旧帝都にて

第8話 最凶

「本当かよ!」


 戻ってきた酒場には、ちょうどアジトの場所を教えてもらったおじさんがいたので、ギャングたちを倒して町を開放させたことを伝えると、とても驚いていた。


 当たり前だ。別に大柄でも無いし武器を持っているわけでも無いナナたちが、ギャングたちを相手に自分たちの要求を認めさせたと言うのだ。信じられなくても無理ない。ナナみたいなか弱いな少女が言うなら、よりそう思うだろう。


「じゃあ、もう上納金を出さなくてもいいんですか?」


 店主の質問にはスガリが答える。


「ああ、あいつらはすぐにこの場所を去るってさ。だから気にしなくてもいいよ」


 その言葉に歓声が上がる。店内はお祭り騒ぎだ。みんなが手をたたき、次々とジョッキをぶつける。声がどんどんと大きくなるけれども、不快ではない。


「俺、みんなに知らせてくるよ」


 一人の青年が店を飛び出すと、あちらこちらの店に入っては解放宣言の事実を伝えて回っていた。それを聞いた店も更に騒ぎ、一気に町中が明るくなる。


「やったぞ! 明日から仕事を頑張ろう」

「もう一回、店を開けようかな」

「今日はビール飲み放題だよ。さあ、いらっしゃい」


 まるで死んだような町だったが、だんだんとかつての輝きを取り戻していく。

 ナナは、こういう光景を見たかった。世界のどこかに、こうして自分の力で幸福が増えていくのが好きだった。そのために、戦うんだと再び自覚した。


「さあさあ、みなさんも座ってください。どれでも好きな物を頼んでくださいね」


 店主や店の客たちも、座るように促してくる。すでに厨房は大慌てで料理を準備してくれるようだ。そういえば、ナナはまだご飯を食べていない。さっき、少しだけ運動したからお腹が空いていた。


「いや、俺たちはこれから旧帝都に向かわないといけないから、お酒は」


 ちなみに、アンドロマキアにおいてお酒は十六歳から飲酒可能だ。しかし、お酒を飲んだ状態で馬に乗っての長旅は危険だから

 スガリは店主にそう言おうとしたが、ナナがそれを妨げる。



「別にいいじゃない。それより、このエスカルゴもオマール海老も頼んでいいの? 私たち、お腹が空いてるの」


「はい、それはもちろん。お~い、エスカルゴとオマールエビを準備しろ!」


 厨房に向かって店主が言った以上は、もう食べないわけにはいかない。


「おい、ナナ。俺たちは急がないと」


「これを目の前にしても同じことが言えるの?」


 ナナはさっそくテーブルに並べられたステーキをスガリの口元に運んだ。


「ん、んぐ」


 スガリは口にステーキを頬張り、それを味わいつくすと、


「仕方ないな、明日に出発しよう」


 そこから店は飲めや歌えやの大騒ぎだった。そして、案の定。


「寝過ごした」


 朝のうちに出発しなければならないのに、ナナが目覚めたのは太陽が再び沈みかかったころだった。スガリはもっと起きないので、きっとこのまま眠り続けるだろう。リノだけが午前中に起床し、水や食べ物の準備を済ませていた。



「ほんとに疲れた。まさか夜通し馬に乗るなんて」


「自業自得だろ、ふわぁ」


 スガリがナナの愚痴にあくびをしながら答える。

 結局、太陽が沈んでから帝都に向かって出発し、日が昇りそうなころになってようやく旧帝都に最も近い街に到着した。

 最も近いと言えども、ここから更に一時間以上を馬で移動する必要はある。


「しかし、旧帝都に近いところほどストレイジング軍が目立つな」


 ストレイジング軍の象徴である紫のリボンが、いたるところにかけられていた。


 ここらの辺りはストレイジングの支配が行き届いているのだろう。きっとミントのようなやつらはいない。まあ、交通の要衝でもあり、旧アンドロマキアの象徴なのだから、軍事的にも経済的にも重要な地点であることは間違いない。


 しかし、活気があるかといえばそうでもなかった。

 道を歩く人たちはみな、下を向いており、店はほとんど休業状態だ。


 まだ、旧帝都から離れたほうが生きた心地はした。人が何かの不満を持ちながらも、それでも懸命に生きようとしていた。だけど、ここは人が簡単に生きられることがより一層、彼らを死へと近づけているような気がした。


 兵士たちもしっかりと統率がとれているが、その分だけただの機械みたいだ。街中にも人がちらほらいるだけである。死んだ街、そんな言葉が似あっている。


「なんだか、不気味だわ」


「本当だな。さっさとこんな街は出ていこうぜ」


「でも、ここで休息を取らないと次は帝都まで目立った場所がありません」


 リノが冷静に、淡々と事実を告げる。


「ええ~」


 そういうわけで、ナナたちはここで泊まることになった。


「ここの料理が美味しいらしいわよ。あ、あとはこのホテルが評判良いんだって」


「もうすっかり旅行モードかよ」


「そんなことは良いのよ。三人席が空いてますか?」


 ナナは勢いよく評判の良いレストランのドアを開く。


「ああん?」


「危ないっ」


 ナナはドアの付近に転がっていた酒樽に足を躓かせた。よろけながらもリノがナナの腕を掴んで支えたおかげで何とか態勢を立て直す。

 幸い、運動神経が良いので倒れることは無かった。


「しかし、どういう状況だよ」


 スガリが思わず声を漏らす。

 ドアの先には、まさに惨状と呼ぶにふさわしい光景が広がっている。


 店中に酒樽が転がり、そこからあふれ出ているのは酒だろうか。店中がアルコールの匂いに包まれていて、とてもよい気分でご飯が食べられる状態ではない。鼻を突くようなにおいが、床からどんどんと昇ってくる。


「おい、うるせえぞ」


「ひっ」


 スガリの声に反応し、いきなり店の奥からナイフが飛んでくる。

 ナナは素早く受け止めると、ナイフの向かってきた方向に逆手で投げ返した。


「危ないわね。そんな挨拶は聞いたこともないわ」


 ナイフは一直線に飛んでゆき、相手にぶつかったけれどもはじかれた。


「なかなかやるじゃねえか。名前はなんて言うんだ」


 その言葉を放った男と、ナイフを放った男は同一人物だろう。

 その男の他に、視界で動くものはない。


「あんたみたいなのに名乗る名前はないわ」


「そんな、見た目で差別するようなことはねえだろ」


 汚い笑い声だ。頬に亀裂が入る。みんな、ここらの奴らはこうなのか。肌は枯れて少しでも表情を崩せばその瞬間に皮膚が裂けるのだろう。ぽりぽりと鋭い爪で顔を書くと、そこに裂傷が生まれ血が流れた。しかし、それを意に介さない。


「その態度はなんとかならないの。いきなりナイフを投げつけるなんてどういうマナーよ。少なくとも、アンドロマキアで認められてないわ」


「ここは俺の貸し切りだ。貸切りの店でなにをしようが俺の自由だろう?」


「そんなことないわよ。とりあえず、お店の人を呼んでちょうだい」


「ああ、そこにいるだろ」


 男は、壁の方を指さす。

 そこには、およそ人がやった物とは思えない死体があった。


 顔の前半分が切り取られ、腕はぐにゃぐにゃに曲がっている。足は指先からちょうど五つに分かれて、スライスされたハムのように重ねられている。


「うっ」


 いくら死体を見慣れているナナでも、さすがにこれは目をそらしてしまう。

 さっきからお酒の匂いに紛れて気が付かなかったが、血の匂いもする。


「これ、あんたがやったの?」


「ん? ああそうだよ。別に大したことでもないだろ」


 狂ってる。しかも、相当。

 この男と関わるのは危ないとナナの体が危険信号を訴えていた。

 すぐさま、戦闘態勢を整える。しかし、それをスガリが止めた。


「やめろ。こいつは危険だ」


 そう言って制止されては、ナナも自信が無くなる。スガリが大丈夫だと言ってくれるだけで、ナナの自信は何倍にもなるのに。スガリが危険だと言えば、どうしても怯えが出て来る。手はかすかにふるえていた。


「とにかく、軍に連絡しておくから大人しくしておきなさい」


 そう言って、ナナはその店を後にするしかできなかった。

 体中から、あそこまで狂気と殺意を醸し出せる人間は知らない。


「あの、バケモノはなんなの。ほんとうにあり得ない」


「もしかして、ナナはあいつの顔を知らないのか?」


 そう言ってスガリは道に落ちていた新聞の記事を見せてきた。

 そこには先ほどみた人相の悪い顔がいた。


「さっきの男は関わっちゃダメだ。軍に言うのもやめておけ。下手な軍ならば、あいつ一人で十分、壊滅する。いくらストレイジング軍だとしても、命を無駄にはさせたくない。あんなばらばらにされて死ぬのは、可哀想だ」


「で、でも」


「殺される可能性すらあるぞ。俺たちでもあいつには勝てない」


 その記事には、彼の罪状と『アンドロマキア史上、最強の傭兵』という通り名が書かれていた。ひどい記事だ、書かれてあることの全てがおぞましい。


 彼の名前は、ウルフェス=ヘンドリック。最強と最凶の属性を持つ人間。


 彼が殺すと決めて、生き残った人間はいない。ただそこには、人間だったものが残るだけだ。それも、無惨な姿になって。

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