第59話 遭遇②

「ようやく補習が終了したね! 」


 玲香がご機嫌な調子で、そう言う。


「ああ……やっと終わった……」


 疲れきった声で、晴斗はそれに答えた。


「そうだね。うちも補習は好きではなかったから。ようやく解放された感じ」


 玲香の言葉に千里が同調する。


 今日は架純も祐希も用事があるらしく、この場には姿は見えない。


「明日から夏休みだけど。俺の気分は憂鬱かな」


 晴斗は独り言のように呟いた。


「どうして?」


玲香は不思議そうな顔を浮かべて問う。


「いや。だってさ、明日から山本さんのトレーニングがあると思うと。…身震いがする。あの2度とやりたくない柔軟を体験すると思うと。うわ、きつ」


 晴斗は嫌なことを思い出したのか、顔をしかめた。明らかに不快そうだ。


「た、確かに。それはあるかな。そんなに嫌な顔しないでよ。玲香が傷つくから」


 千里が少し笑いながら、そう言った。


「う、うん。正直悲しい」


 ショボーン。


 玲香の表情には悲しみの色が見える。明らかに気分が落ちる。


「あぁ、ごめん。別にそういうわけじゃなくて、本当に辛いんだよ」


 慌てて弁明をする晴斗。


「ふふっ。冗談だよ。でも、そこまで嫌なんだね」


 玲香はクスリと笑う。


「まぁ、その話は置いといて。みんなこの後予定はある? 」


「特にないけど、どうしたんだ?」


 晴斗は首を傾げて問う。


「これから3人でどこか遊びに行きたいなって思ってるんだけど、どうかな?」


 玲香の提案に、千里と晴斗は互いに目を合わせた後、微笑みながら首肯した。


「いいね! この3人の組み合わせは初だから楽しみ!」


 千里が嬉しそうに答える。


「俺も構わないよ。どこに行く? 」


 晴斗が訊く。


「もちろん。カラオケだよね!?」


 玲香は目を輝かせて言った。


「えー、玲香歌上手いから。なんか行きたくなくなってきた」


 千里が苦笑しながら、やんわりと断る。


「そんなこと言わずに行こうよ〜。千里ちゃんの声可愛いから聴きたいな〜」


 玲香は甘えた声を出しておねだりする。ニヤニヤしながら。


「仕方がないな。その代わり、白中君の歌も聞かせてもらうからね」


 千里は溜め息混じりに承諾する。


「やったー!! ありがとう千里ちゃん!!」


 玲香は無邪気に飛び跳ねている。まるで子供みたいだ。


「それとして、2人は一緒にカラオケに行った経験があるの? 」


 2人のやりとりを見ていた晴斗が言う。


「あるよ。すごい楽しかったんだよ」


「1回だけだけどね」


 玲香が答えた。千里が補足するように続ける。


「玲香…」


 晴斗が何か言いかけた時だった――


 突然、目の前から声が聞こえる。聞き覚えのある声だ。


 見るとそこには、やせ細った岸本の姿だった。以前までの清潔さは皆無だ。覇気もない。


「あんたか。悪いけど名前で呼ばないでくれない。虫唾が走るから! 」


 玲香が嫌悪感を露わにして言う。顔も明らかに歪める。


「あら。うちから退学を伝えた岸本君じゃないですか」


 千里も蔑むような視線を向ける。普段の温厚な雰囲気からは想像できないほど冷たい。


「そ、そんなこと言わないでよ玲香…」


 岸本が泣きそうな口にする。その姿を見た千里が口を開く。


「自業自得ですよ」


 しかし、冷淡な口調で言う。まるで、見下すように。底冷えするような眼差しで睨みつける。


「ひ、ひどい、なんで人間達は俺に冷たいんだ…」


 岸本の瞳に涙を浮かべた。完全に怯えきっている。


「もういい加減に諦めたら? あんたには無理だってわかってるでしょ。もう手遅れだから」


 玲香が吐き捨てる。


「どうして…俺の人生はここまで底辺に落ちてしまったんだ。……どうして……どうしてこんなことに……誰か助けてくれ……」


 岸本は、地面に崩れ落ちてしまう。哀れで惨めな姿だ。


「あのさ、はっきり言って迷惑なんだよね。うちの視界に入らないでくれるかな? 」


 玲香の辛辣な言葉に岸本は絶句してしまう。


「さっ! 行こ!! 2人共!! 」


 玲香は満面の笑顔で2人に呼びかけた。


「うん! そうだね! 行こうか」


 千里も嬉しそうに返事をする。晴斗は無言のまま小さく首肯した。


 正直、申し訳ない気持ちになる。岸本に同情もしてしまう。


 3人がその場から離れようとした瞬間。


「あぁ……俺はどうすればいいんだよ。玲香、俺を助けてよ」


 岸本が情けない声で呟き、頭を抱える。


「だから、その名前で呼ぶなって言ったの聞こえなかった? 」


 玲香は呆れた様子で振り返る。その顔には苛立ちが滲んでいる。


「お願いだよ。俺を見捨てないでくれよ。なぁ」


「はぁ……。何度言われても答えは変わらないから。じゃあね」


 そう言い残して、3人は去っていった。


 残された岸本は、ただ黙って見つめることしかできなかった。

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