第65話 ドタバタの翌日

 ドタバタの翌日、俺は普段通りの清々しい朝日の光に目を細めながら外に出る。


 「お、おはようございます……」


 ちょうど同じタイミングに家から出てきた紬は恐る恐る俺のことを覗き込む。

 いつもなら、綺麗な長い髪は滑らかに流れているのに、今日はぴょんと可愛らしいアホ毛がある。

 

 「なんだか、普段よりも距離があるような……?」

 「そ、蒼大くんの勘違いですよ」

 

 そう返して、紬は俺の隣に並んで歩き出すが……まるで透明な壁が俺たちの間に挟まっているかのような距離がある。


 しばらくいつも通り学校へ歩いていくが、なんと声をかけていいのかすら分からずに沈黙が続く。

 ……昨日のほろ酔い騒動は、一応収まったはずなんだけどな。



 「あ、猫ちゃんがいます」


 そう言って、紬は車の下へと潜り込んだ野良猫を探す。俺も、灰色で青い瞳をした野良猫が一瞬見えたような気がした。

 

 「どこどこ?」

 「あそこです」


 さっきまでの違和感は、俺の勘違いだったみたい……とほっとした。

 俺は、紬のすぐ隣に近づいてしゃがみこむ。


 ……が。


 「っ〜〜〜!」


 紬は声にならないような叫びをあげて、顔を真っ赤にして俺から距離を取る。

 その動きの俊敏さは、まるで掃除機をかけているときにできるだけ距離を取ろうとするきなこのようだった。


 もしかしなくても、俺……避けられてる?


 「す、すみません。行きましょう」

 「う、うん」


 紬に促されるまま、再び歩き出したが……俺、なんか体調悪くなってきた気がする。




 「ここは……」


 先生の説明も、言っちゃ悪いけど重要な情報として耳に入ってくることはなく、自然音の一部として流れていく。


 ノートを取るのも、惰性でやっているというか。


 いつもの数倍は長く感じた午前の授業を耐えきり、昼休みになった。少し迷ってから、俺は紬に声をかける。


 「紬、今日は……」

 「す、すみません。帰りに話します……!」


 そう言って紬は教室を出て、どこかへ行ってしまった。

 やばい……昨日の返しがなにかまずかったかなあ。


 ショックを受けて回らなくなってきた頭を必死こいて働かせていると、背後に強烈な冷気を感じた。


 「……猫村くんは、なにをやらかしたのかしら?」


 振り返ると、貼り付けたような笑顔をした氷室さんと目が合う。急に頭が冷えて、頭痛が治ったような気がする。

 ……この場合は良くないんだけど。


 「説明するので許してください」


 周囲の男子も、俺がなにかやらかして紬が逃げ出した、と勘違いしているのでまじ四面楚歌。タスケテ。


 「なんか面白そうだな?」


 頼みの綱としたかった陽翔はこの状況を完全に楽しんでいる。

 あとで覚悟しとけよ……とか思う余裕もない。


 「……ちょっと静かなところに行きましょう?」


 これって死刑宣告?

 流石にまずいと思ったのか、陽翔は教室を出ていく俺に向かって「無事に帰ってこい」とだけ言う。まだ楽しんでるだろ。



 「……で、詳しく説明してもらえる?」

 「あ……はい」


 俺は薄暗い部室で氷室さんに問い詰められている。ただ、あの紬との時間はちょっと言いたくないというか……胸の中に大事にしまっておきたいというか。


 さらに氷室さんの表情が険しくなって、俺は言わないと命はないな、と覚悟する。


 「ひ、氷室さん……! 蒼大くんは悪くないんです」


 はあはあ、と荒い息をしている紬がドアをガラッと開ける。俺たちは、ぱっとそちらに目をやる。


 「……昨日いろいろあって、蒼大くんと普段通り接するのが恥ずかしかっただけで、なにも嫌なことはされてません」

 「そう……なの。ごめんなさい、早とちりしてしまって」


 もう少しで俺に掴みかかってきそうな様子だったけれど、誤解が解けたようで命拾いした。


 「ふぅ……紬に嫌われたかと思って、本気で悩んだ」

 「す、すみません……」


 俺は肩の力を抜いて言う。

 紬は本当に申し訳なさそうに、しょぼんとした表情を見せる。


 「……それだけ悩んでくれたってことなら、猫村くんはそれだけ紬のことを思ってくれている、ってことじゃない、紬?」

 「そうなんですか、蒼大くん?」

 「そりゃあそうだよ」


 こちらはこちらで、問い詰めようとしたことを申し訳なく思っている様子だ。


 「じゃあ、あとはふたりで」


 氷室さんは空気を読んでくれたのか、部屋を出ていく。


 「……すみません。あれから、酔っていた時のことをさらに思い出してしまって……恥ずかしくて」


 「……破廉恥なこともしてしまったような気がして、蒼大くんに幻滅されてないか心配で」


 紬は、俺の胸にこつんと頭を当ててゆっくりと言葉を絞り出す。


 「安心して、紬」


 俺は紬の肩に触れて、優しく声をかける。


 「幻滅なんかしないよ。むしろ、あの後キスされてさらに、意識してるというか」

 「……ほんとですか」


 紬は、ゆっくりと顔を上げて、俺の瞳を見つめる。まだ少し、恐る恐る聞いているみたいだけど。


 「うん、ほんとだよ。……そろそろ時間みたいだし、教室に戻ろっか?」

 「はい……!」


 やっと心が軽くなって、教室までの階段を一段飛ばしで登る。


 「あ、ちょっと待って」


 俺は紬の頭を撫でて、ぴょんと跳ねた髪の毛を元通りにする。


 「ありがとうございます」


 きょとん、とした様子で紬は廊下の鏡を確認する。

 それからにこっと微笑んだ紬に、俺も微笑み返して、また教室へと歩き出した。


 


 

 


 


 






 

 




 


 


 


 

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