第78話 洗いあい
「その……着替えて、きました」
水着だけで待っておくのはないな、と思いながら上着を羽織ってうろうろしていたタイミングで、紬は戻ってきた。
水着の上に、パーカーを羽織ってきたようだ。
「……じゃ、入ろうか」
「そ、そうですね」
洗面所で、俺たちふたりは動きを止める。ドキドキして、足を一歩前に出すという動きさえ普段通り出来ているかわからない。
「い、行きましょう……蒼大くん?」
「そうだね、紬」
紬が柔らかい手で俺の手に触れてくる。
やっと俺の体は普段通りに動きはじめた。
「俺はお風呂場に入ってから上着を脱ぐから、紬はここで……」
「わかりました」
「脱いでいいよ」と言うのは気が引けて、俺はお風呂場へ一足先に踏み入れる。
ドアの向こう側から、布と肌が擦れる音がかすかに聞こえてくる。その光景は、こちらからは見えないけれど、音から想像がかき立てられる。
「……し、失礼します」
紬はお風呂場のドアを開けて、ゆっくりと入ってくる。
「……これしか持ってなくて」
「そ、そっか」
紬はスクール水着を身に着けている。最近は着る機会もなかったのか、少しきつそうに気にしたりしている。
紬はあんまり海とかプールとかに行きそうなイメージはないからなあ。実際のところ、どうなのかはあまり知らないけど。
「あ……すみません」
「ごめん」
ふたりが入るのには余裕があるお風呂場のスペースだけど、紬の手と俺の肩が触れる。
俺の生身の肌に触れて、紬は恥ずかしそうにうつむき加減になる。
「無理、してない? 紬が嫌だったら……」
「い、嫌ではないです。緊張、してしまって」
紬は、慌てて嫌ではないと伝えてくる。
かなり恥ずかしそうではあるけど、嫌ではないのならひとまず安心だ。
俺の鼓動も早まっている点では、まったく安心できないけど。
なんと声をかけたらいいんだろう、とか次はどうしたらいいんだろう、と必死に頭を巡らせる。誰か教えて。
「紬が嫌じゃなかったら、でいいけど……髪、洗ってあげようか?」
「はい……! お願いします」
紬はちょっと緊張が緩んだような、いつものように微笑みを見せる。
……そうは提案したものの、女の子の髪の洗い方とか分からん。
「きなこちゃんを洗うときみたいに、優しくしてもらえたら大丈夫です」
俺が蛇口に手を置いて考えていると、紬は振り向く。俺の考えは読まれているらしい。
「なら、分かったかも」
俺は程よく温かいお湯が出てきたのを確認して、撫でるように紬の髪を洗っていく。
絹みたい、という表現が思いつくような美しい髪が、水分を含んでちょっと重くなってきた。
シャンプーを泡立てて、丁寧に泡を髪全体に広げていく。こんな感じ?と問いかけると、上手ですと返ってきた。
「いつも、大変じゃない?」
「そうですね……でも、こうやって長くするのが、お気に入りなんです」
「そうなんだ。俺も紬のこの髪型、好きだなあ」
微笑んだ横顔も可愛らしい紬の髪の先に触れながら、そう呟く。
「……ほんとですか」
「うん。このぐらいの長さが一番好きかも」
「ずっと、この長さにしておくかもしれません」
紬は、腰のあたりまで流れるようにかかっている髪を、大事そうに触った。
そのあとは、さっきまでと同じように優しく触れながら、お湯でシャンプーを洗い流した。
「今度は、私の番ですね」
「うん、よろしくお願いします」
俺は椅子にちょこんと座って、紬の小さな手にされるがままに洗ってもらう。
「紬の手、気持ちいい」
「これぐらいの力でいいんですね」
ちょうど良い加減で、頭皮マッサージとかになってそうだとか思う。
「……このまま、背中まで流してあげますね」
「紬が大丈夫なら、やってくれるとほんとに嬉しい」
さっきの反応を見るに、大丈夫かどうかは怪しい気がする。無理はしないでいいんだけどな……。
「……これ、筋肉ですか?」
「たぶんそう、かな。たまにきなこに監督されながら筋トレしたりするから」
「……男の子っぽい体、ですね」
紬はそう言って、俺の肩まわりや背中に触れながら褒めてくれる。
きなこに乗られて負荷を増やされたりする日もあるけど、その努力も報われた。
「ありがとね、紬」
紬に背中を流してもらった俺は、椅子からゆっくりと立ち上がる。あとはちょっと足とか流すか。
……紬は、どうするんだろ。
「いえ。その……や、やっぱり体は自分で洗いますね」
「うん、分かった」
俺としてもまともに洗える自信はなかったので、助かった。
……まだ湯船にはつかってないけど、この先どうなってしまうんだろう。
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