第81話 新学年

 春休みは、迷子の猫探しと紬と一緒にお風呂、という強烈なイベント以外には、なんということもなく、のほほんと過ぎていった。



 「……蒼大くん、蒼大くん」

 「ん……」


 昨日、寝ようとしたらきなこが夜の大運動会を始めてしまったので、もう少し寝たいところではある。


 「起きてください」


 さっきまでは声をかけるだけだった紬に、ゆさゆさと揺さぶられて、俺はゆっくりと目を開ける。

 明るい朝日が窓から差し込んできていて、カーテンがそよ風に揺られている。


 「……今日はいい夢だなあ」


 最近は、起きても夢の内容を覚えていないことのほうが多いので、今日のこの紬が起こしに来てくれた絵画的な朝の風景は、なんとしても覚えておきたい。


 「蒼大くんってば……このままだと、遅れてしまいますよ?」

 「え……あれ?」


 俺はゆっくりと体を起こすと、どうやら紬がそこにいるのは現実だったようだと気付いた。

 と同時に、今日から学校が始まるという目を背けていた現実にも気付かされる。

 

 ……紬が普通に俺の家に泊まるようになった時点で、イベントありまくりだな。なんということもなく……ない。




 15分で支度を済ませ、俺は紬と並んで新調したスニーカーの音を鳴らして歩く。

 休み明けだけど少しは気分が軽く……

 

 「やっぱり、足が重い……」

 「何言ってるんですか、蒼大くん。今日から2年生ですから、きっと楽しいこともあります」


 2年生といえば修学旅行か……その間、クロときなこにはどう過ごしてもらおうか、と少し心配する。気が早いけれど。


 ……ん? 心配事といえば……。


 「クラス替え、あるじゃん」

 「ほ、ほんとです! ……もしかしたら、違うクラスになってしまうこともあるんでしょうか」


 残念ながら、確率的にはそっちの方が高い。

 俺たちはしばらく無言で、無情の宣告が行われるかもしれない学校へと足を進める。


 「……もし違うクラスになっても、お昼は一緒に過ごしてくれますか?」


 一瞬野良猫が視界の端を駆け抜けて行ったように感じたが、それに気付かないほど、紬は気が気でない様子だ。

 安心させるべく、俺はかける言葉を探す。


 「もちろん。もし……もしだけど、違うクラスだったら休み時間にそっちに行くよ」

 「ありがとうございます」


 ちょっとは心が静まったようだ。

 クラス替え、ほんとに重要だからそこのところよろしくお願いします……と、今更願っても遅い気はするが、祈りながら歩いた。


 

 学校にたどり着いた俺たちは、恐る恐るクラス替えの掲示を眺める。まだ時間には余裕があるはずなのに、掲示に近づくのに少し苦労した。

 担任の先生から伝え聞くよりは、登校してきてすぐの廊下に貼られてある方が、心臓に悪いドキドキ感を味わわずに済む。


 「……あった」


 俺は、まだ見つけられていない紬がわかるように、指して示す。

 

 「……安心、しました。今年もよろしくお願いします」

 「こちらこそ」


 ここが、ふたりだけの空間だったらもう少し良かったなあ……。

 クラス替え、という一大イベントの注目度は当然高いため、周りが騒がしい。

 

 「あいつ……」

 「俺も同じクラスだったらなあ」

 「いや、お前は花野井さんの視界にすら入ってねえだろ」

 「え、そんなことある!? ……あるかなあ」


 ……さっさと退散しよ。

 あと最後の方はもう少し自信持ってほしい。

 

 そうして、朝のホームルームがある1年生の頃の教室に向かっていると。


 「お、猫村と花野井。いいところに」

 「あ、おはようございます」


 このまえまで担任だった、早乙女先生に声をかけられた。

 乙女という名前がそのオーラを隠しきれていないように、クール美人な早乙女先生は、男子生徒はもちろん、女子からも人気がある。

 ……クール過ぎて、俺からすると少し話しかけづらかったりもする。


 「ちょっと、職員室に来てくれるか?」


 ……新学期早々、職員室か。

 なにかやらかしたかな、と思って、少し憂鬱な気分でついていく。

 やましいことは特にないはずなのに、こうも気が沈む職員室は逆の意味でパワースポットかもしれない。



 ……もしかしたら、部室の無断使用がバレたとか?  

 ありえなくもない可能性に気付き、俺は紬の手を握って引き返したくなる。もう職員室の前だけど。


 「座っていいぞ」 

 「……な、なにかしましたか?」

 「ああ、すまん」


 紬が心配そうに尋ねると、早乙女先生はくすっと笑う。

 この人、笑うんだ……とちょっと感動に近いようなものを覚えた。


 「私だって笑うこともあるぞ、猫村」

 「あ……はい」


 急に真顔でこっちを見てきたので、一瞬ビクッとしてしまった。最近良く心を読まれている気がします。


 「今日、こうやって声をかけたのは」


 早乙女先生は、一呼吸置いて俺たちのことを交互に見て続ける。


 「……猫、についてのことでちょっとな」

 「「詳しく、お願いします」」


 俺たちは、息もぴったりに食い気味に言う。

 これからまた、新たな猫との出会いがあるのかもしれない。

 

 


 

 





 



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