第27話 思惑
「これは、アルタイル殿にナナ=ルルフェンズ殿。ようこそお越しくださいました。私はドクトリン。トロンで宰相を務めております」
「ど、どうも」
ナナたちは不気味なくらいに快く、トロンの陣に、いやドクトリンの陣に迎え入れられた。いや、交渉人であるドクトリンが笑顔なのはわかる。だが、兵士のすべてが笑顔なのだ。私は、間接的にあなたたちの戦友を殺したのに。あそこまで血を流したのに。どうして笑っているの?
「ぜひ、お座りください。おうい、お二方に飲み物でも準備しなさい」
ドクトリンの号令に、アルタイルが待ったをかける。
「いえ、お気遣いはけっこう。我々はすばやく停戦し、愛する母国アンドロマキアへともどりたいだけなのです。飲み物をいただく時間すら惜しい」
「それは素晴らしい愛国心です。もちろん、我々から持ち掛けるべきでしたが、さすがはアルタイル殿で、我々の考えなどお見通しというか」
「ごたくはいいからさっさと話しを通してもらおう」
確かに、ドクトリンはあからさまに話を間延びさせるような言葉を選んでいたように感じた。それは北部戦線でまだ逆転の目を残しているからだろうか。それを、アルタイルは机をたたいてやめさせる。
「おっと、これは失礼。では、そちら側の条件を聞かせていただきますか?」
「こちらの条件は、トロンが戦線から離脱することと、南部にいるアストラム軍を撤退させてほしい。それだけだ」
「わかりました。それだけでよろしいので?」
「ああ、別にこちらは被害が出ていない。ナナ、そうですよね」
「え、ええ」
当初の目標通り、ナナの部隊は全てが擬人兵で構成されていたために被害は実質はゼロと言ってもいい。もちろん、多数の擬人兵が蝶々となって消えたことはナナにとっては非常に悲しいけど、それはアルタイル達にはどうでもよいことだ。
「では、それで手を打ちましょう。こちらは何も要求するような立場ではないですしね。アルタイル殿、そしてナナ殿の寛大な配慮に感謝します」
ドクトリンはそれだけ言って立ち上がると、すぐに撤収の準備を始めるように指示を出した。その声を聴いた途端にうねるように全体が動き出す。この動きの速さは、ドクトリンのなせる業か。どんどん命令が波及してトロン軍が動く。
「では、これで。また、どこかでお会いできることを楽しみにしています」
【南部戦線アストラム陣営】
「ドクトリンさん。さきほど、うちの偵察兵があなたの陣にレジスタンスのメンバーが何人か入っていったときいたのですが」
「ええ、そうですよ。我々はもうほとんど壊滅状態で戦闘の継続困難と判断したため、ここらで撤収させていただきますよ。お疲れさまでした」
「なっ!」
「それと、南部にいるのはすべてレジスタンスの戦力であるらしいので、南部が攻勢をしかけてくることはありません。なので、早めに停戦した方がいいと思います。もちろん、その仲裁くらいはさせてもらいますよ。それでは」
そう言って、ドクトリンはアストラムの陣を後にした。
「そ、そんな……もうこちらも戦うことは無理だろう」
トロンの一万が壊滅させられた。その状況でアストラムが勝つことができるとは思えない。ナナ=ルルフェンズの率いる五百が、トロン軍を退けた?
いや、トロンがわざと我々を孤立させるように仕組んだのか?
南部にいる二万もほとんどアストラムの半分ほどを占める戦力で、これを壊滅させることはほとんど許されない。このまま無理に戦えば、きっとレジスタンスによって壊滅させられるだろう。そうなれば、特にトロン国境への影響力を失う。
だが、このままアストラム軍が無傷でわずか五千の兵を相手に停戦を持ち掛ければそれはそれでどうなるか。四分の一の戦力を相手に逃げ帰ったと言われてガルゼムは後ろ指をさされて、最悪の場合は指揮官の地位を失う。
そんなもの、選択肢はない。
「くっ! 仕方ない。全軍撤退だ!!」
「しかし、それでは南部の軍団を指揮するガルゼム様は?」
「私はどうでもいい。アストラムを守るためならば」
こうして、アストラム軍は撤退した。レジスタンスはもちろん追撃などすることもない。そもそも、戦う理由がないのだから。被害をほとんどゼロに抑えることがこの戦争の勝利条件だとするなら、ナナはそれを果たした。
確かに、ミスリルとの義理を果たすことで北方の安全を確保できることは重要だが、これと言って勝利した際の土地や金銭など明確なうまみがあるわけでもないから士気は低かった。レジスタンスとしては勝ちとも負けとも言えない。
「この戦争で最も徳をしたのは、トロンになるか」
ドクトリン。彼の動きは完璧だ。しかも、アストラムからすればこれ以上の戦闘は間違いなく不利になるという事で責めることもできない。完璧なタイミングで戦線から離脱する。やはり、あいつは怖い。
ガルゼムはさらに南部に警戒心を置くことを心に決めた。アストラムはトロンと同盟を築いているとはいえど、それは深いものでは無い。身の振り方を間違えればトロンによって滅ぼされるだろう。そこを守るのがガルゼムの仕事だ。
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