第77話 猫たちとお風呂

 公園を出てから、紬は俺の手をぎゅっと握りしめる。いつもより、握る手に力が込められているような。


 「……蒼大くんって、モテますよね」

 「……そう? 紬と付き合うまで、誰とも付き合ったことないけど」

 「ほんとに、自覚はないんですね」


 ちょっと呆れたような目をこちらに向けてくるけど、口ぶりは嬉しそうだ。

 そして、微笑んでから続ける。


 「……言おうとしてたこと、忘れてしまいました」

 「そっか。思い出したらでいいよ」

 「……忘れた、ってことにしただけです」


 紬は、やっぱり蒼大くんですね、と付け加える。

 めちゃくちゃ笑顔で答えちゃったよ、恥ずかし……と思いながら、俺は紬の手をしっかりと握って、家へと歩いた。



 「さて、きなことクロも洗ってあげようか」

 「そうですね。いつもはドライシャンプーを使っているので……入ってくれると良いのですが」


 紬も、クロがお風呂に入っているのを想像しているのか、既に楽しそうだ。

  

 リビングに入らずに、俺と紬はそれぞれきなことクロの名前を呼ぶ。


 すると、少し寂しかったのか急ぎ足で洗面所までやってきてくれた。

 今日はずっと家空けててごめん、と心の中で謝りながらお風呂場へと誘導する。


 「この猫用シャンプーで洗っていこう」

 「わかりました。やっぱり人用はだめなんですね」

 「うん。人用のシャンプーは猫からしたら少し刺激が強すぎるからね」

 「なるほど。……いつも通り、蒼大くんはすごいですね」

 「ありがとう」


 そう返しながら、照れ隠しに手を動かして、きなこを抱きかかえる。

 大きめな洗面器に入れて、シャンプーでわしゃわしゃと洗っていく。


 前よりもだいぶ、お風呂にも慣れてきたようで、暴れることもなく身を任せてくれる。


 全身を洗い終えて、すっかり細身に見えるようになったきなこの体をゆっくりと流す。

 このとき、シャワーは使わないように。シャワーの音でびっくりしたりするから。


 柔らかなタオルで水分を拭き取り、さっぱりとしたきなこを洗面所の方に送り出す。


 「わっ」


 きなこがお湯を張った洗面器を引っかけて、お湯が紬にかかってしまう。お湯、といってもぬるま湯程度だけど。

 きなこは、自分がしたことに驚いて、ジャンプして走り去って行った。


 「紬、これ着て」


 俺は羽織っていた上着を脱いで、紬にそのままかける。季節の変わり目だし、冷えてしまって風邪を引いたら大変だ。


 「い、いいんですか」

 「大丈夫だよ。さっきから、お風呂場暑いなあ、って思ってたところだったし」

 「……ありがとうございます」


 紬は、だぼだぼな上着の袖から綺麗な透明感のある手を出す。袖を鼻に近づけて、すんすんと匂いを嗅いでいる。

 

 「蒼大くんの匂いがします」


 それから、俺に微笑みかけてそう言う。


 「なっ……」


 その無垢な表情に、俺はどきりとさせられる。そろそろ可愛さを自覚してもらいたいものだ。

 心臓がきゅんと、縮まるのを感じた。


 「洗いはじめますね」

 「う、うん」


 俺がきなこを洗ったのと同じように、紬はシャンプーを泡立ててクロの体を洗っていく。

 クロは喉を鳴らしながら、紬の手に身を委ねている。 


 きれいに洗い流し終わったあと、クロはひょいっと湯船のふちに上がる。

 ゆっくりと手を伸ばして、湯船の浅くなっているところに恐る恐る下りる。


 「クロはお風呂好きなんだね」

 「そうみたいですね。ふふっ、泳いでますよ」


 犬かきならぬ猫かきってところか。

 悠々と湯船を泳ぐクロを、顔を見合わせて微笑みながら見守った。



 クロがのぼせてしまう前に、お風呂場から引き揚げる。クロもさっぱりとした様子で、体が軽そうにも見える。

 走ってリビングに向かうクロのあとをゆっくり歩く。


 「……あの」


 紬は、なにか言いたげに俺の長袖シャツを掴む。お風呂につかってもいないのに、頬をほんのり赤らめている。


 「ん、どうしたの?」

 「……私たちも、お風呂に入りませんか? その……一緒に」

 「い、いいけど……」

 「も、もちろん水着は着ますから」


 俺の心配事を察したらしく、紬は慌てて重要なことを付け足す。

 見てみたくない、とか言う思春期高校生はたぶんいないだろうけど、流石に早すぎる。というか、水着姿でもう満足してしまいそう。そうに違いない。


 「……準備、あるよね? ちょっと待ってるね」

 「はい。……準備、してきます」


 洗面所のドアから顔だけのぞかせて言うと、紬は自宅に水着を取りに向かった。

 

 「……緊張してきた」


 ばくばくと、心臓が跳ねている音が感じられる。

 ひとり残された俺は、深呼吸しながらお風呂の準備を始めた。


 

 






 


 


 


 


 

 


 





 


 


 

 


 

 




 


 



 

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