第72話 ホワイトデー

 「紬が来るまでに、完成させないと」


 朝早く、俺はチョコチップクッキーを作ろうとひとり奮闘していた。


 なにを作ってるんだ、ときなこが台所に上がってボウルを覗き込む。おっと、チョコレートはいかんよ。


 「きなこは食べられないんだけどな……」


 俺は手を止めて、「ちょっと待ってて」と言いながらきなこを床に下ろす。

 ……甘いものが欲しいのか、それなら良いものがちょうど冷蔵庫に入ってるはず。


 「これならいいよ」


 俺は皿にちょこんと粒あんを載せて、きなこの前に置く。こないだパンに塗る用で買ってて良かった。


 なぜか、うちのきなこは粒あんが好きらしい。調べたら、粒あんは食べても大丈夫らしいけど、ほかの猫も好きなのかなあ。



 きなこが粒あんを美味しそうに食べるのを眺めながら、クッキーが焼き上がるのを待つ。

 普段から料理はしているが、お菓子はそこまで作ったことがない。ちょっと不安を感じながらオーブンを覗き込むと、きちんと焼けているようだった。

 実はこの前1回作ってみていて、その時は上手く行ってるから大丈夫か。



 オーブンからクッキーを取り出すと、美味しそうな色に焼き上がっていた。

 ひとつ口に運ぶと、さくっと程よい固さで時々出会うチョコチップが味も固さも良いアクセントになっている。

 よし、あとはこれを渡すだけだ。




 「おはようございます、蒼大くん」

 「おはよう、紬。 ……どうしたの、そんなに俺のことを見つめて」

 「いえ……少し眠そうだなと思いまして」

 「あ、まあ……ちょっとね」


 普段よりも1時間は早起きしたからかな、と思う。けど、もし疲れて見えるようならそれは問題だ。ホワイトデーのお返し作りで疲れた、なんてことはないから。

 

 「授業中、蒼大くんが眠っていたら、起こしてあげます」

 「……その前に紬は寝そうだけど」


 紬は年上の優しさ、なのか余裕のある笑みを浮かべて言う。あと1週間で追いついちゃうけどね。


 「ね、寝ませんよ」


 寝てしまって俺に起こされる想像ができたのか、恥ずかしそうに必死で否定してくる。


 「じゃあ、寝てたらよろしく」

 「はい。……だから、安心して眠ってください」


 真面目なタイプであるはずの紬は、俺にだけ甘くしてくれる。

 ま、寝ている紬を見るために、意地でも目を開いておくだろうから、大丈夫なんだけど。




 「結局、私が起こされてしまいました……」


 俺たちは安息の地(空き部室)で、昼ごはんをつつく。


 「紬は猫ぐらい寝るからね」

 「そ、そんなに寝てませんよ」


 ……嘘です。身長が低いことをいいことに、前の人に隠れて俺にもたれかかってぐっすり寝てた。

 それがあまりにも可愛らしくて、ちょっとの間あえて起こさなかったりもした。


 「午後は寝ませんから」

 「食後は誰でも眠くなるものだと思うけど」

 「……次は、私が起こします」


 紬は、負けず嫌いな一面を見せる。

 ……なら、その前に糖分補給してもらって頭が働くようにした方がいいな。


 「……あのさ、紬。渡したいものがある」


 俺はバッグから、チョコチップクッキーが入った小袋を探し出す。


 「バレンタインのお返し。喜んでもらえたら嬉しい」

 「ありがとうございます。実は……いつもらえるのかな、と期待してました」


 紬は大事そうに小袋を受け取る。今すぐにでも食べたい、と紬の表情が伝えている。


 「もしよかったら、いま感想が聞きたい」

 「はい。では……いただきます」


 紬がクッキーを食べるのを、俺は恐る恐る見守る。

 徐々に口元が緩んできて、俺はほっとした。


 「……好きな味、です。蒼大くんが作ってくれたと思うと、普通のクッキーの何倍も美味しく感じます」 


 またひとつ紬のことも知れて、褒めてもらえて、俺も美味しい思いをしている。


 「……この特等席で味わうのは、最高ですね」


 紬は俺に寄りかかってきて、クッキーを食べている。一旦こちらを見上げてきてそう言って、俺は悩殺されかけた。

 午後も頑張れそうだ。




 「わ、ありがとう」


 放課後、俺は紬がちょうどいないタイミングで相良さんにクッキーを手渡す。


 「わざわざ渡してくれてありがとね、味わってから感想は明日伝えるね!」


 紬に見られないように気を配ってくれたのか、相良さんはさっと帰っていく。

 けど、手をぶんぶん振っていたのであまり意味はない気が。




 「……これじゃ、特別感がないかな」


 俺は紬を校門で待ちながら、ぼそっと独り言を言う。相良さんの配慮は上手く行ったらしい。


 紬と相良さんに、同じクッキーを渡してしまったからなあ。紬の方に多く入れたとは言え、流石に彼女と女友だちで渡したものが一緒というのは……。


 「……いつも蒼大くんには、たくさんもらっていますから、大丈夫ですよ」


 ふと、そんな言葉が後ろから聞こえてきた。


 「そう、かな」

 「そうです。例えば……お昼を一緒に食べられるという特権も、私だけのものですから」


 紬は俺の隣に並びかけて、俺の方をちらっと見る。

 

 「たしかに」

 「これからもたくさんもらう予定、ですので」


 ふふっ、と女神のような優しい微笑みを見せて、紬は俺の手を引く。


 「帰りましょう、蒼大くん」

 「そうだね」


 すっきり気持ちは軽くなって、俺は歩き始める。とはいえ……言うことをなんでも聞く日、みたいな特別なものをあげてみてもいいかもしれない。

 


 

 




 

 



 

 


 


 

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