第4話 滅亡

 ナナの目指す過去のアンドロマキアが崩壊したのは、五年前のちょうど今ぐらいだった。そのころ、ナナはまだ十歳だったから、当然だけれども政治の複雑な流れなどはわからないけれども、恐怖だけは覚えている。


 突如、国境にハルドーラの属国だったストレイジングが侵攻してきたのだ。それに対して、有力者たちはすぐさま議会を開き対策を講じるはずだった。


 本来ならば、敵の属国など格下の相手である。まともに戦闘をすれば、それこそ半日たらずで敵軍を壊滅させることができたはずだ。

 その無謀な侵攻に、ストレイジング以外は皆が、アンドロマキアの勝利に終わり、ストレイジングを飲み込むだろうと確信したほどだ。


 しかし、そんなことはストレイジングも分かっている。戦争で最も大事なことは優秀な指揮官でもなければ、兵の士気でもない。事前の準備と搦手の用意だ。


 その搦手は、アンドロマキアの弱点を突いた。元々、政権の中枢に存在していたが誰も目を向けようとしなかったひずみに、ストレイジングは大きな一撃を加えた。


 元皇帝による連合領主達と息子、妻の殺害。


 その知らせが届くや否や、たちまち国中は大混乱に陥った。


 情報が錯綜し、集められた軍隊は混乱する。指揮官たちがどんどんと事態の確認を急いで統率を半ば放棄して、帝都に集まった多数の人々が縦横無尽にそれぞれの勝手な判断で行動した。どんどんと思考が渦巻いていく。


 特に帝都ではストレイジングの討伐を目的として集められた国軍を指揮する者はなく、混乱が暴動を誘発。地方では領主を失ったことから治安が失われてこの町のように武力を持つ者が台頭した。


 ストレイジングは数少ないアンドロマキアのために組織された義勇軍を指揮する将軍たちが築いた何重にも張り巡らされた防衛線の隙をいとも簡単に見破り、次々と国を侵略する。それに対抗しようにも、亡き皇帝の威光にも、既に殺害された連合領主にも頼れない。


 そんな状態では組織的な抵抗は不可能で、少ないアンドロマキアに忠誠を誓って自らの軍を組織しストレイジングに抵抗した軍人たちもなんとかストレイジングを押し戻して現状の国境線を回復したが、みなが死亡した。


 おそらく、元皇帝はストレイジングと通じていたのだろう。

 条件は帝位への返り咲きを約束すること。


 わずか半月ほどの間に、アンドロマキアはストレイジングに飲み込まれたのだ。

 ストレイジングは、元アンドロマキア領に対してひどい仕打ちをした。

 

 アンドロマキアの軍隊はことごとく解散。税は苛烈、まともな食事もとれない。

 前皇帝時代に逆戻りだ。しかし、その皇帝が再び皇位につくことは無かった。



「素晴らしい。皇帝陛下のおかげで、私共は見事にこの帝都を取り戻すことができました。これで、この国はもっと良くなる。国民も喜ぶでしょう」


 それは戦勝祝いに帝都の宮殿で前皇帝とストレイジングの指揮官が話しているところで起こった。この行動が正義か悪か。その後のアンドロマキアに良かったのかを判断するには五年では早い。きっと、後世の歴史学者が決めることだ。


「そうだろう、そうだろう。まあ、お前たちの行いも感謝する。おかげで忌まわしい息子と妻を殺して、再び政権を握ることができる」


 前皇帝は恨んでいた。我が物顔で皇帝の座に座る息子を、それをよしとする妻を。家族は自分だけを信じて、従っていればいいのだと思っていた。

 彼は、皇帝の位を退くとともに人間をやめた。

 獣となったのだ。だからこそ、血のつながりがある息子をいともたやすく殺害することができた。一度は愛した女性から命乞いをされても、迷うことなく手に賭けることができた。


 そこまでしても、いやそんな男だから騙された。


「そうですか、それは喜ばしい。しかし、誰が政権を渡すと?」


「なに?」


 ストレイジングの使者が微笑みながらそういった。

 当然、それに対して皇帝は身構えたが既に遅い。周りはストレイジングの近衛兵団が囲んでおり、まさにアリの一匹すらも逃がさない布陣だった。もとより、ストレイジングはアンドロマキア帝国を再興することなど考えてはいなかったのである。


 しかし、当然だろう。


 仮に有能な皇帝ならばともかく、かつてはクーデターを起こされて失脚し、挙句の果てにはその実行犯を混乱に乗じて殺害した。能力を見ても、また世間体をとってもこのまま生かしておくのは徳策ではない。アンドロマキアの国中から反発を招きかねず、義勇軍を打ち破ったとはいえどもまだまだ国内には多数の有力者がいる状況なのだ。下手に彼らを逆なですれば、義勇軍との戦闘で疲弊したストレイジングの軍隊では、もしかすると国を追い出されるかもしれない。


 しかし、前皇帝には殺す価値がある。


『ストレイジングがアンドロマキアの混乱を収めるために侵攻した』


 そんな大義名分が生まれることになる。

 ストレイジングの狙いは、まさしくそれだった。そうすることによってストレイジングの侵略戦争に正統性を持たせて、そのまま権力を吸収する。従わない地方領主には手出しをせず、あくまで帝都の確保を急いだ。


 大陸中の街道を一点に集める帝都は、最重要確保地域だ。そこを安全に統治するためには、皇帝を殺害する必要があった。


 実際の時間軸は異なるが、そんなものはどうとでもなるし詳しい状況を知っているのは、既に亡き皇帝たちと目の前にいる、哀れな前皇帝だけだ。前皇帝が領主たちを殺害する場面を見ていた側近も、ストレイジングの駒に過ぎない。


「いいですか。あなたに選択肢を与えます。これは温情ですからね」


「選択肢?」


 その言葉が終わると、使者は一本のナイフを宮殿の床に落とした。そのナイフは大理石で作られた床に突き刺さる。ストレイジング製の超硬化ナイフだ。


「一つ目はここで自ら腹を切ること。そうすれば、私共はあなたが勇敢に腹を切った英雄として書に記し、その名前は後世に語り継がれることでしょう」


「ほう、それで二つ目は?」


「今から私たちを相手に一勝負を繰り広げた後で殺される」


 その言葉が終わるが先か、前皇帝はナイフを手に取るとまずは目の前で薄ら笑いを浮かべるこの男の首を目掛けてナイフを繰り出す。

 しかし、その手を一本の槍が貫いた。


「ぐふっ」


 思わず声が飛び出る。それを合図に背中、太もも、わき腹にも次々と槍が突き立てられた。それによって、もう身動きをとることすらもできない。


「いや、お見事でしたよ。では、後始末をお願いしますね」


 そう言って使者が数人の近衛兵をともなって、出入り口へと向かう。

 しかし、そこを見逃さなかったのは、皇帝としての意地だった。


「がはっ」


 肩からはもうすでに力が入らないながらも、腕の力のみで放たれたナイフはちょうど使者の喉を貫いた。このような形で自分の国で生産されているナイフの切れ味をしるなんて思いもしなかっただろう。その動きを見た近衛兵たちが、ついに体中へ深く槍を差し込んだ。血が、おもしろいように飛び散る。


「ざまあみろ」


 散り行く命を前に発した言葉が、そのまま遺言となった。


 彼の遺体はその後、ストレイジングの統治する旧帝都において処刑にされた。


 わざわざ、死体をひっぱりだしてきて首を切断したのだ。


 それは、国を混乱させ多数の民族を虐待・虐殺し、贅沢の限りを尽くした果てに血のつながった家族をも殺害した哀れな獣の末路としては、ふさわしいものだった。

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