり、一番上の穴から顔だけを出して外を眺めている。


 「そろそろ、名前も決めてあげないとね」

 「そうですね……候補、考えておきます」


 母猫の安らぎの場所を作れて、ほっとしながらお弁当箱を開ける。

 可愛らしい猫を見ながらお昼をふたりでまったりいただく、という新たな昼休みの過ごし方が確立されそうだ。





 


 







 


 

 







 






 

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