第4話 むしろ好都合とさえ思っているわ
「うふふ、やっぱり可愛い子とのショッピングは楽しいわね。」
「えーと、あの、すみません。」
「あら?どうして謝るのかしら?」
休日出勤中に突如現れた雨季さん。あっという間に私の仕事を片付けると、彼女は私をデートに誘ったのだ。そしてあれよあれよという間にいろんな店に連れ回されて、気が付けばもう夕方だった。
ちなみに私の両手には抱えきれないほどの紙袋。服に化粧品に小物、どれも安いものではないのに、雨季さんは私に試着させては「これも良いわね、買いましょう。」なんていって、私が制止の声を掛ける前にあっという間に支払いをしてしまったのだ。
これ…総額いくらになってるんだろう。何度私が払うと言っても、雨季さんは「もう支払い済よ。」なんて言いながらかわされるのだ。もう申し訳なさを通り越して、怖い。これ、後で何を要求されるんだろう。
「こんなに買ってもらって申し訳なさすぎます。まさか…この後に何かとんでもないもの要求されるとか…ないですかね?」
「あら、要求してほしいんだったら、するけれど?」
「いえ、結構です。ああでも、こんなに色々買ってもらっているので、何かお返しはしたいです。私に出来ることであれば頑張ります。」
「ふふっ、律儀ね。」
笑いながら雨季さんはスマホの画面をみた。その瞬間、一瞬眉間に皺がよった。どうしたんだろう。何かまずいことでもあったのかな。雨季さんは、スッスと指をスクロールすると、私の顔をチラっとみた。え、私?何かあったのかな。
「雨季さん?」
「日菜子ちゃん、このあと夕食を食べに行く予定だったけれど、予定を変更してもいいかしら。」
雨季さんの顔から笑みが消えている。どうしたんだろう。深刻な顔をしている。何かあったのかな。
「何かあったんですか?」
「はい、どうぞ。」
雨季さんはスマホ画面を私に見せてきた。そこに書かれていたのは…。
「え…嘘。」
「ほんと。」
私の住んでいるマンションで事件があったらしい。今日の午後、トラックがマンションに突っ込んだらしい。スマホ画面に映し出されている写真を見る限り、一階の部屋は木っ端みじんで、二階に住んでいる私の部屋も歪んでいる…っていうか、衝撃か、何かが当たったのか、窓が壊れてカーテンがはためいている。
嘘でしょ…。冷や汗が出てくる。心臓がドキドキと急加速する。
慌てて自分の携帯を取り出すと、大家さんから何件も着信が入っていた。サイレントマナーモードにしていたから気づかなかった。
「すみません、電話してきていいですか?」
雨季さんはコクンと頷いた。私はスマホを持って雨季さんから離れて道の脇に寄ると慌てて大家さんに電話をかけた。
「もしもし?大家さんですか。」
「ああ、木城さん良かった。連絡がつかなかったから心配してたのよ。」
「私は仕事に行っていたので。あの、これはいったい?」
「もうニュースみたの?」
「今見たところです。」
大家さんによると、今は人が住めるような状態ではないらしい。それで立ち退きが必要だという話だった。大家さんもまだ混乱しているようで、とにかく平謝りしてくれた。大家さんが悪いわけではないけど、私はこの先どうしたら…。
その時だった。ひょいと後ろから私のスマホが取り上げられた。後ろを振り向くと、そこにいたのは雨季さんだった。彼女はスマホを耳に当て、口開いた。
「こんにちは。大家さんの鈴木さんですよね。私、木城日菜子の同僚の竹中雨季と申します。ニュース拝見しました。大変ですね。木城さんの事でしたらご安心ください。私の家で同居することになったので。」
ちょっと待って。そんな話一言も聞いてない。
「ええ、大丈夫です。丁度その話をしていたところなんです。これから木城さんと一緒に貴重品等を取りに伺おうと思うのですが、大丈夫でしょうか?ええ、はい。ではよろしくお願いします。」
プツ、と電話を切って、雨季さんは私にスマホを返してきた。私はスマホを受け取りながら雨季さんを見た。
「雨季さん、どういうことですか?雨季さんの家とか初耳ですけど。」
「住む場所がなくなって困っているんでしょう?私の家一部屋空いているし、会社からも近いし、丁度いいと思って。」
「だからって。」
「んー、じゃあ、こうしましょう。さっき日菜子ちゃん『私に出来ることがあれば頑張ります。』って言ってたわよね?」
「ええ…まあ。」
「私と同居しましょう。それなら日菜子ちゃんの『出来ること』に該当するでしょう?」
「無茶苦茶ですよ。」
「そう、私は無茶苦茶なの。でも安心して。日菜子ちゃんにとっては得することしかないはずだから。」
ふふっと笑みを浮かべた雨季さん。ちょっと待って、いろいろ考えることが多すぎて頭痛が。
「とりあえず、貴重品とか荷物を取りにいきましょう。それから私の家へ。良いわね?」
雨季さんは私の手を引いて歩き出した。
「ちょっと待ってください。」
「待たないわ。」
ズンズンと歩く雨季さん。
それから私のマンションへ荷物を取りに行ったり、大家さんに挨拶したり、バタバタしていて何をしたかも思いだせないくらい忙しかった。落ち着いた頃には、私は雨季さんの家のソファーでぐったりしていた。
雨季さんの家は2LDKで、一部屋は物置として使っていたらしい。その部屋を開けて貰って、私が転がり込んだ形なのだけれど…。これからどうなるんだろう。
「日菜子ちゃん。お布団はまた今度買いに行きましょう。今日は私と一緒のベッドでいいかしら?」
「へっ?いや、あの、お構いなく。私はソファーで寝ますので。」
「ただでさえ寝不足でクマを作ってるような子をソファーで寝かすわけにはいかないわ。」
「いや、もう迷惑に迷惑を重ねすぎなので。ベランダで寝ても良いくらいです。」
「私が迷惑だと感じていないのだから、それは迷惑ではないわ。」
雨季さんは部屋着に着替えて眼鏡をかけていた。あ、普段はコンタクトなんだ。それに雨季さんの家は、ザ綺麗なお姉さんの部屋、って感じでいい匂いはするわ、部屋は片付いてるわ、小物は可愛いわ、なんていうか乙女の部屋だ。見てこのテーブルの上の観葉植物。私枯らしたことしかないよ。
「一緒に住むのだから、もっと自分の家のように過ごして良いのよ。」
「そんなわけにはいきませんよ。」
「はー…しょうがないわね。」
雨季さんがため息をついた。あ、呆れられたかな。
その瞬間だった。雨季さんが、私の目の前に移動して、両頬に手を当ててグイッと私と顔を合わせた。顔が近い。雨季さんのきめ細やかな肌、長い睫毛、大きな瞳。何でこんな綺麗な人が私なんかに構ってるんだろう。そういえば入社したときから目をつけてたみたいなことを言われたけど、魅力のひとかけらもない疲弊した社畜のどこにそんな要素が…。
「日菜子ちゃん。」
「んっ。」
返事をする前に、雨季さんは私に唇を重ねてきた。柔らかくて、ふっくらとした唇の感触。例えるならマシュマロ……って、そんなこと考えてる場合じゃない。くっ唇!?キス!?雨季さん!?
「ふっ…ん。」
チュッと音を立てて触れるだけのキス。雨季さんの唇はすぐに離れた。可愛いリップ音付きで。さっきまでひんやりしていた私の身体に熱が灯る。
「うっ雨季さん!?」
急にドキドキと高鳴る心臓。
「ふふっ。」
「あっ。」
雨季さんはもう一度私に唇を重ねた。今度はさっきよりも深いキス。ソファーの背もたれに沈み込む体。雨季さんの甘い香りにくらくらする。
「日菜子ちゃん可愛い。」
「可愛くなんかっ。」
「付き合ってるんだから、一緒に暮らすことになって私は嬉しいのよ。迷惑なんて一つも思ってないわ。」
雨季さんは私の頬を撫でてにっこり笑った。
「むしろ好都合とさえ思ってるわ。」
彼女はニヤリと笑った。背筋がぞくっとする。
「え…と…。」
「ついでに食生活と睡眠時間の徹底改善しましょう。お肌のお手入れも。私の化粧品を良かったら使って。あ、明日の出勤は今日買った洋服を着ていきましょう。とりあえず、まずは寝ることね。睡眠不足は仕事の作業効率も落とすわ。」
ぐいっと距離を詰めてくる雨季さん。後退りしようにも背もたれのソファーのせいで出来ない。ただソファーの背もたれに背中を押し付けるような形になってしまう。
「そんなに警戒しなくてもいいのに。」
ふっと笑みを浮かべて、雨季さんは私から離れた。
「とりあえず、ソファーで寝るのは禁止。ちゃんとベッドで寝ること。大丈夫、私のベッドセミダブルで広いから。」
そういう問題じゃない。
「ふあー…私眠くなってきちゃった。さ、日菜子ちゃん行きましょう。大丈夫、何もしないから。」
雨季さんは私の手を引いて私を立ち上がらせた。そして耳元に唇を近づける。もしかしてまたキスをされる!?私はぐっと身構えたが、雨季さんは鈴が転がるような声で囁いた。
「今はね。」
!?
「これからよろしくね。日菜子ちゃん。明日一緒に出勤出来るのが楽しみだわ。」
雨季さんは満面の笑みを浮かべた。
まさか偶然とはいえ、警戒していた先輩と同居することになるなんて。展開が急すぎてついていけない。くらくらする頭を抑えながら、私は大きなため息をついた。
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