時空超常奇譚4其ノ六. 超短戯話/笑う翁

銀河自衛隊《ヒロカワマモル》

時空超常奇譚4其ノ六. 超短戯話/笑う翁 

超短戯話/笑うおきな 

 金色の雲が空を覆い、雨の匂いの陰気な風が渋谷の街を吹き抜けて行く。

 直ぐにも雨が降るだろうし、何故か携帯電話が圏外になったままで機能しない。そんな鬱屈とした気分を引きずってサラリーマン姿の男が宮益坂を渋谷駅へと急いで歩き出した。

 駅前の横断歩道を渡り切った瞬間、突然耳をつんざく雷音が轟き渡ると、いきなり大粒の雨が降り出して辺り一面が仰々しい雷光に包まれた。

 路上に雷が落ちでもしたのか?一瞬そんな風に考えが、こんな東京のド真ん中のしかも路上に落雷する事など考え難い。


いづれにせよ、渋谷駅は目の前だ」

 そう思って歩を進めた男は、周囲に強烈な違和感を覚えた。景色が見知ったものではないのだ。渋谷の街など大概のロケーションは頭に入っているし、このところ得意先へのプレゼンで通い詰めているから、渋谷駅前の景色を見間違う筈などない。

 いや、そんなレベルではない。どこかの慣れない街で「あれ、こんなところにこんな空き地なんてあったかな」と驚くような、そんな生易しいものではなく、今し方辿り着こうとしていた渋谷駅さえ影も形もないのだ。

 駅舎も、その前にある筈の横断歩道も、ビル群も舗装された道路も、急ぎ走る車の列も、いつも煩わしく聞こえる雑踏も、何もかもない。

 あるのは、舗装されていないそこそこ幅の広い通路とそこを歩いて行く着物風の服装の男女、その両側に軒を連ねる木造藁葺きの建物と小さな川のみ。

 人々が男を怪訝な目で見ながら足早に通り過ぎて行く。思考回路が停止し、金縛りにあったように男の身体は硬直した。こういうのを狐に抓まれた気分と言うに違いない。携帯電話は圏外を示したままだ。


 さて、どうしたものか……まずは落ち着いて現状の把握をするべきだ。幸いな事に、行き交う人々は暴力的ではなさそうだ。それだけでも対応策を考える時間を与えてくれる。

 

 この状況はどう理解したら良いのだろう。そして、ここはどこなのだろうか。

 現状として得られる情報が少な過ぎて答えなど出る訳はない。仮定として考えられるのは、余りにもベタで低レベルだがどこかへタイムスリップしたのかも知れない。

 タイムスリップなどという荒唐無稽なものがこの世に存在するのかと言えば、否定するのが正しいに違いない。そう思いつつも、この不思議な状況は正解である筈の否定を完全に否定している。そう考えないと先に進まない。


 では、どこにタイムスリップ?

 渋谷か?位置を変えずに時空を飛んだとすれば、渋谷である確率が高い。

 川が見える……そう言えば、かつて渋谷に「渋谷川」という川があって、現代では暗渠になっていると聞いた事がある。

 では、いつの時代?

 それは……江戸時代のような気もする。平安や鎌倉の世ではなさそうだが、確定する材料がない。


 男はそれ以上の現状予測をやめた。何故なら意味がない。それよりも、重要なのはこの後どうするかだ。そうこうしている内に、日が暮れようとしている。

 男は喉の渇きと空腹に気づいて自動販売機を探して唖然とし、そして自販機があろうがなかろうが、対応出来る貨幣を持っていない事に気づいて絶望した。

 藁葺き家屋の一軒に急いで話をしようと駆け寄ると、目が合った途端に扉を閉められた。隣も、その隣も、同じように不審者を避けるように扉は閉まり、出て来る気配は全くない。

 男は途方に暮れた。こんな知らない場所で、野宿するしかないのか。食料や水さえない状況を経験した事がないし、そもそも野宿を考えた事すらない。誰もいない薄暗い田舎に取り残されたようなこの状況は、一寸先を考えただけで心が折れそうになる。

 

 その時、日暮れとともに一気に人通りのなくなった通路前方から、着物姿の二人連れの影が見えた。その内の一人、若い男が小走りに男に近寄った。

「旦那様、こちらに居られます」

 もう一人の白髪の老人が「はい、はい」と頷いて男の前まで来た。そして、男を頭の先から靴先まで全身を舐めるように見ながら呟いた。

「間違いないですな」

 老人は確信の笑みを浮かべて男に訊ねた。

「電話を掛けたいのですが、ちょっと携帯電話を貸していただけませんかな?」

 男は反射的に答えた。

「構いませんけど、先程から圏外になったままで使えませんよ」

 その言葉に老人は微笑んだ。いや、微笑むというよりも顔から零れる程に笑いが止まらない。

「この辺は夜になると野犬が出ますので、取りあえずワシの家へ来なされ」

 取りあえず行くアテのない男は老人の家に向かった。老人に誘われるまま、村外れの大きな屋敷に着いた。老人はかなりの長者のようだ。


 早速、水と食事が出されて一息つく事が出来た。

「あの……実は僕は今のこの状況が理解出来ていません。ここはどこですか?」

「驚く事はありませんよ。ここは文久元年の渋谷です」

「文久元年?」

「西暦では1861年、明治の前の前の前。江戸時代ですよ」

「江戸時代……の渋谷。やっぱりそうなのか」

「そうです。アナタは江戸時代にタイムスリップしたのですよ」

「……やっぱりそうなのか」

 俄かには信じられないが、その白髪の老人の言う事を信じるなら、男は江戸時代にタイムスリップしてしまったらしい。何故かと疑問が湧いて来るが、飛んでしまった者が時空間を移動した意味を考えても仕方がない。


「何を隠そう、ワシもアナタと同じタイムスリッパ-なのですよ」

 男は、驚く事はない。話の流れから考えればそうなのだろうと予想は出来る。

「アナタはどこから来られたのですかな?」

「僕は令和七年、2025年です」

 老人は怪訝な顔をして訊き返した。

「令和とは、もしかしたら昭和の次の元号ですかな?」

「いえ、昭和の次は平成、その次が令和です」

 老人は男の言葉に困惑気味の顔で話を続けた。老人は男との話にパズルのピースを嵌め込むのを楽しむように、話の流れを確認した。

「ワシが昭和63年から文政の1824年にタイムスリップして、かれこれ37年にになります。その間に昭和が新々元号になっているとは思いませんでしたな」

「失礼ですが、お幾つですか?」

「今年で80歳になります」

「元の世界に帰りたいとは思いませんか?」

「まぁ、そんな思いも疾の昔に忘れてしまいましたな」

 多少の違和感はあった。何かを言う度に老人の笑いが止まらないのだ。その理由を尋ねると、老人は「申し訳ない。随分と久し振りに元の世界の人間にあったので嬉しくてたまらないのですよ」と答えた。

 その笑いは腹の底から嬉しさを噛みしめる、そんな感じなのだ。経験のない男にはわからないが、きっとそういうものなのだろう。

「元の世界へ帰る事は出来ないのでしょうか?」

 不安そうに訊く男に、老人は優しく自分の体験談を語った。

「そんな事はありませんよ。きっと帰れる時が来ます。かつて、私の他にも未来から来たタイムスリッパ-が居りまして、ワシはその人が元の世界へと帰って行ったのをこの目で見ているのですよ」

「えっ、そうなのですか?」

 男は目を輝かせた。それなら自分もきっと帰る事が出来るに違いない。

「その方法をご存じですか?」

「残念ながら、具体的な方法は知りません。ワシが知っているのは、このシステムが時空間移動によって起こる事。その為には、空を金色の雲が覆い雨風が吹いて雨が降る直前に雷音が轟き辺り一面が光に包まれる事、その時に時空間が開いて瞬間移動するという事くらいです」

 方法は老人も知らないようだが、何と言ってもこの世界から元の世界へ戻った前例があるのだ。そして、老人という力強い理解者がいるのだから、気長に待つしかないだろう。

 そうだ。あの雲と風、そして再び雷音さえあれば、元の世界へ戻る事が出来る可能性は十分にあるのだ。

「でも、アナタは何故親切にしてくださるのですか?」

「ワシも、この世界に飛んだ時には途方に暮れてしまいましたが、運良く親切にしてくれる人がいて何とかなり、ここにこうしているという事です。だから、同じ事をしているのです」

 そう言って、老人は嬉しそうに笑った。


 男はじっとその日を待った。

 数日後、金色の雲が空を覆った。雨の匂いの陰気な風が村を吹き抜けて行く。

 直ぐにも雨が降るだろう、今日はあの日と同じように気分が重い。そんな鬱屈としている男の前で、あの時と同じように耳をつんざく雷音が轟き渡り、いきなりの雨が降り出して辺り一面が仰々しい雷光に包まれた。


 やっと、その時が来た。男は安堵した。嬉しさに身震いする。漸く元の世界に帰れるのだ。


 だが、何かがおかしい。周囲の光景は何も変化せず、時空間が移動する様子もない。何故だろうか、大粒の雨が止む気配はなく、いつ再び雷音が轟いても不思議ではない。

 男が首を傾げていると、雨の中に老人が立っていた。男は見送りに来たのであろう老人に礼を言った。

「どうやら、金色の雲とこの雨と雷で元の世界へ帰る事が出来そうです。お世話になりました」

 男の言葉に、老人が奇妙な事を言った。

「いえいえ、礼を言うのはワシの方です。アナタに言っていない事があります」

「言っていない事?」

「金色の雲が空を覆って雨が降り雷音が轟いているので、恐らくはこの世界から元の世界に戻る時空間が開くのは間違いないでしょう」

 男には老人が態々何を言わんとしているのか、予想出来ない。


「但し、それには一つだけ条件があります。それは『順番』です。今回はワシの番になるので、アナタは戻れない」

 男は「えっ」と言ったきり言葉を失った。老人は何を言っているのだろうか。

「その代わりに、この屋敷と奉公人は全部アナタに差し上げます。尤も、ワシも前回戻って行った老人から譲り受けたもので・」

 老人は言い掛けたまま煙のように消えた。

 男はこの世界のシステムと老人の親切、そして何よりも零れる笑みの本当の意味を知った。同時にそれは驚愕でしかなかった。


 それから何十年が経っただろうか、男も既に白髪に白髭の老人になっていた。

 ある日、街に奇妙な服装の若者が現れ、ふらふらと歩いていた。早速、男はその若者に訊ねた。

「電話を掛けたいのだが、携帯電話を貸していただけませんかな?」

 その若者が反射的に答えた。

「携帯電話なんて今時使っている人はいませんよ。ボクは右手に装置を埋め込んでいるので貸すのは無理です。でも何故か先程から電波が圏外になったままなんですよ」

 その言葉に老人は微笑んだ。いや、微笑むというよりも顔から零れる程に笑いが止まらない。

 若者は不思議そうな顔で訊いた。

「何がそんなに可笑しいのですか?」

「いやいや、嬉しくてたまらないのですよ」

 男は満面の笑みで答えた。




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