4頁目 釈絃葉の脚本

「お待たせしました~」


 廊下を歩いてようやく体育館につくと、宇佐美さんが大きな声で到着を全員に知らせる。舞台の上や周りには既に数人、衣装を身にまとっている人たちがいた。各々が台本らしきものを手に持って、台詞らしき言葉を繰り返している。


 僕や暦が体育館に行くときはいつも授業で使うときぐらいだから、元気の有り余っているクラスの活発な男子がはしゃいでいるせいで気が付かなかったけれど、一人の声でここまで四方八方に響き渡るのかと軽く感動した。


「おはよう宇佐美さん、わざわざ土曜日にありがとう」


「いえいえ~どうせ暇人ですから、それに演技を経験してみたかったんですよね。ほら、女の子ならドレスを着て王子様に求められたいものじゃないですか」


「あなたはそんなロマンティックな役じゃあないけどね」


 体育館に入ってすぐのところにいた女性が声をかけてきた。その生徒はずんずんとこちらに近づいてくる。少し遠かったからわからなかったけど、その女性はすらりと背が高くてどこか雰囲気がある。眼鏡の奥に見える瞳は冷たかった。


 そしてその女性のまつ毛がはっきりと見えるくらい近づいてきた。その段階で、女性のほうもようやく僕たちの存在に気が付いたようだった。普段から明るくてクラスの人気者という存在感という言葉をその笑顔に敷き詰めたみたいな宇佐美さんの隣にいると、僕なんてそういうものだろう。


 こちらを少しだけ目を丸めて見たとたん、少しだけ足が止まる。演劇部にいるからだろうか、まるでドラマみたいな演出で、体育館の床に響く足音が急に止まったことに暦は何が起こったのかときょろきょろ周りを見渡している。


「大丈夫だよ、暦。ただ向こうの人が立ち止まっただけ」


 小声でそう伝えてから、目の前の女性に再度目を向ける。すると、その女性は小さな口を開いた。視界の端で宇佐美さんが面白そうに口を歪めているのが見える。

 

「あ、そっちの子が見学の子ね。望海から聞いてる」


「そうなんです、釈先輩。私が誘ったんですよ。どや」


 釈先輩と呼ばれたその人は、それらしい衣装はまとっておらずに制服のままだ。その釈先輩とやらは僕の後ろに隠れていた暦も見つけて、じろじろと様々な方向から観察するように見ている。暦は人一倍、そういう視線は感じるから少し居辛そうだ。


「大丈夫、別に先輩がじろじろと見ているだけだよ。危害は加えられないと思う」


 僕は普段より強く握られた手から感じた不安を拭うために暦に声をかける。それを聞いた暦の顔が柔らかくなって、少しだけ力も弱まった。そして一通り、全方向から暦の観察を終えたのか釈先輩は、視線を暦の方に向けて口を開いた。


「失礼、勝手に見させてもらって。白坂暦さんね。あの一色望海があなたの事を美人だと言っていたけど、それも納得できる美貌だわ。美人というのはいるだけで花がある、そして私の手にかかれば美人がいるだけですぐに物語が生まれる。あなたを見ているだけで、どんどんと頭の中に文字が溢れてくるわ」


「物語?」


 僕と暦がその言葉の意味をわからずに首をかしげると、宇佐美さんがつんつんと暦の肩を指で叩いた。サプライズパーティーを企画している子供みたい、なにか僕たちが驚くことを楽しみにしているような笑顔だ。


「釈先輩は脚本家なんだよ。それも高校生の大会で受賞したくらい優秀な」


「へぇ~」


 その宇佐美さんの期待にそうようなリアクションを暦はできなかったみたいだ。別に賞を取ることがすごくないと言っているわけじゃないけど、あんまり脚本で高校生の大会、それも受賞なんてことはあまり想像ができない世界だ。


「そんな、賞なんて大したものじゃないわ。ただ、脚本家というか物書きの端くれとしてこうして魅力的なシーンや魅力的な場所、あなたみたいな魅力的な人物を見ると物語を頭の中に浮かべてしまうの。ぜひとも次回の劇ではあなたを主人公に物語を書きたいわ。いいでしょ、ここに来るなら演劇にも興味があるんでしょ?」


 釈先輩の熱は話しているうちにどんどんと上がっていき、ぐいぐいと距離を詰めてくる。また暦はそれに怯えて、釈先輩のいる方向から僕の体を盾にして自分のことをうまく隠している。その様子が小動物みたいで、こんな時に思うのはなんだけれども可愛いと思ってしまった。しかし、釈先輩の暴走は止めないといけない。


「ちょ、ちょっと待ってください」


「何を言ってるのよ! 次は私の主役で話を書く約束だったでしょう!」


 僕がこの状況に困惑している暦をかばおうと釈先輩との間に立って、興奮する先輩を抑えようとしたタイミングで、体育館の奥。つまりは舞台の方から一筋の声が飛んできた。宇佐美さんや釈さんの声とは違って、その声が役者のものであるとわかるくらいによく通る声だ。そして、その声に釈先輩が敏感に反応して、少しだけ笑った。


「落ち着きなさい、郁美。別に忘れたわけじゃあない。でも、あなたを見ていてもそこらへんにいるただの美人で面白みがないもの。あなたじゃ物語が浮かばない」


「はぁ?」


 ばちばちと二人の間に亀裂が走る。郁美と呼ばれた先輩はかなり怒っているように見えた。演技なんてことはしたことのない僕にはわかるはずの無い感情だ。しかし、釈先輩はそんな郁美先輩を気にした様子もなく、僕や暦に向き直る。


「あなたにはわからないだろうけど、物語は二つの書き方があるのよ。主人公かヒーロー、ヒロインから物語を動かす場合と、事件や事故などの出来事によって動かす場合。でも、前者の方が面白く書きやすい中で、あなたは前者の主人公にはふさわしくないのよ。だって、つまらないんだもの。仕方がないじゃない」


「ちょ、ちょっと釈先輩」


 宇佐美さんが止めようとするが、釈先輩の良く回る口は止まらない。


「勉強も運動も昔から得意で、高校に入ってからも成績はほとんどが四以上。推薦で有名な大学への進学もほとんど内定していて、クラスに友達も多くて隣のクラスにはイケメンの彼氏がいる。そんな人間の何が面白いの?」


「はぁ、あんた。私たちにしてもらったことを忘れたの。天才脚本家だか、高校生の大会で賞をもらったかなんだか知らないけど何様のつもり。それだってどうせ」


 郁美先輩は釈先輩に詰め寄って、今にもその胸倉をつかみそうになっていた。僕もどうにか止めようとするけれども、その前に一つの影が割って入った。


「まあまあ、それはいいんじゃないですか。郁美先輩も絃葉先輩も、二人とも怒ってると美人が台無しですよ。ほら、スマイルスマイル」


「遠間、あんたのその作った笑い顔と無駄な平和主義、つまらないわよ」


 釈先輩はそれだけ言って、体育館を後にした。


「白坂さん、主役の件を考えておいてね。返事は宇佐美さんに」


 郁美先輩と呼ばれたその人は憤慨した表情で釈先輩の背中を見つめていた。遠間と呼ばれた人が仲裁に入ろうとしたものの、郁美先輩はそんな遠間さんの言葉すら聞く耳を持たず、むっとした表情のまま舞台の方へと去って行った。

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