第12話 成長

「良かったなぁ、椿。藤花は立派に成長しているようだぞ」



 藤花は、雪姫の言葉に首を傾げてしまう。



「えっと、雪姫、何を言っているの……? わたしにこんなこと言われるなんて、何も良くないよ……」


「そうかね? 親よりも大事なものを見つけるというのは、人間にとって成長の証だと聞いたことがあるぞ? それは、ときに親離れとも言うらしい。違ったかね?」



 これは、親離れなのだろうか?


 藤花には、いまいちよくわからない。




「……ねぇ、雪姫。わたし、お母さんたちより、雪姫を好きでいてもいいのかな」


「私にそんなことを聞くんじゃないよ。私が藤花を肯定したら、藤花はそれで自分を肯定するのかね? 私が藤花を否定したら、藤花はそれで自分を否定するのかね? 自分の心の有り様くらい、自分で勝手に決めたらどうだ? もう、親離れするくらいには、子供ではないのだろう?」


「……わたしは、子供じゃない。子供じゃないよ」



 雪姫に、いつまでも子供扱いはされたくない。


 対等に、好き合える相手だと思われたい。



「……お母さん。ごめんなさい。わたし、やっぱり雪姫が好き。お母さんを傷つけても、他の誰を敵に回しても、わたしは雪姫に眠ってほしくない。ずっと、わたしの側にいてほしい。だから……ごめんなさい。お母さんたちが雪姫をどうしても封印しようとするなら、わたし、お母さんたちの、敵になるよ」


「藤花……っ。ダメよ、そんなのダメ! 魔王への気持ちは、もう忘れなさい! そして、あなたは白面の一族として、魔王を封じ続けるの! それが、必ず藤花にとっていい未来になるから!」


「ならないよ。雪姫のいない未来は、わたしにとっていい未来じゃない。……お母さんがそう言うなら、わたし、雪姫と一緒に家を出ていくよ。家族の誰もわたしたちを見つけられないような場所で、ひっそりと生きていく」


「ダメ! そんなの許されるわけないでしょ!?」


「……ごめんなさい。許されなくても、わたしは行く」



 母がぎりりと歯を食いしばる。藤花は、母がこんなに怒った顔をするのを、初めて見た。



「……魔王っ。あなたのせいで、藤花がおかしくなった!」


「おいおい、私のせいにしないでくれるかね? 私は何もしちゃいない。危険思想を植え付けたわけでも、私に執着するように仕向けたわけでもない。藤花がおかしくなったのなら、それは、全ての女に潜在的に備わった悪癖のせいだろう。すなわち、恋は女を狂わせる、ということだ。私に八つ当たりをするのはやめ給えよ」


「結局、あなたがいるせいってことでしょう!?」


「惚れた腫れたで起きる人の変化など、本人の責任だ。強いて藤花以外のせいにするとするなら、恋なんぞに狂う女に育てた、椿の責任だろうよ」


「……いつもいつも、あなたはそんな態度で……。全然優しくないし……私を馬鹿にするし……」


「私が優しくないのは当たり前だ。しかし、別にお前を馬鹿にした覚えはないのだがね」


「……あなたなんて、大っ嫌い!」


「お前は、それを聞いて私になんと思ってほしいのだね? 私はお前に好かれたいとも思っていないのだから、お前になんと言われようと気にもならんさ」


「……本当に、嫌い」



 母の目に、僅かに涙が滲んだ。


 その涙の意味を、藤花は測りかねる。



(お母さんは、今、どんな気持ちなんだろう……? お母さんって、本当に、雪姫のことが嫌いなのかな……?)



 尋ねてみたいとも思うけれど、母が素直に答えてくれるとも、藤花には思えなかった。


 代わりに、藤花は、母に告げる。



「お母さん。わたし、お母さんのこと、大好きだよ。家族の皆のこと、わたし、大好きだよ。……でも、ごめんなさい。もうきっと、会うこともないね」


「藤花……っ」


「……しばらく眠っていて。万物に宿りたる尊き神々よ。矮小なる人の子の祈りを聞き届け給え。荒ぶる魂を鎮める安寧の眠り、みん



 藤花が術を掛けると、母は抵抗することもできず、すっと眠りに落ちた。


 藤花はその体を支えて、ぎゅっと抱きしめる。



「……ごめんなさい。大好きだよ」



 藤花は母の体を運び、離れの一室に寝かせる。押入れから掛け布団も持ってきて、そっと被せておく。もう冬は過ぎたけれど、何もせずに放っておいたら、母は風邪を引いてしまうかもしれない。


 藤花は母の隣に正座して、母の美しい顔を眺める。


 それから、畳に両手をついて、深く頭を下げる。



「親不孝な子供で、ごめんなさい」



 藤花は顔を上げ、雪姫の入った箱を見つめる。



「雪姫。逃げるよ」


「藤花がそうしたいなら、そうすればいい。どうせ私は、この箱に囚われて身動きもできん」


「……雪姫だって、ずっと封印されてるのなんて嫌でしょ?」


「お前に改めて説明するのも面倒だ。逃げると言うなら、さっさと準備したらどうかね? あまり悠長にはしていられないぞ?」


「それもそうだね。えっと……何を持っていけばいいんだろう? お金と、着替えと、呪具とか刀も持っておくといいかな。あとは……?」


「やれやれ。勇ましく逃亡宣言したというのに、何をすればいいのかもわからんとはね。遠方に妖怪退治に行ったこともあるだろう? そのときに持っていくものを用意すればいいさ」


「あ、そっか。それでいいんだ。旅支度をして……それから、どこに向かえばいいんだろう……? 誰にも追われなくなる場所って……?」


「……お前は呆れるほどに考えなしだな。本気で逃げるというのなら、海を渡るくらいはした方がいいだろうよ。この国にいれば、どうしたって追手はやってくる」


「そ、そっか。海を渡る……。海って、どうやって渡るの……?」


「……世話の焼ける子供だ。とにかく急いで旅支度をしろ。どこに向かうかを決めるのは、その後だ」


「う、うん。わかった。準備する」



 藤花は立ち上がり、急ぎ旅支度を始める。


 家族に掛けた術は、長くて一刻程度しか続かない。あまり強く術を掛けるのも体に悪いので、この一刻の間に準備を整え、出発しなければならない。



「ああ、もう、わたし、急ぐのは苦手なのに……っ」


「お前はもう少し、機敏さを身に着けたほうがいいだろうよ」


「わかってるよ! わかってるけど、苦手なものは苦手なの!」



 藤花はばたばたと家の中を走り回る。


 少し寂しくて、でも、実のところそれ以上に、胸は高鳴っていた。


 雪姫と二人だけの旅が、始まろうとしている。

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