電脳戦争

渡橋銀杏

第1話 プロローグ

 物語の始まりは大抵の場合、春だ。

 日本での春には別れ、そして出会いの意味がある。

 年度が替わることで立場や環境が一変し、全てが新鮮に映る四月。


 その四月を高揚感と、ほんの少しの不安を胸に待ち望むのは学生の性だ。学生にとって最も大事なことは勉強でも部活でもなく、人間関係である。

 友達が多い者や恋人がいるものがスクールカーストの上位に位置し、そうでない人たちは常に上位の人たちの意見に従って生きることになる。そのため、新しいクラスに振り分けられた四月にどれだけの人と仲良くなれるかは学生にとってはまさに死活問題ともいえる。


 別に、暴力や無視などのいじめが全ての学校であるわけではない。むしろ、そういった事が表立って問題視される学校は珍しい。

 そういうことではなく、例えば体育祭や文化祭の中心としてクラス全体を指揮するのはどんな人たちだろう。スクールカースト上位の人たちの意見が最優先され、その他の人は嫌々にでもその意見に従うしかない。いわゆる、見えない空気に従わざるを得ない状況が作られてしまうのだ。


 俺はいずれ起こるであろう、新しいクラスでの居場所争奪戦に飽き飽きしていた。既にスクールカーストが表面化してくる中学一年生のクラス発表から四回もそれを経験してきたのだ。そんなことは言ってももちろん、俺だって友達はたくさんいてくれた方がいいし、恋人だって今はいないがいずれは欲しいと思っている。


 赤と白の有名スポーツブランドのジャージに身を包んだ体育教師に急かされながら、校門をくぐる。登校時間のギリギリだが、今日は人が少ない。新しいクラスの発表があるので、いつもギリギリに登校するような生徒たちも、今日は早くに登校して既に新しい教室で新しいクラスメイトと親交を深めているのだろう。

 

そんな活気あふれる学校内を気だるそうに進む。

 俺のクラスは二年四組だった。一学年に五クラスしかないので、ちょうどクラスの五分の一ぐらいは一年からの顔見知りだ。中学生の頃からの腐れ縁で、親友である山本悠介も同じクラスである。彼がいてくれることで、そこまで友達作りに尽力しなくてもいいのは俺にとってすごく助かる。


「よう、遅かったな」


 教室に入ると、ちょうど前年のクラスメイトと旧交を温めていた悠介がいた。


「おはよう。別にいつもこのくらいの時間だよ」


 教室についた時には、ほとんどの席が埋まっていた。クラスメイトは基本的に一年生の頃から一緒にいる人や、部活動のメンバーと話している。

 俺は苗字が荒木なので、黒板に貼り付けられた席順の書かれたプリントを見なくても、だいたいの位置がわかる。想像通り、廊下側の一番前だった。

 

 基本的に出席番号が一番だと損をする。どうせ、今日から委員が決まるまでの間に号令をやらされるだろうし、席は一番端だから黒板は見えづらい。おまけに隙間風まで吹いてくる。 

 荒木に生まれて良かったことって何だろう。


 小さい頃は一番を無条件に喜べたけれど、もうそんな年でもない。

 しかし、早速いい事があった。後ろの席に座るのは俺たちの学年一の美人と噂される石川さんだったのだ。石川さんの席は早速、クラスの女子達に囲まれていた。当然のように俺の席はギャルのような女子に占領されている。


「石川さんと同じクラスとかラッキーだよ、一年間よろしくね」


「ねえねえ、石川さんってどこの化粧水を使ってるの?」


「三年の来栖先輩と付き合ってるってホント?」


 女子達に質問攻めにされている石川さん。それを遠くから見ている男子たちは、自分たちもその輪に入ろうとするも、話題を思いつかないでいた。

 俺はそんな女子の集団に恐る恐る近づいていく。別に女子が苦手とかいうわけではないと思っているが、積極的にかかわろうとも思わない。特に明るい女の子はどちらかと言えば苦手だ。そのせいか、今までに恋人がいたことはない。


 とはいえ、自分の座席を占領されている以上は話しかけてどいてもらわないと。俺にとっては春休み前以来の、久しぶりの異性との会話、しかもお願いという難しい会話に少し緊張しながらも話かけようとしたその瞬間に、


「美紀、どいて。ごめんね、荒木君」


 石川さんが俺を気遣って、美紀さんと呼ばれる女の子を席からどけてくれた。しかも名前を呼んでもらえるなんて。俺は荒木に生まれて良かったと、心の底から思った。


「鼻の下を伸ばしてんじゃねえ。気持ち悪ぃ」


 よくいうものだ。悠介だって石川さんに名前を呼ばれれば、同じようになるだろう。そんじょそこらのアイドルよりはよっぽどかわいい。なにより、いつもにこにこしていて優しいというか聖人オーラが余すことなく振りまかれている。きっと、彼女の周りだけ幸福度指数が少しは上昇しているはずだ。


「は~い皆、席につけ~」


 担任が勢いよくドアを開いて、教室に入ってくる。驚いてしまうからドアはゆっくり開けてほしい。ドアの音で注目を集める意味もあるのだろうけど。

 先生はそのまま教卓の後ろに立ち、名前を大きな文字で黒板いっぱいに書く。


「みんな知ってると思うが、君達の担任をすることになった大久保です。担当教科は国語。何かわからないことがあれば何でも聞いてください」


 そう言って頭を下げた先生に、生徒達から拍手が飛ぶ。去年も国語の担当をしていたので、ほとんどの生徒は大久保先生の事を知っている。

 生徒たちとの距離は近く、教師たちの中ではネタキャラの典型的なお兄ちゃんタイプの先生だ。俺も別に嫌いではない。


 大久保先生は若いながらも仕事はできるタイプで、最低限の連絡事項を伝えてすぐに体育館へ向かうように指示を出した。身体測定も終わっていないので、出席番号順に俺の後ろに並んで進んでいく。

 ちなみに大輔の身長は百七十センチを少し上回るくらいで、低いとも高いとも言えない。できれば百七十五センチは欲しいなあと常々思っている。


 始業式はスムーズに進んだ。毎回恒例の校長先生の長話や、校歌斉唱を終えて教室に戻った。始業式なんて必要ないと思っているのは俺だけではないはずだ。その証拠に、口々に校長先生への愚痴が聞こえる。

 とはいえ、小学校の一年生からかれこれもう三十回も経験しているので、無いと逆に違和感を覚えるかもしれない。まあ、どうでもいい事だ。


 こうやっていつも通りの始業式が終わり、いつも通りの新学期が始まる。

 授業は退屈だけど、別にさぼってもやることが無いから休むことなく通う。

 俺は二週間ほどの間に悠介以外の友人も作り、このクラスで一年間生活していく準備を整えていった。何かが特別なことが起こらない限り、俺のカーストは中の下ぐらいからは動かないだろう。


 そんな生活に慣れきってしまったがゆえに、これ以上を求めようとしない。

 人間は変化を楽しめなくなったら終わりだなんて誰かが言っていたが、この世で変化し続ける人はほんの一握りだろう。いずれここにいる全員が、就職して安定を探していくんだ。


 だけど、俺はまだ終わっていなかった。心の奥底では退屈した毎日に変化を求めていたらしい。そのきっかけをくれたのが、新学期が始まってから二週間ほどが経った水曜日。


 ある人物が、俺のクラスへ訪れた。


 その日も悠介やその他の友達と一緒に、文句を垂れながらも授業を一通りこなした。帰りにファストフード店によって、今日から始まるソシャゲのイベントを一緒に回ろうなんて予定を立てていた。

 何も変わらない安定した毎日、だったはずだ。


 昼休み。既に教室では男子も女子もグループが固まりつつあり、グループごとに机を集めて、昼食をとっている。食堂に行っている生徒もちらほらいるが、今はまだ少数派だ。ほとんどの生徒が教室にいる中、ある意味では異端ともいえる人物が教室の前にあるドアを叩く。


 別にこの場所にいることになんら不思議はないはずなのだが。

 なんだかピースの絵柄は合っているのに形が間違っていてハマりきらない。

 心地のよいリズムで三回、ドアと手がぶつかって音を立てる。

 教室の中にいる誰かが軽く返事をした。その返事を聞いて、来客はそっとドアを開く。ドアを開くガタガタという音が聞こえた。


「失礼します。荒木君、山本君、石川さんはいますか?」

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