第1話

遠野幸男(とおのゆきお)は今日で3本目の缶コーヒーを飲みながらタバコを吸う。

タバコを吸う人間の肩身が日に日に狭くなり、今では社内からも外からも視界に入らないようにゴミ捨て場の横にぽつんと灰皿が設置されていているだけの喫煙所で上司の山城と二人、特に会話もなく一服する。

二人の目はほんのり赤く、寝不足なのが見て分かる。


遠野は33歳という歳の割に贅肉がほとんどなく、背は高くガッシリとした体格で体力面では自信がある方だったが、流石に泊まり込みでの仕事は堪えた。

山城は50歳を超えたベテラン警部補で控えめな性格。外見にもあまり気を使わないので今日はいつにもましてしょぼくれて見える。

タバコを吐く息なのかため息なのか自分でもよく分からずフーーーっと深く息を吐き出す。

(家に帰って布団で寝たい。)

そんな些細な願いは今日も叶えられ無いかもしれない。


高校卒業後、18歳で警察官となり警察学校、交番勤務を経て25歳で警備課へ異動となった。それからは警備一筋だ。29歳で巡査部長に昇任し、警備課員として順調に経験を積んでいる。

ただでさえ閉鎖的な組織たが、中でも警備課の雰囲気はかなり独特で、他の課に所属する警察官からも一線を引かれている。


遠野が交番勤務をしていた頃、同僚が

「警備課ってコソコソとなにやってるんだろうな。」

と軽口を言っているのに対し、

「さぁな。」

と答えるのが精一杯だった。


そんな遠野が警備課に配属された理由は、自分でもよく分かっていない。特に希望していたわけでもなく、何となくこのまま地域課で交番勤務を続けていくんだろうなと思っていたくらいだ。

遠野のそこそこ優秀で寡黙な性格に警備課長が目をつけ引き抜いたのではないかと異動が決まった時は噂されていたが、結局ハッキリしたことはわからずに言われるがまま33歳となった。

よっぽどのことが起こらない限り、遠野は警備課員として定年まで生きるのだろう。そう思っていた。


「先、戻ります。」

山城に軽く会釈して自分のデスクに向かう。

やらなければいけない事は山ほどあるのだ。

警備課の仕事といえば警衛警護、災害対策、雑踏警備、、なかでも多いのが選挙演説やデモの警備で、綿密な計画と準備の上、無事に終わって当たり前、何かあれば大失態で処分覚悟なのだから努力と結果が割に合わない。業務に気を抜けず緊張感と隣り合わせの毎日なのだ。


しかし、今遠野や山城の頭の中を占めているのはまた別件だった。一週間前にネットでテロをほのめかす書き込みがあったのだ。警察本部がすぐに書き込んだ人物を特定し、その人間が遠野の勤務する警察署の管轄内に住んでいることから本部と合同での帳場が立ち、入れ代わり立ち代わわりで行確(行動確認)をしているところだった。


しかし、この帳場遠野が今まで経験してきたものと比べて不自然な点が多かった。

書き込んだ人物が大学生である上にいたずらの可能性も充分に考えられる事から帳場は立ったものの警察署員からは基本は山城と遠野の2人、本部からも2人だけと大した人数は割り振られなかった上に、普段から折り合いの悪い本部から来た警備課員達は動き回る割に書類を作ろうとしないのだ。

警察の仕事というものは行動と書類はもれなくセットになっている。聞き込みや行確、交通取締に至るまで何かしら動けば、その経緯を一から十まで文章にして書類に落とし込まなければならない。

そして完全縦社会の警察組織では本部の人間が上と言う暗黙の了解の上に成り立ち、ふんぞり返っている本部の人間達は書類は下の者がやるべきだと、当たり前のように書類作成を押し付けてくるのだ。

今回に至っては、帳場にしては規模が小さすぎる上に、本部から来た山盛という警部補と永井という巡査部長からは何となくやる気が感じられず、一体自分は何をさせられているのかとイライラする。

業務時間一杯行確すれば本部の人間達は帰っていき、それから遠野と山盛は書類作成に取り掛かる。夜中に行確が当たっている日は当然昼間に書類作成と並行して細々と雑多な業務もこなさなければいけない。いたずらの可能性があったとしても、確固たるいたずらの証拠を掴むまでは終わらない。


頭の中で作成しなければならない書類を整理しながらパソコンの前に座り、目薬をさして、ブラックミントのガムを口に放り込んでパソコンを開く。

数え切れないほどの書類を作成してきたのである程度の構成は頭の中にすでに出来上がっており、

(あと2時間で終わらせれば、家に帰って布団で寝られる。)

とすでに19時を回った時計を見て算段をつける。

その内山城も戻ってきて、

「9時には帰るぞ。」

と遠野と同じ様な事を独り言なのか遠野に向けてなのか分からないトーンで言い、パソコンに向かった。


時間を忘れてパソコンを打っているとふいに警電が鳴った。

「はい、警備です。」

上司である山城に電話を取らせるわけには行かないので、反射的に遠野が電話に出る。

通常、警察官が警電に出るときは

「はい、〇〇課の✕✕です。」

位は言うものだが、警備課は相手が誰かわかるまでは名乗らない。そういうところも他の署員から閉鎖的と言われるのだろう。

「お疲れ様です。本部警備課の永井です。」

帳場で本部から来ている永井からだった。

同じ階級の巡査部長でありながらとっくに帰っていったはずだったが。

「はい、どうかされましたか?」

「大変申し訳無いのですが、今から本部まで来て頂けますか?」

「は?」

思わず遠野は時計を見た。20時15分をさしている。今から出れば本部へ着くのは21時半を越える。低姿勢だが有無を言わせない圧を感じる。

「出来れば今すぐにこちらへ向かってほしいのですが。内容はお会いして直接話します。」

「、、はい。」

淡々となんの感情も読み取れない永井の言葉に遠野は頷くしかなかった。


「遠野主任、なんの電話?」

山城は遠野の不穏な雰囲気を察知して、手を止めてこちらを見ている。

「いや、、、よく分からないんですけど呼び出されました。本部に。」

「何かやったのか?」

「全く心当たりありません。」

「でも、こんな時間に呼び出されるなんて聞いたことないぞ。なにか物凄い不祥事でも起こしたくらいしか思いつかないな、、、。」

山城は眉をひそめて遠野の不安をあおる。

「ほんとに、わかりません。」

と言いながら遠野は頭の中で必死に考えたがやはり見当もつかない。

「とりあえず、行ってきます。」

「報告待ってる。」

と赤い目で見送ってくれた。山城と合うのはこれが最後になるなんで微塵も考えなかった。

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生ぬるい おなまみっく @yukishou

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