第4話
ベルンの街から馬車で八日ほど北上したロスキーユ伯爵領のヴァーブルクにある領主の館でベラは主であるアルディス伯爵と二人で顔を合わせていた。
「今回は苦労をかけたな」
「いえ、お嬢様の為とあればこの命でさえ懸ける所存です」
アルディスの言葉にベラは恭しく返答をする。
ベラはロックドラコンの心臓を持ち帰ってきてからというもの諸々の用意やその間溜まっていた仕事のせいで聞けていなかった何よりも気にしていたお嬢様の容体が気になって仕方なかった。
「それでお嬢様の容態いかがでしょうか?」
「ああ、君が持ち帰ってきてくれた心臓のおかげで問題なく回復に向かっているよ」
「よかった…」
ベラはその言葉を聞いて大きく安堵の息を吐いた。
「それで今日私が呼ばれた理由はなんでしょうか?」
「ああ、今日君を読んだのはこの事について幾つか聞きたいことがあってな」
アルディスはそう言って机の上に数枚の書類を置いた。
その書類を一言断りを入れてから手に取るとそれは自分が書いたロックドラコンにまつわる報告書だった。
「何か不備でもありましたか?」
「いや、良く書けた報告書だったよ」
「では…」
「私が聞きたいのはそこに書かれている二人だよ」
私が悩んでいるとアルディスはベラがベルンで知り合ったジンとスイのことを議題に挙げた。
「ジンとスイですか?」
「ああ」
「彼らがどうかしましたか?」
「君は彼らのことをどう思った?」
アルディスの質問はひどく抽象的だった。
私は主の真意を探りながら彼らと共にした三日間の記憶をなぞる。
「二人だけですが他のA級パーティーに引けを取らないだろうとは感じました」
「それほどか、剣士と魔法使いではどちらが脅威になると思う?」
「脅威ですか?」
「ああそうだ」
その言葉を聞いてロックドラコンとの戦いを思い浮かべるがどうにもそれだけでは決めきれないような気がした。
「脅威という意味ではスイの方が高いかと」
「ほう、ロックドラコンを一刀両断した剣士では無くてか?」
「はい、ジンも戦闘力だけで考えるならA級にも勝ると思いますが脅威にはならい気がします」
「ではなぜこのスイと言う少女は脅威になると思う?」
私はそう問われて自分の中にあった形容しがたい恐怖の輪郭をまさぐる。
「よく分からないんです」
「よく分からない、それはどういう意味だ?」
ベラはそう尋ねられてもなぜそう思ったのかもよく分からなかった。
スイのことがよく分からなかった、とても理性的な人物かと思えば時々納得出来ないことを言っていた。
ジンについてもそうだ、彼のことをとても大切にしているように見えたが彼がロックドラコンの最後の悪あがきを受けているときにスイは一つとして彼の為に魔法を使うことは無かった。
そしてベラは彼女の能力についてもよく分からなかった、ベラはそれを包み隠すことなくアルディスに伝えた。
「そうか…」
アルディスはベラの話を最後まで聞いて重々しく呟いて何かを思案する、ベラは主の邪魔をしないように小さな声で断りを入れる。
「では私はこれで失礼します」
「いや、ちょっと待ってもらえるか。君を読んだのはもう一つやってもらいたいことがある」
ベラが踵を返そうとするのをアルディスは止めて机の上に一枚の白金貨を置いた。
「これは?」
「彼らへの報酬だ」
私は机に置かれたジン達への報酬にしてはいささか多い金額を前にして少し嫌な予感を覚えた。
そして私の予感を確証させるかのようにアルディスはもう一枚白金貨を机の上に置く。
「彼らがこの街に来ると面白いと思わないかい?」
アルディスはまるで子供のような笑みを浮かべていた。
「…つまり私にもう一度ベルンへ行って彼らと交渉をしてこいと?」
「ああ、そうだ」
「ですが私は彼らともう関わらないと契約の時に約束しているのでそれを反故にするわけには…」
私は報告書に書かれている彼らと交わした契約をアルディスにもう一度伝えるとアルディスは笑みを深めた。
「そのことだが彼らは依頼が終わったらと言ったんだろう?」
「はい」
「そして彼らは金を払うことも契約の中に入れてきたのだろう」
「それは…はい」
「ならまだ彼らとの依頼は終わっていないと解釈できる、そうは思わないか?」
私はこの悪知恵が働く、よく言えばひどく貴族的な考え方をする主に振り回される我が身を悲しく思いはしたが、なんとか飲み込んで了承の意を告げる。
「分かりました、では明朝にはベルンに向けていきます」
「よろしく頼むよ」
アルディスは満足そうに頷いてから、ふと何かを思いついたように顔を上げた。
「先ほどの君の話を聞いて思ったが多分スイという人物はこうなることも分かっていたんじゃないか」
「…それは、そうかもしれませんね」
突拍子もないアルディスの推理を聞いて私の頭には何故かスイが笑っている顔が浮かんでしかたなかった。
「では今度こそ失礼します」
「ああ、いや、待ってくれ」
ベラが机の上に置いてある白金貨二枚を丁重に摘まみ上げたときにアルディスはもう一度ベラを呼び止めた。
「今度は何ですか?」
「アイリスが寂しがっているから顔を出してあげてくれ」
アルディスの一言で私の少し不機嫌な気分は吹き飛びベラは今日一番大きな声で返事をして部屋を出た。
「失礼します」
ベラはそう言いながらアイリスの私室の扉を開く。
「どうぞー」
少し間延びするような返事にベラがそっと扉を開くとアイリスは嬉しそうな顔をしながらベラを出迎えた。
久しぶりに見たアイリスの顔は幾分か血色が戻っており彼女の体調が回復しつつあることに大きく安堵する。
「お嬢様体の御調子はいかがですか?」
「あなたが持って帰ってきてくれた心臓のお陰で大分良くなってきたわ、ありがとうベラ」
「身に余る光栄です」
その一言だけで私の今までの頑張りが全て報われる。
「ベラ今回はベルンまで行ってきたのでしょう?」
「はい、そこで二人の冒険者と共にロックドラコンを討伐してきました」
「まあ!三人でロックドラコンに立ち向かったのね」
アイリスはベラの話に目を輝かせた。
アイリスは他の令嬢が好む恋愛譚よりは冒険者の話を好んだ、特に歴代の勇者の話には目が無かった。
「もっと詳しく教えてくれる?」
「はい、では私が二人と出会ったところから始めましょうか」
私はお嬢様に今回の冒険の話を仔細詳しく語る。
二人に最初断られたところから始まりロックドラコンの最後の攻勢に至るまでアイリスは一言たりとも聞き逃さぬように熱心にベラの話を聞いた。
「銀貨数枚でロックドラコンの討伐をするなんてまるで勇者様みたいね」
「ええ、二人は優しい人でした」
「私もその二人に会ってみたいわ」
「そ、そうですか…」
アイリス様がそう言うのを聞いて私は動揺が態度に出てしまった。
「どうかしたの?」
「いえ、実はこの後彼らを勧誘しにまたベルンに立つことになりまして…」
私はその言葉を聞いて大きく目を見開いたアイリス様を見てまた嫌な予感がした。
「本当!それはいいわね!」
「そっそうですね」
「ベラ頑張って連れてきてくださいね」
お嬢様の要請に私は力なく頷いてから部屋を出た。
一月ぶりに訪れたベルンで私は付き添いの騎士をギルドの外に待機させてからギルドへと入ると隅の方で食事を取っている二人を見つけた。
喧騒に包まれているギルドの隅の方で二人は席について静かに食事を取ってとり、二人の席は周りとは違う場所にいるかのような雰囲気を出していた。
「久しぶりだな、今いいか?」
「…ベラか?」
「覚えていてくれて嬉しいよ、ここ座ってもいいかな?」
怪訝な顔をするジンに対してベラが朗らかに尋ねるとスイは何も言わずに椅子を引いてベラを座らせた。
話すことすら拒絶されなかったことに一安心するが自分が歓迎されている訳ではないのをジンの雰囲気から察した。
「それで何の用だ?」
「その前に依頼の報酬を払うのが遅れてしまいすまない」
「…それは別に気にしてない、それよりもう一つの方はどうなった?」
「今日はそのことについて話に来た」
ベラがそう伝えるとジンの纏う空気は一層重くなった。
ベラはそのことを無視するようにアルディスより渡された白金貨を一枚机の上に置いた。
「これは?」
「今回の報酬と謝礼だ」
「そうか…」
ジンは報酬より幾分も多い白金貨を受け取らずに警戒心をむき出しにしていた。
「それで話とはなんだ?」
「…その前に君たちはロスキーユ伯爵領を知っているか?」
「いや、知らないな」
「確かオーリエ王国の北東にある領地だよね、最近は東の森を開墾して領土を広げているって聞いたよ」
「ああ、私はそこで近衛騎士のまとめ役をしていて」
「それで話ってのは何なんだ?」
ジンは話を断ち切るようにベラに尋ねた。
ベラが話の切り出し方を考えながら横目でスイを伺うと、先程口を挟んだ以外はずっと我関せずといった風にただ二人の、いや、ジンのことを柔らかい笑みを浮かべながら眺めていた。
「私たちの街に来ないか?」
ベラはまどろっこしいことは言わずに単刀直入に伝えるのが最良と判断してジンに一言だけ尋ねた。
「…断る」
「君ならそう言うと思ったよ、理由を聞いてもいいか?」
「…貴族と関りを持つとろくなことにならないだろ」
「それなら私の方から伯爵に伝えるから大丈夫だ」
「…街を移る資金が無い」
「そのことなら伯爵より君たちに資金を渡すように言われている」
私はそう言ってもう一枚の白金貨を机の上に置いた。白金貨一枚は街の移動資金としては有り余るほどの金額だった。
ジンはそれからもいくつかの問題点を挙げたがその度私が解決策を伝えていくとジンは窮したようでついに何も言わなくなってしまった。
「ジン、君は何を怖がっているのだ?」
私は聞かずにはいられなかった、ジンが断る理由がどれもこれも今ぱっと思いついたものばかりに思えて、私には彼が頑なに断る理由が分からなかった。
ジンは私の質問に答えることなくただ押し黙って机に置かれているエールの方を眺めていた。
私が助けを求めるようにスイの方へと視線を向けると彼女は困ったように笑い辺りを見渡した。
私がその視線を追うように辺りを見渡すと、うるさいほどの喧騒の中で私たちの周りだけ隔絶されているかのように感じた、多分正しくは周りを拒絶しているのは目の前の男なのだろう。
私はふと彼が何を恐れているのかが分かってしまった、口に出せば誰もが信じないであろう理由にも思えたがこのギルドの中で浮いていることもそれを裏付けている気がした。
「そうか、君は人と関わるのが怖いのか…」
自分で言っても信じられないような理由だった。
純粋な戦闘力だけでは恐れるものなど無い程のジンが人と関わるのが怖いなんておかしな話だが何故だが核心を捕らえている気がした。
「君が本当に嫌なのは貴族と関わることではなく他人と関わることなのだな」
「…そうだが悪いか」
「いや、私は昔君に何があったか知らないから私が軽々しく悪いとは言えないだろう」
さっきまでそっぽを向いていたジンは私の言葉に少し話を聞く気になったのか私の方を向きなおした。
「ただ私は、私たちは君を傷つけるつもりは無い。それだけは知っておいて欲しい」
「…ああ、分かった」
「では私はそろそろおいとまするとしよう、もし君たちが私たちの街に来ることがあれば伯爵の館を訪れてくれると嬉しい」
多分彼にはもう少し時間がいるだろうから私はそれだけ言って二人の下を離れることにした。
私は最後にちらりとスイの顔を見るとスイは優しく微笑んでいた、多分彼らはヴァーブルクに来るだろう、なぜか分からないがどこか確信を私は感じていた。
「どうするの?」
ベラが出て行って少したったころにスイがジンに尋ねた。
「そうだな…」
「やっぱりまだ怖い?」
「ああ、怖いよ」
「そっか」
二人はそれっきり何も言わなかった。お互いに何を抱えているかを知っていたから。
二人が黙ってから少ししてジンがおずおずと口を開いた。
「スイはどうしたらいいと思う?」
「私はジンが決めたことに付いて行くよ」
「そうか」
「ただジンが決められないなら私が理由をあげることはできるよ」
「…いやそれはいい」
ジンはスイの提案を断って自分で決めると答えた。
スイは優しい微笑みでただジンが出す答えを待つ。
「…一度行くだけ行ってみるか」
「うん」
そしてその答えはベラが予期した答えだった。
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