第48話 ふたりで迎える年越し

 ……まだ、実感が湧いてこない。ほんとに俺、花野井さんと恋人になったのか……?


 「これって、現実だよね」

 「現実ですよ」


 夢じゃないよな、と急に不安になって、俺は花野井さんに声をかける。花野井さんは、じりじりと近づいてきて、俺の頬を優しく引っ張る。


 「……現実だね」

 「そうですよ」

 

 じんわりと心地よい程度の痛みを頬に感じる。花野井さんは、俺がそう言うと、微笑んで頬をつねる手を離す。


 俺たちはすぐ隣同士に座ったけれど、また静寂が訪れる。普段通りでいいはずなのに、なんだか変な緊張をしてしまう。

 けれど、この静けさも気まずいわけではなく……安心できるような暖かさがあった。

 


 「……恋人らしいことって、なんでしょうか」


 しばらくして、花野井さんはぼそっと呟く。


 「……そう言われてみると、思い浮かばないな」


 俺たちは顔を見合わせて、それぞれうーんと考える。

 思い返せば、恋人らしいことに入りそうなことは、アクシデントも含めいくつか心当たりはあるけれど。


 「でも、ふたりで夜更かしというのは……恋人らしいことではないでしょうか」

 「たしかに、そうかも」

 「ちょっと悪いことをしている気もしますし。共犯というのも少し……どきどきしますよね」

 

 花野井さんはやっぱり真面目だな……と前半を聞いて思ったが、後半を聞くとそんなこともないのか……?と思う。


 花野井さんの方を向くと、花野井さんの俺を誘うような瞳が俺を捕らえて離さない。


 「そ……そんなこと言って、花野井さんが先に寝てしまわないようにね」


 花野井さんの言動ひとつひとつに、俺はどぎまぎさせられる。


 「その時は、猫村くんが起こしてくれるんですよね?」 

 「……うん。たまに夜にきなこが相手しろってしてくるから、1日ぐらいなら大丈夫」

 「それなら安心ですね」


 花野井さんは屈託のない笑顔を俺に向けてくる。

 さっきの、共犯って言っていたときのギャップとで天使属性が強い。

 ……今みたいなモードのときは聖天使、って名前をつけよう、と俺はひとり勝手に決意する。


 さっき話題に上がったきなことクロは、ハンモックですやすやと眠っている。猫って1日にどれだけ眠っているんだろう。



 「そういえば思ったんだけど……呼び方とか変えるのはどう?」


 俺は、さっきの花野井さんの問いに対する名案を思いついてさっそく提案してみる。


 「そうですね……たしかに、恋人らしい気がします」


 花野井さんは頷いて、俺の呼び方を考えている様子だ。

 

 「じゃあ……つむぎ」


 俺は優しく花野井さん改め紬に声をかける。


 「な、なんだか恥ずかしいです……」


 花野井さんは沸騰しているかのように耳の先まで真っ赤になっている。今は聖天使モードらしい。


 「じゃ、じゃあ……蒼大くん」

 「どうしたの、つむぎ?」


 俺は今までもそう呼んでたかのように、花野井さんのことを下の名前で呼ぶ。あ、花野井さんじゃなくて紬。


 「な、なんでもないです」


 紬はかなり恥ずかしいらしく、そっぽを向いてしまう。

 その反応を見ていると、遅れて俺にも恥ずかしさが込み上げてきた。何度も下の名前で軽く呼んでしまってすみません……。


 「これから、ふたりで過ごすときは……蒼大くんって呼びますから」

 「俺もつむぎって呼ぶよ」


 俺たちはようやく合意することができた。 前々から、紬っていう名前は綺麗だな、と思っていた。そうやって呼ばせてくれるのは、この上なく嬉しい。



 「あの……蒼大くん」


 また少しの間、縮まった距離を確かめあうかのような静けさがあった。そののち、花野井さんが耳元で囁いてくる。


 「ん、どうした」

 「なんでもないです……その、ただ呼んでみたかっただけで。さっきの猫村くん、いえ、蒼大くんと同じです」

 「……やっぱりつむぎは可愛いね」

 「っ〜〜!? ……からかわないでください」


 俺が優しく紬の頭に触れると、紬は慌ててバランスを崩してベッドに横たわる。


 「……少しは照れてください、私は照れたのに」

 「いや、ずっともう照れっぱなしというか」


 そうこうしていると、枕元にある時計がもう23時59分を指そうとしていた。俺は紬の手を優しく掴んで、ゆっくりと起こす。


 あと20秒、10秒、5、4、3、2、1、0。


 「今年も、よろしくお願いしますね」

 「俺のほうこそ」


 俺たちは1月1日になった瞬間、お互いに新年の挨拶をする。


 花野井さんは、年越しを眺めるという目標を達成したからか、5分もしたらうとうとし始めていた。


 「……おやすみ、紬」

 「……ふぁい」


 紬は夢の世界にどっぷり浸かっている様子で、ふにゃふにゃした柔らかな声でそう返してくる。


 「……恋人だし、いいのかな」


 紬に布団を被せて、俺もその布団の中に半身を潜らせた。


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