第10話 嫌い
* * *
「どうした、椿。今日は一段と堅苦しい雰囲気じゃないか」
雪姫は、近づいてくる椿の気配に向けて話しかける。
封印の箱の中にいる雪姫には、当然ながら椿の姿は見えない。だが、箱の中にいても周囲の気配は感じ取れる。呪力の気配を探ることで、誰がどこにいるかはわかるのだ。
そして、雪姫の入った封印の箱は縁側に置かれ、椿はその隣に腰掛けている。
「……魔王。私の正直な気持ちを話すなら、私はあなたに感謝している。あなたにとっては屈辱の日々だったかもしれないけれど、あなたはよく白面家に力を貸してくれた。白面家の発展にも、大きく寄与してくれた」
「……私は進んで白面の一族に力を貸したわけではないさ。お前たちが無理矢理に私を働かせただけのこと。だが……今日は随分と気色の悪いことを言うものだな。椿が私に感謝を述べるなど、一体いつぶりかね?」
椿の雰囲気がいつもと違う。それだけで、雪姫は椿がこれから何をしようとしているか、概ね理解する。
「……私だって、一仕事して貰った後には、礼くらい述べていたと思うのだけれど」
「ああ、そうかもしれんな。ご苦労、よくやった、助かった……などとは、述べていたかもしれんな。あれを感謝と言うのなら、確かにお前は私によく感謝を述べていた。主人が奴隷を労うような態度だったがな」
「……私と魔王は、友達でもなければ、仲間でもない。あくまで、私は魔王を道具として使っていただけ。そう、あなたは、白面家の道具に過ぎない。少し口うるさい、ただの呪具……」
「まぁ、お前がそういう認識でいるのなら、それも良かろう。私とて、お前と友や仲間になろうなどと思ったことはない」
「思えば奇妙な関係ね、私たち。私は、夫よりも長い時を、あなたと共に過ごしてきた……。初めて顔を合わせたのは十四のときだけれど、あなたは私が生まれたときからここにいて、ずっと傍にいた」
「ああ、そうだな。お前が生まれた瞬間のことも、私は覚えているぞ。産声をも聞き、やかましいガキがまた増えたのかと、忌々しく思ったものだよ」
「……あなたは、白面家の誰より、白面家を知っている。その全てを、その目で見てきた。そして、白面家の繁栄を、千年に渡り支えてきた。私たちより、あなたこそ、白面家そのものかもしれない」
椿はしみじみと述べて、ふぅ、と軽く溜息をついた。
椿にとって自分がどういう存在なのか、雪姫はよく知らない。特に知りたいとも思わなかった。
そもそも、雪姫は、人間と仲良く暮らしていこうなどと思っていなかった。今でも思っていない。
ただ近くにいたから、雪姫は白面家のことに多少詳しくなった。それだけのことだ。
それだけのことの、はずだ。
白面家の千年の歴史が、ほんの一瞬、雪姫の脳裏によぎる。だが、それもすぐに打ち消す。どうでもいい記憶だ。
「それで、椿。私を封印するのかね?」
雪姫は本題に入った。
椿が一瞬動揺する気配を見せたが、すぐに落ち着きを取り戻す。
「……予想がついているというのに、随分と落ち着いているのね」
「私が泣き叫ぶ姿でも見たかったかね? その程度のことで動じるほど、私は若くないのだがね」
「でも、あなただって、もう目覚めることのない封印を施されるのは、怖いのではないの?」
「
「
「それはそうかもしれんな。これから百年、私は眠り続けるのかもしれん。だがな、椿よ。その術は、百年で解ける。間違いない」
「何を言っているの? 元々、百年で解ける術。封印が解ける時期に、白面家の子孫がまた同じ術を掛けて、あなたを封じる。それを繰り返し、あなたは永遠に封じられる」
椿の妄言に、雪姫は失笑してしまう。
「存外に愚かだな、椿。お前はもう少し賢い女だと思っていたぞ?」
「……どういう意味?」
「本当にわからないのか? あのなぁ、椿よ。白面家が封印術で最高峰の力を有しているのは、私という脅威がすぐ身近にいるからだ。私が虎視眈々と封印を解こうと画策し、白面家は私に対抗するために封印の術を磨き続ける。そのイタチごっこの果てに、お前たちの今がある。
私がいなくなったらそれがどうなるかくらい、想像がつくだろう? 身近な脅威がいなくなれば、白面家は確実に怠ける。
「それは……」
椿は何かを続けようとするが、結局続かなかった。
「私を封じ続けたいのなら、百年単位ではなく、長くとも十年単位にするべきだな。一年おきくらいにする方がよりいいだろう。だが、それでも緩やかに、しかし確実に、白面家は衰退していく。なんの脅威があるかもわからん奴の封印を、延々と続けることなどできるわけがない。それが人間というものだ。それがわかっているからこそ、私は椿の施そうとする封印に何も脅威を感じない。ほんの一眠りして、目が覚めたら今度こそ自由の身だ。素晴らしいな。椿よ、早くその術を掛けてくれ」
「……あなたのそういうところ、私は嫌いよ。皮肉っぽくて、嫌味っぽくて……」
椿が忌々しそうに吐き捨てる。
「そうかね? 藤花には割と好評なのだがねぇ」
「……藤花は、あなたを慕っているから」
「ふん。全く、私の何がいいのやら、だな。あれも人間としては優秀な部類なのだろうが、そのせいかちっとばかし頭がどうかしている。……ああ、そうか。百年も眠れば、もう藤花には会えなくなるか。その行く末も、見届けられない。それだけは……惜しい、やもしれんな……」
まだまだ子供にすぎない、藤花。きっと数年のうちに大人になり、多少は魅力的な女性になることだろう。封印されれば、その様をもう目にすることはできない。
少しだけ。ほんの少しだけ、今はない胸が、チクリと痛む、ような気がした。
「……いや、まぁそれはいい。それで、どうするのだね? 百年の安寧のために、私に
「少なくとも、あなたを今のまま放置はできない。あなたは、争いの火種になりかねない」
「で? 結局どうするのかね?」
椿はすぐには答えない。
雪姫は密かに笑いつつ、続ける。
「椿よ。早く決めないと、藤花が戻ってきてしまうぞ? 藤花は私の封印に断固反対するだろう。たとえ、白面家の全てを敵に回そうと。そして、たとえ椿と戦うことになろうと」
「……藤花は、母さんが抑えてくれている」
「は! 椿よ、本気で言っているのか? お前は藤花の何を見てきた? 発展途上なうえ、本人にはろくに自覚もないが、あれでも一応は天才の類だぞ? 齢十五にして、私を封じる術をいくつも生み出している。全盛期の楓ならいざしらず、老いぼれた楓に、藤花を抑えることなどできるわけもない」
「……夫も、いる」
「それがどうした? 藤花はとっさの判断が鈍いし、非常事態にはみっともなく狼狽えてしまう。しかし、落ち着きさえすれば、あの二人を退けるくらい問題ない」
雪姫が話している間に、パリン、とガラスの割れるような音が鳴り響いた。
「ほらな。藤花が来るぞ。椿、親子喧嘩の心構えはできているかね?」
程なくして、藤花が離れにやってくる。
「雪姫! まだ無事!? 何もされない!?」
「やれやれ、何を焦っているのかね? 私の唇を奪おうとする女などお前くらいのものだ。椿に何かをされるわけがなかろう?」
「……あれ? なんか、思ってたより緩い雰囲気……? 雪姫、封印されるところだったんじゃないの……?」
藤花が困惑している。
雪姫は、その顔を思い浮かべて、箱の中でひっそりと笑った。
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