第67話 バレンタイン当日

 今日はバレンタイン当日……付け加えるなら、学年末テスト最初の日。

 テストのことは気にしなくていいや……。


 「……おはようございます。早すぎましたか?」


 空が明るくなり始めたころに、紬はやってきた。

 ちょうど制服の上着のボタンを留めている途中だった俺を、心配そうに覗き込む。まだ2月半ばだし、流石にちゃんと締めないと寒いな。


 「いや、そんなことないよ。行こっか」

 「はい。勉強も少ししたいですし……やりたいことは、他にもありますから」


 そう言いながら、紬はまだ留めていなかった上着の下の方のボタンを留めてくれる。


 「お……ありがとう」

 「……いつか、ネクタイを締めてあげたいですね」


 どぎまぎしかけたのに気付いて、紬は追撃してくる。

 可愛く見せよう、とかいう打算というよりやりたいから言っている、という感じだ。


 「……今度、お願いしようかな」

 「ふふっ、楽しみにしてます」


 もう1年近く制服を着ている中で、ネクタイの締め方は身についてきたが……紬にやってもらえるなら、ずっと頼ってしまいそうだ。

 働き始めてからも、できればお願いしたいな……とか夢想してみる。


 「何年か後にも、頼んだりしても……?」

 「もちろんです。蒼大くんにしては、積極的な発言ですね」


 紬は口元に手を当てて、上品にくすっと笑う。

 暖かな風が俺たちを包みこむように吹いたような気がして、俺は紬に見惚れる。


 もともと、紬の方が恥ずかしがり屋のイメージだったけど、最近は余裕がありそう。

 猫の年齢を人に換算したときのスピード並みに急成長してる。



 そして、俺たちは誰もいない教室に入る。テスト期間の良いところと言えば、教室の鍵を職員室に入らずとも手に入れられる点だ。ま、それだけじゃないけど。



 「少し、勉強しましょうか」

 「そうだね。紬は、今回順調なの?」

 「……ちょっと、心配です」


 というわけで、俺は紬の近くに机を寄せて、紬の質問に答えていく。


 「ここは、どう解けばいいでしょうか?」

 「ここはね……三角関数の合成の公式を使って、と」


 数学だけでなく、解説していると、いつの間にか30分ほど過ぎていた。


 「教えてくれて、ありがとうございました。……お礼、です」


 隣を向くと、紬はいつの間にかバッグからクッキーが入った小袋を取り出していた。


 「ありがとう。めちゃくちゃ可愛いね」


 そのクッキーは、猫型にかたどられていた。猫の顔の輪郭だけでなく、肉球の形をしていたり、歩いている猫の形のクッキーも見える。

 もったいなくて食べられないくらい、可愛らしい。


 「……いま、いただいてもいいの?」

 「はい、大丈夫です。むしろ、今すぐ感想を聞きたいくらいです」


 それなら、と言うことで、手を合わせてから1枚クッキーを口に含む。


 さくさくと噛むたびに甘さが口の中に広がる。幸せというものが味覚で感じられるなら、たぶんこの味だろうな、とか考えてしまう。


 「まだたくさん作ったので、帰ってからも食べてもらえると嬉しいです」

 「今日のテスト、頑張れそうな気がしてきた」

 「まだ食べますか?」

 「うん」


 そうしてクッキーを口に運んでもらっている時に、突然ドアが開く音がした。


 「……朝から見せつけてくれるじゃない、紬?」


 氷室さんは紬には微笑んで話しかけている。……あ、俺の方は見ないでください、怖いので。


 「……蒼大くんは人気があるみたいですし、そろそろアピールしておくのが良いかな、と思いまして」

 

 それでも、やっぱり恥ずかしいのか一旦クッキーを運ぶ手を止めている。

 まあ、そろぼちペンをしっかり握る頃合いかな。


 「紬以外になびくなんて、あり得ないから安心していいわ。そうでしょう、猫村くん?」 

 「もちろん。……人気とか、ないと思うけどね」


 氷室さんは目を光らせるが、俺はしっかりと頷く。

 ……そんなに人気がある自覚はないんですけど。猫からの人気はある、とは勝手に思ってる。


 「安心しました。……話は変わりますが、この問題、教えてほしいです」

 「どれどれ」

 「……私も見てもいいかしら?」


 クラスメイトがぞろぞろやってくるまで、氷室さんと俺で紬にみっちりテスト範囲の内容を教えた。




 「はあ……やっと終わった」


 1日目にしてこの疲労か……いやいや、帰ってから紬のチョコを食べられるんだ、少なくとも明日までは頑張れそう。


 「ねえ……猫村くん。甘いものとか好き?」

 「おお……ま、好き」

 「はい、今日はバレンタインだからね〜」


 明日の教科の教材を詰めて帰ろうか、としていた時に、相良さんに声をかけられた。


 「お、ありがとう」

 「お返し、期待してるよ」


 そう言って、相良さんは俺の肩にぽんと手を置いて綺麗なウインクを決める。あんなに上手くウインクってできるものなんだ。


 「……私も、そ……猫村くんに渡したいものがあります」


 既にクラスメイトの注目を集めていた中で、紬が声を振り絞って言ったことでクラスの全員の視線が集まる。


 俺は紬から、たぶん家で受け取るはずだったクッキーを渡される。


 「ありがとう」


 照れくささを感じながらお礼を言う。視界の端に、「花野井さんかあ……え、もしかして」と呟いている相良さんが映ったような。

 

 これ以上この空間にいたら殺気立って息が荒くなっている男共に、土に還らされそうなのでそそくさと教室を後にする。



 「人気、やっぱりあるじゃないですか。……蒼大くんはもっと、控えめに行動してください」

 「学校ではわりと静かに生活してると思うんだけど……これ以上どうすれば」


 紬はちょっと頬を膨らませて、俺は頭を悩ませる。

 テストよりも難しい課題が出されてしまった。


 




 


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