第35話 対等

「やっぱり平和が一番よね」


 旧帝都に戻って最初にナナがつぶやいたのはそんな言葉だった。


「まったくだな」


 それには、スガリも同意するしかない。視界の端にいるリノも小さく頷いている。ゆっくりと歩く馬の上で風を感じるのは、とても心地よかった。アルタイル達は戦後処理を終えるとミスリル王家との会食などには応じずに手柄を全てナナに譲って旧帝都へ戻った。


 アルタイル。彼の実力は計り知れないけれども、きっとすごいのだろう。サンクチュアリが軍事の天才であり、ナナの目指すべき目標ならば、スガリにとってはアルタイルこそが超えるべき目標になる。そうしなければ、いずれはナナの支えることすら敵わなくなるだろう。


「どうしたの、スガリ」


「気にするな。リノ」


 さすがは母親代わりなだけあって、気づくのが早い。スガリはもちろんアルタイルがレジスタンスに協力をしていたことは知っていた。彼も内政官としてアンドロマキアによって出世させられた、いわば恩義のある人間だ。アンドロマキア再興に力を貸すだろう。


 若い頃から頭角を現し、アンドロマキア終盤ではほとんど内政においては旧帝都の統治を任されていたという噂もあるほどの実力者。現在はアンドロマキア再興のために結成された独自の組織『鉄血党』を率いている。ただ、それが彼の問題だ。


 アンドロマキアが絶対的な皇帝の権威によって存続していた国だったが、すでにそれは過去のものとなりつつある。皇帝が身内、それも妻と子を殺害して国の簒奪を企んだことを大陸に知らしめたストレイジングの影響が大きいだろう。


 そうなると、人々は次に何を考えるか。国を統治するために必要なことは何か。


 一つは、国民全員ではなくても過半数の人間が同じ方向を目指すことが大事だとスガリは思う。もちろん、ナナやリノ。そしてスガリ本人も目指すのは平和で豊かなアンドロマキアだ。それはきっと、サンクチュアリやアルタイル、ハクライも変わらない。


 しかし、それはあくまで理想論だという事は既に証明された以上はたとえ不完全だとしても、平和で豊かなアンドロマキアを成立させるために具体的な方針を示す必要が生まれたのだ。誰ももう、不確かなものに騙されて突然に暮らしを失うことはしたくない。


 そのために、例えば平和ならば永世中立を宣言すること。


 豊かならば、国民全員に国から食べ物を配ると約束すること。


 そして、アルタイルが目指すのは産業改革による豊かで強いアンドロマキア。まだ加工や製造などの問題でうまくはすすんでいないが、名前にもある鉄を使って産業に革命を起こし国の利益を増大させることで、必然的に民衆の暮らしもよくなる。


 そして、血。その産業による発展を利用して戦力を揃え、民衆の安全を保障することも可能となる。アルタイルの目的は、国の強化。そして、彼にはそれをするだけのプランが揃っている。確かに、魅力的なイデオロギーだ。


 既に鉄血党はレジスタンス内部でもかなり力を持ち始めている。そして、サンクチュアリは軍人が政治にかかわるべきではないという意見を持っているから、仮にこのままアンドロマキアの再興が成れば、国の強化に向かって舵を切ることになるだろう。


 だが、それでいいのか。いや、確かにアルタイルの描く未来は理想的だ。そこにケチをつけるわけじゃない。だが、もしも産業の革命に失敗すれば国の停滞を発生させ、他国に付け入るスキを与える。スガリは、やるとしてももう少し時間がかかる話。少なくとも、アルタイルが生きている間に実行するべきではないと思う。


 いや、彼ならばそういう問題を乗り越えるかもしれない。だが、その先には何が待っているのか。それがスガリには怖かった。かつてはアンドロマキア一強であったとき、確かにアンドロマキア国内は発展した。誰もが豊かな暮らしを享受し、文化も経済もすべてがそこにあった。だが、その属国は、隣国はどうだったのか。


 スガリはそれを知らない。だからこそ、現在のバランスが良いとも思う。


 東にトロン、南にハルドーラの強国を抱えた現状ではアンドロマキアを現実的に再興しても侵略などは行えない。きっと、それだと多数の人間を見捨てることになるだろう。今も飢餓に苦しむ人には更に辛い思いをさせることだろう。


 だが、目先の快楽を望んでアンドロマキアが強くなりすぎれば、いずれはトロンもハルドーラもストレイジングも侵略して、大陸がアンドロマキアで支配されるかもしれない。


 スガリは何よりもそれが怖かった。ナナだって、そんなことは望んでいないはずだ。


「どうしました、スガリ」


「だから、何でもないって」

「いいえ、嘘をついていますね。さすがに十年も一緒に暮らしていればわかります。今日の夜、先にナナを寝かしつけてゆっくり時間を取りましょう」


「リノがそう言うなら、きっとそうなんだな。わかった、約束する」


 きっと、スガリだけならアルタイルの目指す先を変えることはできない。だけど、リノとナナがいれば何とか出来る。もっと平和に、もっと豊かなアンドロマキアを作り上げることができるはずだ。


 いや、作らなければいけない。


「ほら、さっさといくよ!」


 今も先で笑っているナナの笑顔を守るためにも。


「お兄ちゃん。平和な世の中をつくってね」


 そう言い残して亡くなった妹のためにも。スガリは、ナナには告げていないが、孤児だったころの記憶がはっきりと残っている。思い出したくもないけれども、それでも避けられない。色々なもののために戦う理由があるだろうけれども、スガリは妹の願いを叶えるためだ。


 そのために、命を懸けると誓った。

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