第2話 警戒してる顔も可愛い

「はあああああああ。」

「今度は何の溜息?」

「別に。」

「変な日菜子。」


 あの日の一件から、隣の部署の竹中雨季には近づかないようにしている。まあ、基本的に隣の部署に行くことなんて早々ないし?お昼ご飯も大概朝コンビニに寄って買ったパンをかじるくらいだから、外でランチでばったり!なんてこともないし。


 ちなみに、あの日のせいで彼女を警戒しまくっているおかげで、上司の弱みを握っている暇がない。結局あの日渡されたUSBも未だに見れていない。よって上司の弱みを握れていない私は相変わらず増え続ける仕事と格闘している。ああ今日も栄養ドリンクが最高に美味しい。


 このまま時間と共に何事もなく過ぎ去ってくれればいいのだ。よく考えればこの前の一件だって夢だったかもしれないし。ああ、そうだ。夢だったんだよきっと。さあ、今日も目の前の山積み仕事を片付けよう!


 ピコン


 音を立てて表示されるのは社内メール。そこに記されている名前を見て顔が引きつった。


『from uki takenaka』


 うっわ。雨季さんじゃん。無視したいのは山々だが、この前の彼女の言葉が頭を過る。


「もし付き合ってくれないのなら、貴女の情報を部長やいろんな人に流すわ。」


 思いだしただけでぞわぞわっと寒気がする。無視したら私の個人情報が社内にばら撒かれてしまう。無視するわけにはいかないよなあ…。


「ああああああもうっ。」

「日菜子!?急に大きな声だしてどうしたの!?」

「何でもない!」

「何でもなくないよね?大丈夫?体調悪いとか?」

「大丈夫だから…ほんと。」

「そう?ストレス溜まってるなら、甘いものでも食べたら?ほい、飴。」

「ありがと。」


 隣の席の怜奈からひょいと飴を一個投げられた。私はそれを受け取ってから、社内メールをクリックした。


『本日正午、屋上に来てね。』


 それだけ?っていうかなんですかこの告白の呼び出しの定型文みたいなメールは。



「はああああああ。」

「また溜息?なんなの?情緒不安定なの?っていうかその大きすぎる溜息やめてよ。なんか移りそう。」

「ひどくない?」

「別に。あ、もうすぐ12時じゃん。お昼ご飯たーべよ。日菜子は?」

「え。」


 時計を見ると、時刻は12時5分前。私は慌てて立ち上がった。


「ちょっと外行ってくる。」

「え?今日はコンビニじゃないの?」

「用事があるから。」

「用事?」


 私は急いで社内のエレベーター前まで移動した。が、昼休憩に向かう他の社員でエレベーター前は混雑な上に、なかなかエレベーターが来ない。これは階段でいくしかないか。

 急いで階段を駆け上がる。時間に遅れたら何をされるか分かったもんじゃない。24歳という歳で一応若者というカテゴリーに分類される私だが、普段コンビニパンと栄養ドリンクで生きている身としてはこの階段でワンフロア上るだけでもかなり息が切れる。


 何とか屋上に到着して、ドアを開けると、そこには竹中雨季がいた。風に揺られて、ポニーテールやスカートがフワフワと揺らいでいる。


「10分オーバーね。」

「はあっはあ、……来ただけ良いと思ってください。」

「それもそうね。体力ない中階段で駆け上がってきてくれたみたいだし。良しとしましょう!」


 雨季さんは何故か上機嫌だ。この人の考えていることが分からない。私は出来るだけ彼女と距離を取りながら声を掛ける。


「で、用件はなんですか?」

「どうしてそんなに遠くから話しかけるのかしら?」


 自己防衛です。なんて言えるはずもなく、私は彼女の返事を待った。


「まあ、良いわ。大体わかるから。今日の用件はこれよ。どうぞ。」


 雨季さんはにっこり笑顔で後ろに隠していた紙袋を私に見せた。遠くて良く分からない。どこかのお店の紙袋だろうけど……。


「近くで見た方が分かりやすいと思うけれど。」

「そりゃそうですけど。」

「何もしないわよ?」

「本当ですか。」

「ええ、私嘘はつかないの。」


 嘘だ。なんてツッコミを入れながら渋々雨季さんに近づいた。雨季さんは私に満面の笑みで紙袋を渡した。


「どうぞ。」

「えっこれって。」


 この紙袋は…。まさか。都心から離れた島で本店でしか取り扱っていない幻の限定スイーツ。しかも一日10個限定で、なかなか手にがいらないという。私も学生時代に旅行で一回行ったときにたまたま…いや、奇跡的に食べられたけど。あわよくばもう一度食べたいと思ってたけど。こんなこと雨季さんが知ってるはず……。


「好きでしょう?これ。」


 何で知ってるんだよ。


「うちの部署で出張に行ってた子がいてね。お土産に買ってきて。って頼んでおいたの。折角だから早く渡したくて。」

「ソレハドウモ。」

「あら?どうしてそんなに顔が引きつってるのかしら?嫌いだった?」

「いえいえとんでもないです。有難く受け取らせていただきます。ただ…。」

「ただ?」

「このスイーツ、確か島でも限定10食のはずなんですけど、よく出張次いでに買えましたね。」

「ああ、それはちょっと……うふふ、何でもないわ。」


 これ何かあるやつじゃん。大丈夫?その出張いった子弱みとか握られてない?というか雨季さんだったら絶対弱み握ってますよね。その出張行った子が心配だ。


「うふふ、人の心配してる暇があるのかしら?」

「えっ。」


 いつの間にか雨季さんは私の目の前にいた。

 近い近い近い近い!!いつの間に距離詰めてきたの!?慌てて私は後退りするが、残念後ろはフェンスで行き止まりだった。


「それで?この前渡したUSB使ってくれた?仕事は減ったかしら?」

「……それどころじゃないんで。」

「ああ、なるほど。私の事が気になって後回しにしちゃってってことね。うふふ、可愛い。」


 何でこの人は人が考えていることをスラスラと。腹が立つくらい大正解だ。


「警戒してる顔も可愛い。」


 雨季さんが近づいてくる。コツコツとヒールの音が大きくなっていく。雨季さんは私に手を伸ばす。ああ、もう少しで触れられてしまう。その瞬間だった。


ピピピピピ


 雨季さんのスマホが鳴る。


「はい、竹中です。ああ、そのことでしたら……ええ、そうです。分かりました。すぐ向かいます。」


 スマホを軽く操作して通話終了すると、雨季さんは残念そうにスマホをポケットにしまった。


「ごめんね。呼ばれちゃった。」

「いえ。」


 助かった。安堵の溜息が零れた……のも束の間だった。


「あ、そうそう。」


 雨季さんは私の腕をするりと撫でると、そのまま私の手を握り、ぐいっと引き寄せる。


「えっ。」


 そのまま雨季さんの顔が近づいてくる。ええっ、ちょっと、待って。これは…。

 まさかキスされる?こんな真昼間から屋上で?


 チュッ


 小さな音をたてて雨季さんは、私の唇ではなく、目の下にキスを落とした。大人っぽい香りがした。


「あまり栄養ドリンクばっかり飲んでちゃ駄目よ。目の下のクマ、可愛い顔が台無しよ。」


 雨季さんは長い指でスーッと目の下をなぞった。


「じゃあね。今度ご飯いきましょうね。」

「いっ嫌です。」

「予約しておくわね。」


 私の返事聞いてない!ってうかさらっと流したよね!?


「ああ、初デートってことになるのかしら。楽しみね。次の日の朝まで予定入れちゃ駄目よ。」

「ちょっと待ってください!朝までって。」

「そういうことよ。楽しみね。いいホテルも探しておくわね。」


 雨季さんはヒラヒラと手を振って行ってしまった。私はその場にへたり込んでしまった。



「嘘でしょう?」

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