第66話 バレンタインのフライング

 学年末テスト1週間前の週末の朝。


 俺は部屋でひとり机に向かっていた。

 まあ、俺がきちんと勉強しているか見守っているのか、きなこは机に座っているけれど。

 午後は紬を呼んでいるので、それまでは集中して今日やると決めたとこまでは終わらせよう。



 「気分転換に、ちゅーるでも買いに行くかあ」


 朝起きてからずっと勉強していたので、一旦外の空気を吸いに行くことにした。きなこも、それがいいと言ってるような気がする。

 ……きなこは10時のお菓子が食べたいだけだな?


 

 雪がちらつく中、俺はポケットに手を入れて歩く。

 今日は寒いからか、野良猫の姿は見当たらない。暖かいところですやすや眠れてたらいいんだけど。


 「ふう、あったけえ……」


 スーパーに入った時に、そんな声が漏れるほどには外は寒かった。

 ちょっと暖まりたいし、キャットフードコーナー以外も見て行こう。



 「……あ」


 お菓子の材料のコーナーの方をちらっと見やると、そこにはカートに材料を入れるべきか悩んでいる様子の紬がいた。


 「おはよう、紬。なんのお菓子作るの?」

 「あ……おはようございます。そ、蒼大くんも買い物に来てたんですね。

 ……いろいろ候補があるんですけど、決めきれなくて」


 一瞬驚いて、恥ずかしそうな表情をしたり目が泳いだりしていた。

 そんなに恥ずかしがることか?と思いつつ、たしかに紬がここにいるのは見たことがなかったな、と振り返る。


 紬は陳列棚の方を向くと、トッピングのカラフルなチョコの袋を手に持ったまま、ん……と考えている。


 「……リクエストとか、ないですか?」

 「リクエストかあ……難しいな。紬が作ってくれる甘いものは、いくらでも食べられる気がするけどね」

 「なら、今から食べてもらえますか?」

 「もちろん、いくらでも」


 今まで頑張ったから、そのご褒美と思えば……いいよね。勉強したあとは糖分摂取と相場は決まっている。


 「……こんなものでしょうか。すみません、お待たせしてしまって」

 「いやいや、大丈夫だよ」


 「蒼大くんはどんなのだったら喜んでくれるかな……」とぼそっと呟きながら材料を探している紬を見ていると、待っているという意識すらなくなっていた。




 家に帰ると、ミャー……!ときなこが抗議するような声で鳴いてきた。人語訳すると……待ちくたびれた、ってとこか。


 ごめん、と謝りながら買ってきたちゅーるを差し出す。よかろう、と満足気にまた鳴いてぺろぺろと舐め始めてくれた。



 きなこが満足して、のそのそとハンモックに向かっていった時にインターホンが鳴った。

 一瞬足を止めたが、そのままハンモックによいしょと上ってもう眠りに入った。

 

 「……今日は、蒼大くんの好みを把握するまでお菓子を作ります」

 「おお……無理はしないでね?」


 紬はかなり意気込んでいる様子だ。テスト前だけど、大丈夫なのだろうか。

 手伝えることがあれば手伝おう。


 「感想、聞かせてくださいね」

 「うん、楽しみにしてる」


 様々な材料を買ってたから、たくさんのお菓子を食べさせてもらえるのだろう。



 「なにか手伝えることはある?」


 紬がエプロンを着終わって、調理を始めようとした頃に俺は声をかける。


 「蒼大くんが手伝ったら、意味が薄れてしまうじゃないですか」

 「え……あ、そう?」


 紬は、ひとりで作るのはさも当然だ、という風に言う。


 「そうです。蒼大くんはきなこちゃんとクロが寝ているのを眺めたりしててください」


 クロも、いつの間にかきなこが寝ているハンモックに上がって眠っていた。

 眠っているのを邪魔するのも良くないし、紬が調理するのを話しながら眺めることにした。



 お昼をちょっと過ぎたころ、紬は調理をやめ、お皿に美味しそうなお菓子を載せていく。


 「いただきます」

 「はい。どれが一番好みか、教えてください」


 テーブルには、食欲をそそるカラフルな色や香りのお菓子たちが並べられている。


 「……美味しい」

 「焼きプリンタルト、ですね」


 口の中でタルト生地がさくさく、と音を立て、続いてプリンのまろやかな甘みが広がる。

 紬はなにやらメモを取り出して、丁寧に書き込んでいる。

 

 「これも美味しい。というか全部美味しい」

 「一番はどれですか?」

 「ん……」


 そのあとも、クッキーだったり、プチシュークリームだったりを食べ、この世のお菓子を食べ尽くしたかも、と思うほどにお腹はいっぱいになった。


 俺は片付けは手伝うから、と言い、台所で紬と並んで皿を拭く。

 ぼーっと冷蔵庫に貼っているカレンダーに視線をやると……あることに気づいた。


 「あ……バレンタイン、だ」

 「い、今更ですか? 相変わらず、蒼大くんは……」


 恋人の一大イベントを忘れていた、というのは流石にまずい。けど、それ以上に大事なイベントのことは、ずっと考えていた。


 「今月は、紬の誕生日になにをプレゼントしようか、っていうのばっかり考えてて」

 「……な、ならいいです。許してあげます」


 俺は至って普通にそう言うと、紬は恥ずかしそうに顔を下げる。

 ちなみに、誕生日のプレゼントはもう決まっている。テスト後に買いに行く予定だ。



 「……そろそろ勉強するかあ」


 急に辛い現実に目を向けるが、あれだけ糖分を摂取したなら耐えきれるだろう、と思って椅子に腰掛ける。


 紬も、勉強道具を携えて隣に来た。けど……なぜか座らない。


 どうかしたんだろ、と思っていると、紬の舌が俺の頬を撫でた。少しざらっとした感触がもたらす、こそばゆさが電流のように伝わる。

 ……猫みたいな、可愛らしい行動だ。いやいやそうじゃなくて!

 

 「……!?」

 「あ……えっと……」


 ようやく感覚に思考が追いついて、慌てて立ち上がる。かあっと顔が熱くなるのを感じながら、紬の方を向く。


 「頬に、クリームがついてて……つい」

 「そ、そっか」


 理由が可愛らしすぎる。恥ずかしそうな表情の中に、少しのいたずら心が垣間見えたような。

 朝のうちに勉強していて良かった。案の定、ドキドキさせられて勉強どころではなくなった。

 

 「その……バレンタイン、楽しみにしててくださいね」

 「今日たくさんもらったけど、いいの?」

 「……察してください。バレンタイン前のリサーチです。まあ、今日はフライングということで」


 やれやれ……と言いそうな顔から、楽しそうな顔にころっと表情が変わる。

 喜ばせようとしてくれているのに気付いて、暖かな気持ちが湧き上がってくる。

 

 「まだ本番が待っているなんて、楽しみすぎるな」

 

 今月は紬の誕生日もあるわけだし……楽しみがいっぱいだ。


 



 






 





 




 



 

 




 


 


 

 

 

 

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