第57話 4人で特訓

「痛い痛い! 」


 前屈の際に後方から玲香に背中を押され、晴斗は思わず悲鳴を上げる。


 今泉と遭遇し。数日が経ち、補習も終わり頃を迎えていた。補習の終了と同時に晴斗のバスケ部のマネージャの仕事も終了していた。


「相変わらず身体が硬いなぁ~。マネージャーの仕事を終えて、さらに硬くなったんじゃない? 」


 より腕に玲香が力を込める。その度に『ギチッ』と筋肉が軋む音が聞こえてくる。


「いだだっ!! まじで無理! 力の入れ方考えてよ! 」


 晴斗は痛みに耐えながら、必死に懇願する。


「もぅ。いつも通りだいぶ弱くやってるんだからね。玲香を悪者扱いしないで」


 玲香はそう言うと晴斗の背から手を離す。腕の力を弱めて再び晴斗の背中を押す。


「うぎっ。さっきよりは強くないけど。痛いのは変わらない」


 苦痛を顔に浮かべながらも、晴斗はゆっくりと身体を前に倒す。明らかに痛みに耐えるように顔を歪める。


「頑張れ~晴君~」


 公園のベンチに座る祐希が声援を送る。運動するつもりがないのか、白のブラウスに青の短パンを身に付ける。


「う…うん。頑張る」


 力なく晴斗は返事をする。


「それにしても晴斗の身体硬すぎだろ! 」


 ジャージ姿の架純が胸の前で両腕をクロスさせ、まるで体操選手のポーズのような格好をしながら話に加わる。


「確かにね~。うちもここまで身体の硬い人は初めて見たかも」


 苦しそうに唸る晴斗を視界の片隅に、千里は頷く。千里は半袖半ズボン姿だ。


「千里もそう思うよな」


「まあね。私もそこまで身体が柔らくないけど。白中君ほど硬くはないからね」


 千里は晴斗を見つめる。その視線には憐みが含まれていた。


 そんなことを言われても困ると言わんばかりに晴斗は嘆息をつく。


「はい! 終わり!! 」


 ようやく玲香は晴斗の背中を解放する。


「はぁはぁ。ようやく終わった。何度やっても柔軟は慣れない…」


 大汗を掻き、息を荒らしながら晴斗は地面に転がる。地面が砂にも関わらずお構いなしだ。そんなことも頭になかった。即座に地面に寝転がりたかった。だから寝転がった。


 大量の酸素を求めるために、大きく呼吸を繰り返している。


 身体がカチコチの晴斗にとって、柔軟は拷問に近いのだ。


 普段使わない筋肉を無理やり伸ばすため、かなりの激痛に襲われる。そのため、好きではない。どちらかと言えば嫌いだ。だが、やらないとケガに繋がる恐れがあるため仕方なく行う。その上、運動神経も向上しない。


 晴斗は起き上がると、その場に座り込む。


 隣では玲香が満足げな表情を浮かべながら腰に手を当てている。


「よく苦手な柔軟を頑張ったな! はいご褒美! 」


 玲香はスポーツドリンクの詰まったペットボトルを差し出す。


「ありがと」


 晴斗はそれを受け取り、蓋を開けると一気に喉へ流し込んだ。スポーツドリンクはキンキンに冷えていた。そのため渇いた身体に染み渡るような感覚を味わえる。


「ぷはー。生き返る~」


 晴斗は勢い良く飲み干すと、空になったペットボトルを放り投げる。弧を描きながらゴミ箱の中へと吸い込まれるように入っていく。


「おお! ナイッシュー! 」


 玲香が嬉々として拍手する。


「たまたまだよ」


 照れ隠しで晴斗は素っ気なく返す。


「さ~って。休憩はお終い。次はランニングだよ」


 最近、早朝ではまず準備体操。次に柔軟をし、最後に10キロほどランニングで公園の外周を走る。この習慣が一般化する。ランニングは玲香のさじ加減でスピードがアップする。晴斗にとっては地獄だ。


「え~もうちょっと休ませてよ」


「ダメです~。ほら行くよ! 」


 肩を落としながらも晴斗は渋々と立ち上がる。玲香は早く走ろうと、やる気満々だ。晴斗の腕を掴み引っ張る。


「あたしも晴斗と一緒に走るぞ! 」


「うちも! 架純に同意! 」


「え~。待ってよ。私は私服だから走れないよ」


 玲香の誘いに乗っかるようにして、架純と千里は走り始める。祐希だけがベンチに座ったまま動かない。


「祐希は行かないのか? 」


 晴斗は祐希に問いかける。


「走りたいのは山々だけど。私服だからね。今日は遠慮しとくかな。今度、一緒に走ろ」


 祐希はベンチに座ったまま軽く手を振る。


「そっか。じゃあまた今度ね」


「うん。晴君頑張って!」


 応援の意志を伝えるように祐希は豊満な胸の前で両手をガッツポーズする。


「ああ! 」


 晴斗は元気よく返事をすると、玲香、架純、千里の後を追うようにして走った。




「ぜぇ……はぁ……はぁ」


「大丈夫か晴斗」


 架純が心配そうな面持ちで、膝に手をつき前屈みの体勢になっている晴斗の顔を覗き込む。


「だいじょぶ……ではない……」


「情けないな~。たかが10キロでしょ」


 玲香が呆れたような声色で言う。玲香は息を乱していない。汗一つ掻かず、涼しい顔だ。


「山本さんと一緒にしないよ。俺は山本さんのペースに合わせるだけで精一杯なんだから。それに1番最初よりも明らかにスピードが速くなってるし」


 不満を漏らす晴斗。


「玲香のペースで走ると疲れるよね」


 千里が同情するように呟く。


「確かに結構ハードだな」


 架純は感想を口にする。


「なんで架純と橘さんも息が荒れてないの?」


 晴斗は不思議で堪らない。女子である架純と千里は汗を搔きながらも、晴斗ほど疲労している様子はない。余裕があった。対して男子の晴斗は息も絶え絶えだ。


「まぁ、割かし運動が得意だからどうな」


「うちもかな。持久走で疲れた経験ないし」


「そうそう。それに玲香のランニングについていけないのは、この中では晴斗ぐらいだから」


「うぅ……」


 晴斗は恨めしそうに3人を睨む。


「ふふん。悔しかったら体力をつけることだね」


 玲香は勝ち誇った笑みを浮かべながら腕を組む。


「ぐぅ。すぐに軽く付いていけるようになってやる……」


 晴斗は決意を固める。


「その意気だよ白中君。ファイト」


「あたし達はいつでも晴斗を応援してるからな! 」


「おう! 期待に応えるようにベストを尽くすよ」


 晴斗は笑顔を浮かべると、身体に力を込めて姿勢を正す。


「いい心掛けだね! じゃあもう1セットいくよ」


「えっ!? まだあるの」


「気分で追加した。ほら行くよ! 」


 玲香が先頭を切って再び走り出す。


「玲香は気分屋だな」


「まったくだね」


 架純と千里も玲香の後を追う。


「ちょっ! 2人とも置いていかないでよ」


 2人の後を追うために、悲鳴を上げる身体を無理やり酷使し、晴斗は慌てて駆け出した。

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