第76話 意外な飼い主
家に戻ってくると、リビングに上がることなくそのままお風呂場に直行する。
大丈夫だとは思うけど、きなこやクロにノミとかが移ったらいけないし、それにこの猫ちゃんの汚れも落としてあげたい。
もともと灰色っぽい毛をしているようだけど、ところどころ黒ずんでいたりするから。
シャワーから程よい温度のお湯が出てきたのを確かめて頷いてみせると、紬はゆっくりと猫をお風呂場の床に下ろす。
……が、流石に見知らぬところで水が近くにあるのは嫌だったらしい。
シャーッと、威嚇するように鳴いている。
「……お風呂は、無理そうですね」
「うーん、蒸しタオルとかで拭いてあげようかな」
「用意してきますね」
「うん、頼んだ」
紬は先にお風呂場を出て、タオルを取ってきてくれる。
俺も、少し猫ちゃんが落ち着いてきたので軽く抱いてお風呂場を出た。
タオルをお湯につけてから絞り、猫の体を優しく拭く。最初は少し警戒していたようだったけど、慣れてきたのかごろごろ喉を鳴らし始めた。
「きなこちゃんとクロも、お風呂に入れてあげたいですね」
「あとで入れてあげよっか」
紬は微笑ましそうに、だんだんと毛並みが整っていく猫を眺めて言う。
俺もたまにきなこをお風呂に入れたりするが、最初の頃は暴れ回って引っかかれたなあ……と遠い目になる。
「そろそろいいかな。うん、だいぶさっぱりした」
乾いたタオルでぽんぽんと水分を拭き取ってから、玄関からすぐの部屋を自由に歩き回ってもらうことにした。
「とりあえず電話かけるか……うーん、いきなり電話は気が引けるなあ」
「はい、私も……」
そういえば、紬はあんまり他の人と積極的に絡んでいくタイプではなかったな、と思う。
ここは俺が奮起するしかなさそうだ。
貼り紙に書かれてあった番号を打ち込み、電話をかける。
「もしもし、あの……貼り紙をして探されていた猫、見つけました」
俺が第一声を発するのを、紬は固唾を飲んで見守っている。
『ほんとですか、なんとお礼を言って良いか……!』
優しそうな声が、向こうから聞こえてくる。やっぱり猫好きに悪い人はいないな。
なんだか、聞いたことがある声のような気もするが。
「いえ……猫好きとして、見つけられて良かったです。どちらまで送っていったらいいですか?」
『いなくなったところの隣の公園でいいでしょうか?』
「はい、大丈夫です。いまから行きますね」
『お願いします』
「ふぅ……」
一度電話するだけで、どっと疲れがくる。 紬との電話なら、いくらでも大丈夫なんだけど。
「お疲れ様です。……行きましょうか、蒼大くん」
「そうだね、行こう」
公園に着くと、屋根の下でもう俺たちを待っている人影が見えた。
キャリーケースが揺れないように、慎重に歩いていく。
「本当にありがとうございます……って、あれ?」
「いえ、そんなにお礼を言われるまでのことは……ん?」
お互いの顔を見て、俺たちはあることに気が付いた。
この……ハーフアップにした明るい髪、大きな茶色の瞳……もしかして。
「「もしかして」」
「……蒼大先輩ですか?」
「……陽翔の妹の、優愛、だよね?」
なんだか聞いたことがある声だなと想ったのは、そういうことだったのか。
たまに遊びに行ったりもしていたし、何より紺野家のDNAを感じる整った顔立ちは、印象に残っている。
「……なっ」
俺の隣にひっそりと立っていた紬が、急に存在感を主張するように袖を引いてきた。
……親友の妹とは言え、名前呼びはまずかっただろうか。
「ありがとうございます、蒼大先輩」
「あ……うん。これからはちゃんと見てあげててね」
「はい、気を付けます……」
「そこまで気にすることはないよ」
「キャリーケースは今度陽翔に持ってきてもらおうかな」とだけ言って、俺は帰ろうとする。
「……久しぶりなのに、ずいぶんそっけないです。蒼大先輩って、妹いたんですか?」
「え? ああ、紬は……」
そう言いかけたところで、紺野家のDNAを持つ男が走ってやってきた。
「お、あれ? 蒼大と、花野井さんじゃん」
「どうしたの、お兄ちゃん」
「いやちょっと妹が心配でな」
シスコン……?と突っ込もうかと迷って、いちおうやめておいた。
見たことあるとは言え、新たな人物がいきなり登場したせいか、紬は俺の袖をぎゅっと握りしめる。俺も勢いに少しばかりびびったよ。
「陽翔の家でも猫飼い始めたんだね、俺の布教の効果かな」
「まあ、それもあるな。今度またいろいろ教えてくれ」
「おう、いつでも聞いてもらっていいよ」
じゃあこれで……と今度こそ帰ろうとする。が、陽翔に制止させられた。
「あ、ひとつ聞きたい。もしかして、蒼大と花野井さんって……?」
猫に関する質問じゃないじゃん、とか察してくれよ、とか思ったりもする。最近のクラスでのデレを目撃してなかったのかこいつは。
「あ、ああ。付き合ってる」
「……ひゃっ」
紬は恥ずかしそうに、下を向く。いつもはアピールしてほしそうだけど。
「そ、そうなんですね! ……蒼大先輩も隅に置けないなー」
優愛は、少しだけ動揺しているようにも見えたが、いつも通りのテンションで返してくる。
「まあ、またその話は今度」
そう話を切って、そろそろ帰ろうと紬に声をかける。
帰ったら、うちの可愛い猫たちをお風呂に入れてあげなきゃだしな。
俺と紬は、紺野兄妹に手を振って公園を後にした。……紬の手の振りは、ちょっと小さかった。
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