第2話 荒廃

「これは、ひどいもんだな」

 

 出発してからちょうど半日ほど。陽は既に沈みかかっている。夕焼けがまぶしいせいで、ナナは顔が熱い。マントでなんとか西日を遮りながら、道を進む。


 ナナ達は今夜の宿がある街に到着したが、そこを街と呼んでもいいのだろうか。


 かつてアンドロマキアが栄えていたころ、その領土は広大過ぎたために各地の有力諸侯が代表して治め、管理していた。その区分けに従えば、ナナの育った村も街も第九領にあたる。そして、その第九領で最も栄えていたのはこの町だった。


 周りには平地が広がっているため、交通の便が良い事。さらに、ちょうど第九領が面していた国家、トロンとの貿易中心拠点であったために繁栄を極めた。人の顔はみな笑顔で、商売のために明るい声が飛び交い、人々には生気が宿っていた。


 毎日のように広場では宴会が開かれ、観光客も多い。

 笑い声の絶えない街だった。

 しかし、そんな光景はもう過去のものだ。


 街には柄の悪い男たちが闊歩し、道端にはその日の食事をするのに精いっぱいの人間ができる限りエネルギーを消費しないために夕方だというのにもう眠っている。

 もう、まともに機能しているとはいいがたかった。外の世界よりは過ごしやすいからと、ただそこに留まっているだけだ。思考する時間もない。


「仕方がないことよ。もう、あの頃は戻ってこないの」


 ナナの声も、自然と冷たく。そして、悲しくなる。


「そうです。とにかく、宿に向かいましょう。私も疲れてしまいました」


 リノの提案に応えたのは、ナナの腹に住む虫だった。



「ごめんください。今日は空いてますか?」


「ええ、もちろん。少々、お待ちくださいね」


 初老を迎えた店主らしき男性が、愛想よい笑みを浮かべてカウンターに出てきた。すぐさま宿帳をとりだし、それをぱらぱらとめくる。


 本日、ナナ達が泊まる宿である。

 一階にロビーとレストランが併設されているので、後ろで騒がしい声が聞こえながら、ナナ達は最も良い部屋に入れるよう店主に頼んだ。部屋は別に一つで構わないけれども、疲れた体を少しでもいい部屋で休めたい。


 スガリも、どうせ私に欲情することなんてないだろう。同年代でこっちは花の十六歳だというのに、そういう雰囲気になったことはない。まあ、リノが常に隣にいるからというのもあるかもしれない。


 それとも、もしかしてスガリはリノが好き?


 いや、リノはお母さんみたいな存在だ。お母さんみたいなだけで別に恋をしてはいけない関係性ではないけれども、十七歳のスガリと二十七歳のリノでは十歳も離れている。別に年齢差が問題というわけじゃないけど……


「おい、何をぼんやりしてるんだ。お腹が空いて頭が回らないのか?」


 しかし、こちらの心配など知る由もない。スガリはいつも通りの調子である。自分で言うのも恥ずかしいけど、別に顔も悪くないしスタイルだってもう少しすれば大人の女性らしくなるはずだ。軍役につくために鍛えているのが気に入らないの?


「すみません、料金が高くなりますが大丈夫ですか?」


 店主が申し訳なさそうに聞いてくるけど、ナナは手を振って大丈夫だと伝えた。

 幸い、お金はたくさんもらっている。


「その部屋ですと、三名様でこのくらいの金額になります」


 しかし、店主が紙に書いて提示した価格は明らかにぼったくりと呼べるほどの金額だった。ゼロが多い。ナナは何度もゼロの数を数え間違えたのかと確認したが、リノとスガリにも確認しても、二人ともおかしいと言う。


「さすがにそれはやりすぎじゃないか?」

 

 スガリも苦笑している。別に、ナナたちが払えない額では無かったが、荒廃した街でもこれはやりすぎだろう。便乗値上げにもほどがある。できることなら、美味しいものを食べるために使いたい。


 戸惑うナナたちを背中で見ていたのか、ある男がジョッキを持ちながら声をかけてきた。髭を伸ばして髪もボサボサだが、不思議と不潔だとは感じない。


「お嬢ちゃんたち、この町は始めてかい?」


 彼の口からはアルコールの匂いがした。ナナは、あまりお酒は得意じゃない。


「いえ、昔にですが一度だけ訪れたことがあります」


「へえ、それはどれくらいかな」


「およそ、十年ほど前ぐらいですかね」


 ちょうど、ナナが自分で買い物をできるようになったころだった。


 初めて自分で注文したスイカのジュースは、今でも思い出せるほどに美味しかった。別に高級品ではなかっただろうけど、達成感のもたらす甘みがそう思わせた。その店はまだ営業しているのだろうか。できることなら、もう一度飲んでみたい。


 その返答を聞いた男は、ジョッキをテーブルに置いてやれやれとため息をつく。


「それなら知らないだろうけど、アンドロマキアが崩壊してからはここを始めとした地方の大都市はみんなこれくらいのもんさ。何せ、これまで暴力を取り締まっていた国の警察組織が急になくなったものだから、ずる賢いやつはすぐに地元のギャングと結びついて暴力的な支配を試みたのさ」


「暴力的な支配?」


「ああ、奴らは、昼間には決して街には姿を見せない。夜になれば各地の店から決められただけの税金を取り立てる。もちろん、その金はアンドロマキアに収めるもんじゃない。自分たちがこの町を守ってやるという、言わばみかじめ料って事さ」


「なるほどね、確かにどこにでもありそうな話だわ」


 不当なみかじめ料。これも、旧アンドロマキア領内で発生している問題の一つだ。

 軍隊や警察組織は崩壊し、ストレイジングもその統治に積極的ではない。各地を実効支配している勢力のさじ加減で、そこにいる民衆の暮らしぶりは大きく変わる。


 その会話に口を挟んだのは店主だった。


「私もこんなに料金をいただくのは心苦しいのですが、どうしても奴らに収めるお金とここの営業資金を考えるとこれ以上に安くすることはできなくて……」


「そういうわけさ。お嬢ちゃんたちもどこへ向かうのか知らんが、まともに機能しているのは旧帝都くらいのもんだろうさ。はやく、こんな街は離れた方がいい」


 そう言った男は、ジョッキを口に当てる。そのジョッキから落ちた雫が、なんだか彼の心に流れる涙の粒みたいで、ナナはとても苦しかった。


 そして、次の瞬間にはこんな言葉を口にしていた。


「ねえ、スガリ。リノ。時間はあるかしら」


 リノもスガリも、一瞬だけその言葉に目を丸くした。

 しかし、すぐにやれやれといった表情に戻ると、


「時間は大丈夫ですよ。明日までは」


 リノがそう答える。この街を出発するまでの猶予は一日、出発は明々後日だ。


「仕方ないなあ」


 スガリがそう答える。きっと、彼にはもうナナの考えていることを実現する方法が、何通りも考え付いている。スガリはそういう男だ。常に先回りして物事を思考できる。ナナのためなら。


 軍事に関しては天才と呼ばれるナナも、それ以外のことに関しては全くの不得手だから、頭脳明晰なスガリと頼れるお姉さんのリノは家族としても同僚としても大事な存在である。ナナは、二人の事を部下だなんて思っていない。


「ねえ、そこのお兄さん。あなたはそのギャングたちがどこにいるのかわかる?」


「どうしたんだい。そんなことを聞いて」


「もちろん、私たちがそのギャングたちを退治してあげる」


 そう言って笑うナナの纏うマントの襟には、きらりと軍人バッジが輝いていた。

 もちろん、そのバッジに飾り以上の意味はない。

 だけど、ナナはそのバッジに今はもう失われたアンドロマキアへの忠誠と、アンドロマキア軍人としての誇りを持っている。

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