第62話 我慢の限界

 「……もう我慢できません」


 紬はそう言いながら、俺の肩に触れてくる。布団の上だから、このまま覆いかぶさってきそうだ。

 頬は火照っていて、息も荒く、普段はあまり感じないような色気がある。


 紬はさらに近づいてきて、耳元で、「今までずっと我慢してたんです……」ととろけたような声で囁く。


 ……そろそろ俺の理性も我慢の限界に近づいている。

  

 「……この際だから、蒼大くんに言いたい本音を全部言ってやりましゅ」

 「……全部受け止めます」

 「言いましたからねー?」


 紬は呂律が回らなくなってきたようで、語尾が可愛らしくなっている。

 俺がうん、と頷くと、紬はにへーっと口元を緩ませて満足げな笑顔を見せる。俺の頬をつんつんと突いたり、むにーっと引っ張ってみたりする。

 そして、今は本音を言うべきだったことを思い出したのか、その手を離す。もう少し続けてもらっても良かったのに。


 「まず……この前、褒められて鼻の下を伸ばしてましたよね」

 「そんなに照れてたつもりはないんだけどなあ」


 ぷんぷん、という擬音が聞こえてきそうな頬の膨らませ具合だ。

 アルコールの影響か、普段よりもさらに感情表現が豊かになっていて、表情がころころ変わる。


 俺は首の後ろに手を回しながら、そう見えたのなら謝らないとな、と思う。

 

 「……蒼大くんが褒められるのを聞いていると、まるで自分のことのように嬉しく思います。けど……正直、もやもやします」


 俺が謝ろうと口を開こうとした時には、先を越されていた。

 そう言われると、嬉しさと申し訳なさが入り混じった複雑な気持ちになる。


 「そ、そっか」

 「蒼大くんのいろんなことを知ってるのは、私だけがいいと言いますか……変、ですよね」


 これもまたアルコールのせいなのか、さっきまでのテンションとは打って変わって困ったように眉を下げる。


 「いや、変じゃないと思う。俺も、その気持ちは分かるから」


 なら気を付けろ、って話だよな……と反省する。


 「蒼大くんが言うなら、そうですよね」


 にまーっとさっきと似たような笑顔を見せて、紬は言う。

 そんなに簡単に納得して大丈夫なの……?とちょっと不安にはなった。全部アルコールのせいなのだろうか。


 「猫は飼い主に似るとも言いますし、ヤキモチを焼くクロと私は似ているってことでしょうか」

 「そうなの……かも?」

 「なら、蒼大くんもこれからは気を付けてくださいね?」

 「気を付けます」


 うーん、と首をひねって悩む紬に見惚れていると、若干の圧をかけられた。 


 「あとは……そうですね」


 紬がちょっと考えている間に、布団に飛び乗ってきたきなこの、その意図を察して体中を撫で回す。


 にゃーん、と甘えるような声を出してきなこは俺の手に体を委ねている。


 「そういうところでしゅ……!」


 いきなり指をばーんと突き付けて言ってくるのでびっくりしかけたが、語尾の可愛さに全て持って行かれた。


 「猫ちゃんたちと触れ合ってる時の蒼大くんの表情は……いつもの格好良さはそのままで、それでいて慈しみに満ち溢れていて……猫ちゃんたちが羨ましいです。私にもその表情を見せてください」

 

 聞いていて思ったんだけど……可愛らしい不満ばかりだ。ただ、俺にはまだまだ至らない点がたくさんあるな……とも改めて気付かされる。


 「……そうです! 蒼大くん、前作った猫耳はどこにありますか?」

 「取ってくるね」


 このあと、どんな可愛らしいことを言うのかはだいたい想像できるような。

 俺は、机の上に飾っていた猫耳を取ってきて渡す。


 「……こんな感じでしょうか? 蒼大くん、少し大きい猫ちゃんだと思って可愛がってください」


 猫耳の位置を調整しながら、紬はお願いしてくる。俺はさっききなこにしたように、頭を優しく撫でる。

 紬はきなこがするように、撫でられやすいように首を傾ける。


 「えへへ……私も猫ちゃんになれました……幸せです……」


 そう言いながら、紬はとろんとした目をして体を揺らし始める。


 「……紬?」


 紬はかくっと首を曲げて、目を閉じている。寝息が耳にかかって、俺は紬の方に視線をやる。


 「……これ以上続いたら確実に持たなかったな」

 

 とは言っても、なにもせずに引き下がるほど俺も枯れてはいない。

 軽く抱きしめるぐらい、いいよな……と思いながら、俺は紬をゆっくりとベッドに寝かせる。


 「……ふふっ」

 「え?」


 紬はぱちっと目を開くと、艶っぽい微笑みを見せる。

 たぬき寝入り、だったのか? 

 猫っぽいのにたぬきじゃん、とちょっとは思ったりもする。


 とにかく、今日の紬は普段とは違う魅力がある。……その魔法のような魅力に、再び惹きつけられそうだ。


 

 

 

 


 

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