第2話 一章
大輔も自分の席で弁当を食べていたが、別に開いたドアの方を向くことはしなかった。どうせ、誰か他のクラスメイトを訪ねてきたんだろうと思っていたからだ。
しかし、教室が異様な雰囲気に包まれていったことが肌で感じられた。まるで、芸能人でも見つけたかのようにその人物を中心としてどんどん空気が変わってゆく。
そんな雰囲気に当てられて、俺もドアの方を振り返る。その客は、うちの学校では芸能人と言っても差支えのないほどの有名人だった。この教室には誰も、彼女の名前を知らない人はいない。
「失礼します」
軽く会釈をしながら、教室内に入ってきたのは生徒会副会長の水川蛍さんだった。
水川さんはざわめく教室の中に入り、誰かを探すかのように辺りを見回した。その瞬間に、まるで水滴がざわめく水面に落ちたように彼女を中心とした波が広がり、どんどんその噴気が空間を支配していく。
さきほどまで騒がしかった教室は、すでに過去のものになっていた。彼女はそんなことも意に介さない。人を探すように、教室を見渡していた。
その視線がこちらに向いた。水川さんは笑みを浮かべてこちらへ歩み寄ってくる。
どうでもいいことだが、教室に入ってきてから水川さんの足音は一切しない。
武術を習っている人は足音や姿勢に現れるとはよく聞くが、さすが薙刀で去年、日本一になったこともある人だ。
俺はゆっくりと向かってくる水川さんに話しかけられる心構えをする。自然と、肩に力がはいって、姿勢が強張った。
「君が荒木君? そして、隣にいるのが山本君?」
「は、はい」
緊張のあまり、声が上ずってしまった。恥ずかしい。
悠介は笑いをこらえようとしているが、吹き出した。
しかし、それくらい緊張しても仕方がないくらい水川さんは有名人だ。そのうえ、石川さんに勝るとも劣らない美人なのである。その綺麗な黒い目。
普通の人は目を合わせることもできないだろう。
もちろん、俺も目を合わせることはできない。
「そう。後は……石川さんはどこにいるか知っている?」
大輔は否定の意味を込めて、首を横に振った。そう言えば、今日は四時間目が終わってからすぐに教室から出ていった。周りにいるクラスメイトも同じようにしていたから、おそらく数人の女子とあらかじめ食堂に行くと決めていたのだろう。
「石川さんは食堂に行っていると思います」
どこからか、そんな声が聞こえた。確か、今野美紀さんだったか。
「ありがとう。じゃあ、荒木君と山本君。急な話で申し訳ないんだけど、今日の放課後にパソコン室に来てくれる? 持ち物は特になし」
「え?」
突然、水川さんの口から放たれた言葉に、俺も悠介も戸惑うことしかできなかった。言葉は理解できるのだが、その処理に時間がかかる。
こういったときには、特になにも心当たりが無いのに、悪い事をしたのかと記憶を振り返るが、まったく思い当たることは無かった。悲しいかな、特筆すべきこともないような高校生活なのだ。
そんな二人を意に介する事もなく、水川さんは淡々と話す。
「パソコン室の場所はわかる?」
そう言われて、俺はざっと校内の地図を思い出す。確か、職員室がある棟の二階だったはずだ。授業で使ったことはないけれど、日当たりが悪くてじめじめとした薄暗い印象しかない。用事がなければ、なかなか訪れたいと思えないような場所だ。
「はい、わかりますけど。僕たちが何かしましたっけ?」
生徒会副会長に呼び出しを食らうようことをした覚えはやはり無い。目立たないように意識したつもりはないけれど、結果的には目立っていないはずだ。クラスが始まってから二週間ほどたっているけど、別に俺の名前を知らないクラスメイトがいてもおかしくないと思うし、それに対して憤りも感じない。
「大丈夫、別にそういう意味の呼び出しではないから」
それだけ言って、水川さんは教室から出ていった。
「失礼しました」
そう短く、言葉を残して。
おそらく食堂に向かったのだろう。去り際の姿も美しかった。気になった俺は廊下に顔を出したが、既にその姿は、見えなくなっていた。
「水川さんが俺や悠介、石川さんに何の用があるんだ?」
そう言うと、一緒に弁当をつついていたうちの一人が茶化す。
「さあ、お前らなんかやらかしたんじゃね?」
「さっきそういう類の呼び出しじゃないって言ってただろ」
「まあ、石川さんも呼ばれてるって事は違うだろうな」
それはそうだ。石川さんは美人なだけじゃなくて優等生だから。彼女だけが呼び出しを受けたのなら、何かの表彰だと考えるのが自然だが、そちらの心当たりもない。
その疑問はクラス全員の頭の上にも浮かんでいたようだ。
話題は全て副会長からクラスメイト三人への謎の呼び出しに切り替わり、皆が思いついた考えを口々に話す。この三人の共通点といえば同じクラスな事ぐらいで、俺たち三人は特に生徒会と関係があるわけでも無いし、水川さんとの個人的な関係は無いはずだ。
大輔と悠介はしばらくの間、顔を見合わせていたが、考えても仕方がないので昼食を再開することにした。
すると、おそらく水川さんから話を聞いただろう石川さんが教室に戻ってきた。
「ねえねえ、荒木君と山本君。どうして私が呼ばれたのか知ってる?」
俺たちは再び、否定の意味を込めて首を横に振る。どうやら、石川さんも呼び出しの理由を知らないそうだ。まあ、さすがに校内でとって食われることは無いだろう。
なぜパソコン室なのかは謎だけど、生徒会室の隣だからだと思う事にした。
放課後、大輔は悠介と石川さんは三人そろってパソコン室に向かう。パソコン室のある階には生徒会室と家庭科実習室しかないので、放課後は人の出入りが少ない。日はまだ高く昇っているが、どこか薄暗くて不気味だ。
「ここか、じゃあノックするぞ」
悠介がおそるおそるパソコン室のドアをノックする。中から返事はない。
「誰もいないのか?」
そう言いながらドアに手を置くと、鍵がかかっていなかった。ドアが小さくスライドし、体勢を崩しかけた。なんとか近くにある下駄箱に手をついた。
「入るか?」
「いいんじゃないか? 鍵が開いてたし」
俺と悠介の相談により、パソコン室にとりあえず入ってみることにした。石川さんは無理やりついてこさせるような形になってしまうが、いざとなれば二人で怒られればいい。男が無茶をできるのは、こういう時に責任を負えるからだ。
「失礼します」
俺を先頭におそるおそるパソコン室の中に入ると、そこには誰もいなかった。ただ、パソコンが一台だけ電源が入ったままになっていた。暗い室内で青いパソコンのライトが良く目立つ。画面には、なにか動画の再生画面ようなものが映されている。
悠介が近づいていって、マウスに手を伸ばす。
カーソルを移動して再生ボタンを押そうとしたその瞬間、急に背後で声がした。
「あら、お待たせしてごめんなさい。三人とも来てくれたのね」
そう言ったのは、水川さんだった。彼女はパソコン室の入り口からこちらを見ている。勝手に部屋に入ったことに対しては、何も言われないみたいだ。
「すみません、鍵が開いていたので」
「別にいいわ。とにかく、座って」
そう言いながら、三人分のイスを用意する。
さらには、準備室から軽いお茶菓子のようなものを出してくれた。
「これって、食べても大丈夫ですか?」
「本当は生徒会のものなんだけど、会長が良いと言ってくれてるからね」
そう言われたので、俺は言葉に甘えてクッキーに手を伸ばす。個包装の包みを破り、口にいれるとすぐに口内に甘さが広がった。普段から安い量産品しか食べない、舌が肥えているわけでは無い俺でも、高級品だとわかる。
「う~ん、美味しい」
石川さんも頬を抑えながら微笑んでいる。ドラマでも見ているようだ。
「そう、それは良かったわ」
それを見て微笑む水川さんとは、まるで姉妹のようだ。
「お茶を用意してくるからちょっと待っててね」
水川さんはクッキーを頬張る俺たち三人をおいて、再び準備室へと入っていった。
「でも、こんな美味しいものをいただいて、なんの話だろう?」
「確かに……」
普段の俺なら、いやどの男子でも水川さんと石川さんとクッキーを食べて、水川さんの入れてくれたお茶を飲めるなんて素直に喜びをかみしめたいところだが、水川さんの目的が未だにわからないことだけが、不安だった。
「だいたい、いい事があったあとは良くない事があるからなあ」
「まあまあ、せっかくなんだから美味しくいただこうぜ」
そんなことを話しているうちに、水川さんが戻ってきた。
両手に抱えているお盆には湯気の立ったカップが四つ乗っている。センスの良いカップと、水川さんの上品な手つきが俺たちに緊張感を漂わせる。別に学校のパソコン室でしかないのに、雰囲気だけならベルサイユ宮殿だ。
そのうちの一つを俺に差し出した。香りの良い紅茶だ。
一口飲むと、ふわりとした味わいが広がる。
そして、次にクッキーを食べる。これもまた美味しい。
「喜んでもらえたみたいで嬉しいわ。なかなか家では紅茶をいれる機会なんて無いから」
水川さんの父親は、衆議院議員の水川健作で、祖父は確かこの辺りを牛耳る大地主の水川剛三だったはず。この前、選挙権がどうとか親から考えるように言われたときに聞かされた。
そんな住む世界が違う人の生活を想像するのは難しいけれど、お堅い家庭なのだろうか。水川さんが部屋で常に正座をしながら着物を気崩さずに普段を過ごしていると言われても、まあ想像できないことは無い。
「美味しいです。毎日、こんな紅茶が飲めたら幸せです」
石川さんも最初は水川さんに緊張していたが、少し慣れて来ると可愛い後輩ムーブが炸裂している。俺も同感ではあるけれど、それをうまく言葉にできない。
「それで、どうして僕たちは呼ばれたんですか?」
「もう少しで到着するから待っててね」
そう言った瞬間、コンコンとノック音が響いた。
入ってきたのは男性だった。身長は高く百八十センチ近くある。髪は短く整えられていて清潔感があり、顔立ちは端正で少し怖い印象を受ける。
彼は俺たちの姿を見ると、柔らかな笑顔を浮かべる。彼が誰なのか知っている。
というか忘れるはずがない。
彼の名前は海堂学。水川さんと並ぶくらいに、いやそれ以上の有名人。
わざわざこのタイミングでここに来たのだ。無関係ということもないだろう。
彼は、こちらを一瞥すると水川さんの方を向いてこういった。
「ご苦労様。いつも助かるよ」
「気にしないで。副会長として当然の事だから」
まるで熟年夫婦のように会話する二人。それも当然だ。二人は幼馴染で、なおかつ生徒会の副会長と、会長なのだから。
海堂学という人間を語る時に、「天才」というのが適切すぎる単語だった。
全国模試では常に上から一桁の成績をおさめており、当然ながら学園で最も頭が良い。さらに、スポーツも得意で剣道で全国制覇している。さらには生徒会長も務め、親は海堂グループの会長・海堂幸蔵なのである。もはや、どこから文句をつけたらいいのかわからない。
同じく頭もよくて礼儀正しい、薙刀で日本一の実力者。まさに美男美女という組み合わせで、二人は幼い頃からの許嫁であるという噂も流れているほどだ。
彼は椅子を一つ、持ってくるとそこに腰を下ろした。いつの間にか立ち上がっていた水川さんが彼にクッキーを手渡す。
「わざわざご足労いただいたのに、待たせて申し訳ない。クッキーは喜んでもらえたかな?」
声にすごみがある。そう感じたのは、俺にとって初めての経験だった。そのせいで上手く返答できず、代わりに石川さんが言葉を返す。
「はい、紅茶も凄く美味しいです」
「まあ、水川くんの淹れたお茶だからね。僕にも一杯、淹れてもらっても?」
「もちろん、少し待っててね」
再び、水川さんが席を外した。そして、大輔たちの方を向くと口を開く。
最初に発したのは謝罪の言葉だった。
「忙しい中、急に呼び出して申し訳なかったね」
どう反応したらいいのか分からず黙っていると、今度は石川さんの方に視線を向ける。彼女は慌てて頭を下げた。それを見て満足げに微笑むと、今度はこちらを見る。
正直言って怖い。
彼の瞳からはなにか強い狂気を感じるのだ。それも当然だろう。
彼、海堂学という人間はあまりにも出来すぎている。
それが正しい評価だろうと思う。
完璧超人なのだ。だからこそ、発せられているオーラの内側になにか恐ろしいものが隠れているような気がしてならない。
「あの、どうして僕たちがここに呼ばれたんですか?」
隣に座る悠介が、海堂さんに質問する。
「その話は水川くんが戻ってきてからにしよう。なにか急ぐ用事はあるかな?」
「いや、ありません」
答えたあと、こちらを見てくるが、首を横に振った。
石川さんも同じようにしている。
それを確認すると、海堂さんは再び優しげな笑みを浮かべると、言葉を続けた。その後しばらくすると、ティーポットを持った水川さんが現れた。慣れた手つきでカップに注ぐ。
「もしもおかわりが欲しかったら言ってね。もちろん、クッキーも」
そう言いながら腰を落ち着けたことを確認すると、海堂さんが話し始めた。
「実は、君たち三人にはお願いがあってね。頼みごとをする立場なのに呼び出すのもどうかと思ったけど、この映像を見てもらった方が早いと思ったから。ちょっと、スクリーンを見てもらえるかな」
海堂さんは画面の写っているパソコンに接続されたマウスに触れると、カーソルを再生ボタンにもっていき、クリックした。
それと同時に、音楽が流れだす。いつのまにか立ち上がっていた水川さんが、見えやすいように電気を暗くしていた。
動画は、スクリーンに緞帳が映るところから始まった。
緞帳が晴れて徐々に姿を現すのは、ゲームの画面だろうか。
いや、違うゲームの中だ。スクリーン越しではなく、まさにその内側にいる。そこには荒廃した都市があった。
「すごい……」
いったい、なんのゲームだろうか。俺もいくつか有名なゲームはしてきたはずだ。
少なくとも、俺がこれまでにプレイしたことはないはずだった。
「おおっ、ロボット物か」
その荒廃した都市に、一つのロボットが現れる。瓦礫の山から這い出てきたその機体は人間を一回り程大きくしたくらいの大きさで、決してロボットゲームの機体としては大きいものではないが、デザインはとてもスタイリッシュで洗練されていた。
その瞬間、画面が赤くなりWARNINGという文字が表示される。世界共通の危険信号だった。その信号が画面から消えると同時に、異形の怪物が現れた。
その怪物は不協和音のような鳴き声を響かせて、荒廃した都市を闊歩する。その怪
物の視界から逃れるように、ロボットは背後へと回りこんだ。
ロボットが武器を取り出し、怪物に襲い掛かる。
その場面で映像が止まり、一枚絵が表示されたところで、映像は終わった。
それから、数秒ほど沈黙が続く。
まるで感想を求めるような視線を向けられたため、俺は率直な意見を口にした。
正直なところ、別にゲームならありふれたものだと思う。ロボットに乗り込んで未知の生物と戦うなんて、あまりにも使い古された展開だ。
もちろん、グラフィックやロボットの動きは良かったが、俺にとってはゲームを選ぶうえでそこまで重要な要素ではない。
それはおそらく悠介も同じだろう。前にも、そんな話をしていた気がする。
しかし、石川さんの反応は違った。
彼女は食い入るようにスクリーンを見つめていた。
その瞳が輝いているように見える。
悠介も同じようなことを思ったのか、石川さんに声をかける。
「あの、石川さん」
「これってすごいね。めちゃくちゃ絵が綺麗」
どうやら石川さんは、このゲームが気に入ったようだ。
「そ、そうだね」
「あれ……そんなに? ごめんなさい、わたしゲームってしたことないからどれくらい綺麗な絵が普通なのかわからないの」
この現代において、女の子といえどもゲームをしたことがないと言うのはかなり珍しい気がする。ただ、なんとなくだが石川さんにはそのイメージが良く似合っていた。たとえ、スマホゲームだとしても似合わない。
だから、彼女にとってこれはかなり新鮮な体験なのだと思う。俺も初めてゲームをしたときの感動を覚えてはいないが、その時はすごく興奮したはずだ。きっと今の石川さんと同じように目をキラキラさせていたに違いない。
その表情をみて、海堂さんは満足げだ。
「うん、気にいってくれたみたいでなによりだよ。それで、改めてお願いがあるんだけど」
「お願い、なんですか?」
石川さんの返事に答えて、海堂さんが話し始めた。
「実はこのゲームは、製作途中なんだよ」
「えっ!」
石川さんが求められた通りのリアクションをする。
「それで、君達にはぜひデバッカーをしてもらいたいんだ」
「デバッカー?」
デバッカーとは、名前の通りにデバックをする人。デバックとはコンピュータプログラムに潜む欠陥を探し出して取り除くこと。
ゲームのデバックとは実際にゲームをプレイして、バグを見つけ、ゲームの感想を述べる。ゲームの完成度をあげるためには欠かせない作業だ。
「もちろん、お礼ははずむさ。ただ、お金としては出せなくてね……」
ゲームのデバッカーはかなり人気のある職業だと思う。
ゲーム好きな中高生なら少し調べてみたことがあるんじゃないだろうか。だが、いくら海堂さんがすごい人としても、やっぱり高校生だ。学校内で金銭の受け渡しを含む部活動があれば問題になることは避けられないだろう。
「その代わりに、君たちの学校生活がよりよいものになるように協力しよう」
「学校生活に協力?」
文面だけをさらっては、意味がわからない。海堂さんならわかりやすく説明できるのに、わざと難しく表現された。
「例えば、なにか学校生活で不満に思っていることはないかな?」
「不満ですか……まあ、ないと言えば嘘になりますけど」
誰しもそんなものだろう。現状に不満がなく生きている人なんていないんじゃないか。
「どうだろう、よければ聞かせてもらえないかな」
しかし、なにが不満かと聞かれると答えに困る質問だ。まったくないわけじゃないけど、これといった答えも無い気がする。
答えに困っている俺に代わって、悠介が答えた。
「じゃあ、数学教師の朝山っているじゃないですか。あいつ、なんだか女子のほうだけずいぶん贔屓しているみたいなんで気に入らないんですよね」
ああ、確かに。それはクラス内でもかなり男子で文句が出ている。特に、水曜日の三時間目が数学Bで、四時間目が体育なので、着替えの時間はずっと朝山への文句が教室を充満している。
例えば、同じテストの点数でも成績の数値が一段階、女子と男子で違ったり、嫌な仕事や難しい問題ばかり男子に答えさせたり、まあ、いろいろである。
「なるほど、それは本当なのかな? 本当なら、別に山本君のお願いという形でなくても解決はできるよ」
そう言うと海堂さんは、大輔と石川さんのほうを向く。大輔は常日頃から同じように感じていたので、うんうんと頷いた。
さらに、石川さんのほうはもっとひどい。
「あの、私の自意識過剰って言われたらそうかも知れないんですけど、なんだか私やクラスメイトの曽根さんを見る目がいやらしいっていうか。すごく不快なんです」
まさか、贔屓されている側の女子からも不満が出てくるほど嫌われていたとは。その言葉を聞いて、大輔と悠介は顔を見合わせて笑ってしまう。
海堂さんは石川さんの答えを聞いて何かを決断したらしい。
「水川くん。すぐに朝山先生の処分に関して校長にお伺いをたてよう」
「へ?」
いや、なにを言い出すのかと思えば。せめてできることと言えば、朝山の上司にあたる学年主任に相談して窘めてもらうぐらいの事かと思っていたが、まさかそれを飛び越えて校長というワードが出てくるとは思っていなかった俺は驚いた。
海堂さんは制服の胸ポケットから取り出したメモ帳に何かを書き込んだ後、それをちぎって水川さんに手渡した。
そのメモをポケットにしまい、水川さんはパソコン室を出ていく。
そして、海堂さんはこちらに向き直る。
「うん、これで大丈夫かな。今日は確か、金曜日だったよね」
石川さんが携帯電話を確認し、首肯する。
「じゃあ、月曜日には解決しているから安心してくれ。でも、いきなり不確かな見返りだけで要求を通すなんてことはしないよ。だから、とりあえずさっきの話を持ち帰って、頭の片隅にでも置いてもらえるかな。もちろん、なにかこちらへの要望を考えておいてもらっても構わないよ。できる限りのことはさせてもらうつもりだ」
そう話す海堂さんの目は笑っていたが、口角は上がっていなかった。
「それじゃあ、もう時間も遅いし、気を付けて帰ってね。荒木君と山本君は、石川さんを送って行ってくれ。最近、この周辺に変質者が出没しているらしいからね」
確かに、担任が変質者に気を付けるようにと話していたような気がする。
大輔たちは雰囲気に追い出されるように、パソコン室を出て学校を後にした。
「ねえ、さっきの話をどう思う?」
「う~ん、とりあえず月曜日までは何もわからないなあ」
石川さんの問いかけは至極まっとうなものだった。パソコン部に入部してデバックをすると、学校生活での不満を解決してくれる。あまりに突飛な話である。
「でも、月曜日に朝山先生の事でなにかあれば……」
「じゃあ、その時にはまた、三人で相談しよう」
「そ、そうだね」
とりあえず三人は、答えを先送りにすることとした。他愛のない話で、少しでも石川さんといる時間を増やそうと俺は頭を振り絞るが、上手くいかない。
「石川さんは、この辺りに住んでるの?」
やってしまった。俺は始業式以後、今日まで石川さんと会話をすることは英語の対話練習くらいしかなかった。つまり、そこまで仲良くもない名前を知っているクラスメイト程度の関係である。そのレベルの関係値にしかない男子に家の場所を聞かれるなど、女子からすればドン引きものだろう。
「もう少し歩いて、商店街を越えたところだね」
石川さんはその事を全く気にしないように話を続ける。コミュニケーション能力が高いということは自分の感情を隠すのが上手いと同義であり、こういった場合で女性に慣れていない俺は更に余計な心配をすることになる。
「そういう荒木君と山本君は?」
俺は三丁目の端にある公園の付近。悠介は三丁目の公民館と郵便局の間にあるマンションだと答えた。こう考えると、三人の家は高校生にしては近い。
まあ、悠介とは中学校が同じだったので当たり前といえばそうだが、石川さんも学区が違うだけで、使っている駅は同じだ。今までに出会ったことが無いのは、きっと利用目的が違うからだろう。
その事に、石川さんも驚いていた。
「ええっ、そんなに近かったんだ。私の友達はみんな電車に乗らないと遊びにいけないところに住んでるから、友達が近くに住んでいるなんて羨ましいなあ」
「そうかなあ」
まあ、なにか宿題で困ったときには自転車で五分ほど飛ばせばつく位置に頼れる相手がいるというのは、失ってからわかるありがたみなのかも知れない。
「って、もうここから先に行くと、二人ともわざわざ来た道を戻らないといけないよね。ここまでで大丈夫だよ」
「えっ、ああ」
分かれ道。ちょうど石川さんの住む商店街方面へ行く道と、俺たちの住む三丁目へ向かう道が別れ、そこには一つの凹面鏡が静かにたたずんでいる。
「じゃあ、また月曜日に」
「ああ、じゃあまた」
俺はがっかりする気持ちを隠せないでいたが、とりあえず手を振り返す。
歪んだ鏡に、その姿がぼんやりと映っていた。
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