第80話 お風呂上がり

 お待たせしました、と声をかけられて、俺はお風呂場から顔と腕だけを出して着替えを掴む。


 そして高速着替えを済ませて今度こそお風呂場から出ると、紬は念入りにタオルで髪の毛を乾かしていた。

 その姿を見て、俺の口からは自然に言葉が出てきた。


 「……もしよかったら、でいいけど」

 「どうか、しましたか?」


 紬が振り向いて、水滴がついたベージュ色の髪が軽やかに揺れる。

 ちょっとだけ、期待のこもった瞳をしているようにも見える……ような。


 「紬の髪の毛、乾かしてもいい?」

 「……! もちろんです」


 俺がそんなことを実際に言うとは思っていなかったのか、紬は一瞬目を丸くする。

 それから、緩みきった笑顔を見せてくれる。


 「ちょっと椅子持ってくるから、待ってて」

 「わかりました」


 猫たちはドライヤーの音を嫌がるので、その騒音がなるべく耳に入らないよう、普段からリビングではなく洗面所で髪を乾かしている。

 前、それをきなこが覗きに来て、使ったあとのドライヤーに猫パンチをお見舞いしていたなあ、と思い出す。


 「ごめん、お待たせ」

 「いえ。きなこちゃんや、クロのことを考えての行動ですよね。蒼大くんは……憧れるぐらい、優しいです」

 「そんなに褒めても……なにも出ないよ」


 褒めまくられて、俺はたじろぐ。

 これ以上なにもせずに立っていると、褒め殺されそうなので、さっそく俺はドライヤーを手に取る。


 根元の方からしっかりと乾くように、俺は気を配って乾かしていく。

 日頃のケアの結果で、この綺麗な髪になっていると思うと絶対に俺が傷つけるわけにはいかない、と緊張感を持って進める。

  

 「上手ですね、蒼大くん」

 「そう? 髪、引っかけたりしてない?」

 「大丈夫ですよ。猫のブラッシングで、慣れているのかもしれませんね」


 くすっと微笑んで、紬は椅子に座ったまま

俺の方を見上げる。 


 「……ほんと、いつもこれだけの髪のお手入れをしているのはすごいなあ」


 実際にこうしてやってみると、髪が短いとどれだけ楽か、ということに気付かされる。

 きなこたちも、念入りに毛づくろいしたりするから……長い綺麗な毛を持つのも、大変なことなんだろうな、と思う。


 「もちろん、大変だと思うときもあります。でも、先程蒼大くんに可愛いと言ってもらえたので……これからは、毎日の楽しみになりそうです」

 「……無理は、しないでね?」

 「ご心配なく」



 「こんな感じで……どうでしょうか」


 俺はつい、美容師さんみたいな質問をしてしまう。


 「はい。ありがとうございます」


 紬は満足そうな笑顔で頷いてくれた。

 

 俺たちは、さっぱりとしてリビングに向かう。


 紬が着ている真っ白な、もこもこなパジャマは、猫たちにとっても肌触りがいいようで、2匹に囲まれている。


 しばらくじゃれ合っているうちに、紬はまぶたが重くなってきたようで、ふわっとあくびをする。

 俺と目が合うと、少しきまりが悪そうに頬を赤く染める。

 

 「……なんだか、眠くなってきました」

 「俺はまだ大丈夫だから、ベッド使ってもいいよ」

 「いいんですか?」

 「うん。遠慮しなくていいよ」


 今日は猫探しもしているわけだし、疲れも溜まっていることだろうと思って俺は紬をベッドまで誘導する。

 紬が少し休んでいる間に、夕食を作っておくか。


 ◆◇◆◇◆


 「……蒼大くんといると、寂しさなんてなくなるね」


 私、花野井紬は……ベッドに潜り込んできたクロに話しかける。


 ……普段、私の今の家で暮らしていると、クロがいるのにも関わらず、どうしても寂しさを感じてしまう時がある。

 けど、蒼大くんといると……全てが満たされたような、幸せな気持ちが湧いてくる。


 「今日も、新しい一面を見れた気がする」


 お風呂でもそうだ。初めて見る蒼大くんの体は……引き締まっていて、かっこよかった。

 ……私、初めて男の人の体を見てしまったかも?


 「ち、ちょっと早すぎたかも……」


 今更大胆な行動をしてしまったことに気がついて、ひとり布団の中で悶絶する。幸い、換気扇が回っていて、布団の中でじたばたしているのは蒼大くんには気付かれなかった。

 

 ◆◇◆◇◆


 「どうぞ」

 「すみません、私が寝ている間に……」

 「気にしないで」


 俺は、紬がちょっと寝ている間に軽く野菜炒めとコンソメスープをこしらえた。

 いま感じているのは、申し訳なさだけではなさそうだけど……耳まで赤くなっているのは、どうしてだろ。


 「……どう?」

 「美味しいです。蒼大くんらしい、優しい味付けと言うのが正しい気がします」

 「そっか。それなら良かった」


 ほんとに軽く作ったけれど、喜んでもらえて良かった。夕食を食べ終えたら、もうお風呂にも入ったわけだし、少し早い気もするけど布団に入ろう。


 紬が泊まっていくことがだんだんと普通になってきたのは、嬉しく感じる。

 それをただの普通にするんじゃなく、その中で、毎日新しいことを知っていけたりしたらいいな。



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