【case.02】お面をつけた白熊
今よりも少し昔で、ココよりも少し遠いところに
大きな氷の「かたまり」がありました。
時より揺らいで、時たま、割れて崩れ落ち
気が付けば、その氷は海の上に浮かんでいました。
大きな大きな氷は、気が付けば小さな島になっていました。
白銀の美しい世界で、空気の一粒までもが、静かに踊るようで
胸いっぱいに吸い込んだ空気が、そのままうずくまる様な
静かで優しく、何よりも縛られる光景が、そこには広がっています。
白と青の世界、そこに浮かぶ氷の島の上に、
目を凝らすと、氷の上に一頭の白熊が歩いていました。
それはとても美しい白熊でした。
白い毛並みは太陽の光をいっぱいに浴びて輝き
冷たい風にとかされて、白と青の世界に、薄い黄色の小さな太陽の様でした。
空を泳ぐ鳥も、白熊の美しさに飛び方を忘れます。
「やめてくれよ、ボクはそんなにキレイじゃないさ」
照れ臭そうに白熊は呟きます。でも白熊の声は誰にも届きません。
美しい白と青の世界が、白熊の声を誰にも届けない様にしていたからです。
それでも、それはとても強い白熊でした。
大きな体は誰にも負けず、どんなところへでも行けます。
素早い四肢は、エモノのそばへ、そぉっと白熊を運び
黒曜石の様な爪は、どんな宝石よりも鋭く肉を切り裂きます。
白熊の気配がするだけで、海を歩く魚たちもずぅっと遠くへ逃げ出します。
「やめてくれって、ボクは本当は弱虫なんだ」
心底うんざりするように白熊は呟きます。けれども白熊の声は誰にも届きません。
涙の一粒ですら許さない、白と青の世界が白熊の声を冷たく固めていたからです。
だから、それはとても恐ろしい白熊でした。
太陽が家に帰るよりも早く歩き、いつだってそこに居ます。
心の窓から外を覗くと、楽しそうにしているイキモノ達も
白熊の存在に、誰一人気が付くことはありません。
「そうだね、ボクは…ボクでしかないのだから…」
白熊は小さな小さな声で、世界に向かって叫びます。
白熊は、白熊でしかなかったのです。
それでも白熊は幸せでした。
白熊は、自分の世界しか知りませんでした。
月が昇れば体を丸め、お腹が空けばエモノを取り
満足いくまで歩いて歩き、なんだって出来ました。
どれくらいの日々を過ごしたのか
遠くの方で、海鳥が鳴いた様な声が聞こえ
今日も白熊は眠りにつきます。
夢の中で、白熊は一匹の白猫でした。
それは、とても小さく弱い、醜い姿で、独りぼっちでした。
歩こうとしても、どこへ向かえばいいのか分からず
お腹をきゅうきゅう鳴らして、寝床の中で、ただ丸くなっています。
大地に爪を突き立てて、立ち上がろうとしても
腕の一本も、指のひとカケラだって動かすことが難しく
ただ、ジっとして居ました。
白熊は、いつもは気にしたこともなかったけれど
とても心細い事に気が付きました。
けれど、白熊はどうすればいいのか分からず
その小さなを震わせながらただ震わせて、涙を流していました。
ポツリと落ちた涙の雫が、地面に沁み込んで
白熊は自分が涙を流している事に気が付きました。
初めてみる、涙の一粒一粒を、悲しいはずなのに、不安なはずなのに
美しいと思いながら眺めて居ました。
すぐ近くで音がして、寝床に誰かが来たような音がして
小さな白猫の姿になっている白熊は、顔を上げました。
白熊は、夢の中で目の前が真っ暗になりました。
ただ、温かくて、フワフワしていて、優しい匂いがして
ずっとずっと我慢していた体の緊張が、筋肉の一本一本を優しくほぐしていきます。
白熊は、とても不思議で不安で、楽な気持ちになりました。
それは、ようやく呼吸が出来た様な、やっと眠りに付ける様な
叫び出したい様な、泣いてしまいそうな、そんな気持ちになりました。
何かが、耳のすぐそばで聞こえた気がして、白熊の夢は終わりました。
白熊は目を覚ましました。
体を起こすと、いつもと変わらない白と青の世界が広がっています。
白熊は、まどろんだ思考に、まぶたをギュっと閉じて
少しふらつく足で、氷の世界の端っこまで、駆けだします。
いつもと違って、息は荒くなり
普段とは違って、足音は響いて
それでも、走ることをやめられませんでした。
転びそうになり、姿勢を崩し、すぐに起き上がり、また走って。
沢山走った後に、白熊は白と青の世界の端まで来ました。
少し息を整え、氷の端から海の水面を覗くと
そこには美しい白熊が写っていました。
「あぁ、そうか…」
白熊はポツリと呟きました。
「分かったんだ…そうだったんだ…」
座り込んだ白熊の頬を、一筋の涙が零れます。
「ボクは、ずっと…ずっと、寂しかったんだ…」
白熊は、とても悲しくて、寂しくて、不安で
誰かに今すぐ抱きしめて欲しい気持ちになりました。
本当は、ずっとそう思っていたことに気が付きました。
「ボクは、この世界にずっと独りで、寂しかったんだ」
白熊がそう呟くと、後から後から、白熊の涙が止まらなくなりました。
「ボクは、本当は誰かと一緒に居たいって思ってたんだ」
白熊がそう叫ぶと、風が優しく白熊を撫でます。
「ようやく分かったんだ。僕が本当にしたかったことが分かったんだ」
そう言うと、白熊は立ち上がりました。
白熊は、白と青の美しい世界を、生まれて初めて見る様に見つめました。
そして目を閉じ、大きく深呼吸をして、ふぅっと息を吐きます。
白熊の吐息は熱を持って、氷の世界に、真っ白な雲を作り出します。
白熊は、目を開き、一歩、二歩、三歩…歩き始めます。
その姿は、とても寂しそうで、けれども美しく、弱々しく見えますが
それでもしっかりと、強く地面を踏みしめます。
白熊は、誰に言うわけでも無く、呟きます
「だから、ボクはボクが寂しくない様に、会いに行こうと思う。」
そう言って、白熊はまた歩き出しました。
おしまい
【フリー絵本風台本】涙色の夢【朗読配信向け】 山羊の卵 @izo_siymu
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