第11話 酷い話

 * * *



 藤花は、飄々とした雪姫の言葉に戸惑ってしまう。


 祖母の話を聞く限り、雪姫は母に奈落封獄ならくふうごくの術を掛けられるところだったはず。


 流石の雪姫も、未来永劫封印され続けるのは恐ろしく感じるだろう。


 その恐怖を全く感じさせないのは、雪姫が豪胆なのか、強がっているだけなのか、あるいは、何か封印を跳ね除ける秘策があるからなのか。



(……まぁ、雪姫が狼狽えているところなんて、全然想像もできないんだけど)



 雪姫は、いつだって凛として美しい。たとえ死の淵に立たされようとも、決して動じない気がした。



「藤花……おばあちゃんたちは、どうしたの……?」



 母が、藤花に鋭い視線を向けながら尋ねた。



「おばあちゃんとお父さんは、わたしの術で眠らせてる。怪我はないから安心して」


「……おばあちゃんは、藤花に術を使ったんじゃないの?」


「使ったよ。でも……落ち着いて対処したら、解除はそんなに難しくなかったよ」


「解除が……難しくない……? おばあちゃんの術が……?」


「はっはっは! 椿よ、そう驚くこともあるまい? 藤花はそういう奴さ。信じられないと思うなら、お前も藤花に術を掛けてみるがいい」



 母は一瞬雪姫の入った箱を睨み、再び藤花を見据える。


 そして、刀印を作った右手を藤花に向けた。



「……ばく



 藤花の体を三つの光の輪が締め付ける。胸元、みぞおち、足を拘束されて、藤花は身動きが取れなくなった。また、呪力も抑制されて、呪術を使うこともできない。



「……ちょっと、苦しいかも」


「……藤花。私は藤花を傷つけたいわけじゃない。私は魔王を封印するから、藤花は大人しくしていなさい」


「嫌だよ。それは、嫌。たとえお母さんの言うことでも、おばあちゃんやお父さんの言うことでも、従えない。わたしは、まだまだずっと、雪姫と一緒にいたい」


「おばあちゃんから話は聞いているでしょう? 魔王を今のままにしておくことは、白面家にとっても、この国にとっても、よくないことなの。聞き分けなさい」


「ごめんなさい。お母さんたちの言っていること、たぶん、理解はできるの。だけど、やっぱり、わたしは、雪姫ともうお話できないなんて、嫌だ。そんなの、受け入れられない」



 雪姫のことが好き。


 初めて顔を合わせたその日から、ずっと好き。


 雪姫はたまに酷いことも言うし、優しい言葉を掛けてくれることなんて滅多にないし、酷い人だと、藤花も思う。


 だけど、好きになってしまったのだ。


 千年掛けて、ようやく命の価値を知り始めた、恐ろしい魔王のことを。



「……お母さん。この封印術、ほどくね」


「呪力を封じられているというのに、本当にそんなことができるというの……?」



 藤花は軽く深呼吸する。


 そして、ゆっくり、ゆっくり、母の施した封印術を解いていく。


 流石は白面家の術と言うべきか、一瞬で解除できる簡単な拘束ではない。


 でも、その構造を知り、綻びを一つ一つ丁寧に解いていけば、解除することは可能だ。


 パリン、とガラスの割れるような音がして、拘束が解ける。


 自由になった藤花を見て、母は驚愕の顔。



「まさか……本当に……? 一体、どうやって……?」


「……これはあくまで、たとえなんだけどさ。白面家の拘束の術は、とても頑丈な縄で相手を拘束するようなもの。その縄はね、力任せに引きちぎろうとすると、余計に頑丈になって、拘束を強くするの。でも、拘束された者があえて力を抑えると、その縄は脆くなっちゃうんだ。脆くなって、ほつれた部分を、丁寧に、優しくほどいていくと、その縄を切ることができる」


「……そう、なの?」


「うん。たぶん、妖怪退治を考えるなら、克服する必要もない弱点。初見でこの弱点を見破れる妖怪はいないと思う。でも、わたしは白面家の術をよく知ってるから、この弱点を利用して、術を解くことができる」


「……藤花には、そんなことができたのね。知らなかったわ」


「うん。皆、これくらいはできると思ってた。弱点はあるけど、別に問題にもならないから、実戦で使ってるんだと思ってた。そもそも、全く弱点のない術なんて存在しないから、あっても問題にならない弱点を選んで、術を使うものだと思ってた。当たり前のことだと思ってたから、あえては言わなかった。当たり前じゃないらしいって気づいたのは、雪姫と顔を合わせてからのこと。雪姫は、術の弱点に気づく者は僅かだって言ってた。……あえて皆に知らせる必要もないから黙っておけ、とも言ってた」


「……そう」



 母が再び雪姫の入った箱に視線をやり、睨む。



「……魔王。いつかこんな日が来ることを、予期していたのね」


「予期していたとまでは言わないさ。こんなこともあるかもしれない、とは思っていたがね」


「……私、やっぱりあなたが嫌いだわ。全てを見透かして、人を小馬鹿にして」


「お前は私をなんだと思っているのかね? 私は全てを見透かしてなどいないし、人を小馬鹿にもしていない。概ね暇を持て余しているものだから、仕方なく、白面家を滅ぼす方法ばかり考えていただけさ」


「なお、悪い。……もういい。とにかく、藤花」


「うん」


「……私たちは、魔王を封じなければならない。あなたは、眠っていなさい」



 母が術を使う前に、藤花は呪力で脚力を強化し、母に接近。母が突き出した右手を、藤花は同じく右手で掴んだ。そして、藤花は母の中に無理矢理呪力を流し込む。



「くっ!? な、何!? 術が……妨害された?」


「……お母さんの呪力に干渉した。人は外から無理矢理呪力を流し込まれると、術を発動できなくなる。人が字を書こうとしているとき、周りの人が強引にその人の体を揺さぶる感じかな……。字なんてとても書けなくなっちゃう」


「り、理論上はそうでも……他人に無理矢理呪力を流し込むなんて、簡単にできることではないでしょ……? 私だって、普段は他人の呪力から干渉されないように、自分を守っているのだから……」


「普通はそうかもね。でも、わたしとお母さんだもん。わたしは、お母さんの呪力の色をよく知ってる。わたしの呪力を、お母さんの呪力の流れに紛れ込ませることは、そんなに難しくないよ」


「あなたって子は……」



 母は、藤花を見て泣き笑いのような表情を浮かべる。


 娘との結びつき、あるいは娘の成長を喜ぶような……娘が遠くに行くことを、寂しがるような。



「お母さん。お願い。雪姫を封じるなんて、言わないで」


「……藤花。それは、無理なの。藤花ももうすぐ成人なんだから、わかるよね?」


「……説得は、無理なのかな」


「私は、譲れない」


「そっか。……こんなとき、どうすればいいんだろう。ねぇ、雪姫。わたし、どうすればいいの……?」



 藤花は、どうしても雪姫を封印してしまいたくない。これからもずっと、すぐ傍で笑っていてほしい。


 でも、母に逆らうことも、心苦しくて……。


 今まで感じたことのない苦しさが、藤花を襲っていた。


 そして、雪姫は突き放すように言う。



「私になんと言ってほしいのかね? ありもしない、皆が幸せになれる道を示せとでも言うのかね? そんなものがあれば、楓も椿も苦労はしていないさ。藤花からすれば、私を取るか、家族を取るかの二択ということだ。どちらを選ぶかは、藤花が勝手に決めるしかない。お前はどうしたいのかね?」


「……わたしは」



 藤花の中で、今、一番大きな価値を持つのは、雪姫だ。生まれたときからずっと一緒に過ごしてきた、家族ではない。


 自分はなんて薄情なのだろうと、嫌気が差す。



「……ねぇ、雪姫」


「なんだ?」


「わたしって……すごく嫌な子供だ」


「なんでそう思うのかね?」


「だって……わたしは……」



 藤花は一呼吸置いて、キッと母を睨む。



「お母さんたちより、雪姫のことが大好きだから。こんなの、本当に酷い話だよ。わたしは、本当に嫌な子供だ」



 母に向かってそう宣言するのは、自らの心臓に短刀を突き立てるような痛みを伴った。


 ごめんなさい、と心の中で母に謝った。


 母は、とても苦しそうに、顔を歪めていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る