第6話 望み

 離れから母屋は、そう離れているわけではない。


 藤花はすぐに武家屋敷に似た母屋の裏庭へ到着したのだが……。



「皆……っ」



 祖父母、両親、弟と妹の六人が、裏庭で倒れている。全員、意識はない。本当に生きているのかと不安になるが、呪力の気配からすると、ちゃんと生きてはいる。


 そして、その六人の傍に、また三人の男たちがいる。ローブ姿で顔も隠しているが、体格からして男だろう。



「ちっ。小娘から魔王の首を奪うことすらできんとは。使えん奴らだ」



 首領らしき男が、忌々しげに吐き捨てた。


 藤花は、とにかくこの三人も拘束しようと、刀印を作った右手を三人に向けた。



「万物に……」


「ドラゴン・フレイム」



 藤花が術を発動する前に、灼熱の業火が藤花たちを襲った。藤花は反射的に術の発動をとめてしまう。


 死を意識して、藤花の頭は真っ白になる。しかし、業火が藤花たちを焼くことはなかった。



闇の盾ダーク・シールド



 闇色の壁が、藤花たちを守ってくれた。



「藤花。想定外の出来事が起きる度に思考停止に陥るのはやめろ。そして、凄腕の魔法使いを相手にするときには、その発動速度では足りんな」


「……う、うん。ごめんなさい」


「しかし、あいつはかなり特殊な部類だ。二級に匹敵するかもしれん」


「二級……。牛鬼うしおに土蜘蛛つちぐもに匹敵するってこと……?」



 牛鬼や土蜘蛛は、この日ノ出皇国で有名な大妖怪。討伐には多大な犠牲を払ったと言われている。


 たった一人の魔法使いが、それと同等の力を有するなど、藤花は考えたくなかった。



「……ちっ。首だけでも、魔王は魔王か。我が炎を防ぐとはな。おい、小娘。家族の命が惜しければ、魔王の首を寄越せ」



 首領の男は、手にした小枝のようなものを藤花の家族に向ける。



(わたしの呪術じゃ、あいつの攻撃を防げない……。どうしよう……。どうすればいいの……? 雪姫……っ)



 藤花は、雪姫の入った箱を抱きしめることしかできない。



「藤花」



 雪姫の声が、今は何より頼もしい。



「……うん」


「奴を倒すには、今の状態では難しい。私の封印を解け」


「雪姫の、封印を……?」



 封印の箱に入った雪姫は、本来の力の二割程度の力しか発揮できない。


 箱から取り出すと、それが六割程度に上がる。


 そして、魔王自身に付与された封印もあり、それを解除すれば、本来の力を発揮できる。


 雪姫本来の力を発揮すれば、あの魔法使いを倒すことも難しくはないのだろう。


 ただ、藤花は雪姫の本来の力を知らない。


 この千年、雪姫自身に付与された封印が解かれたことはない。


 解き方は伝わっているけれど、もし、一度でも解いてしまったなら、もう魔王を封印しなおすことはできないのかもしれない。



「おい! 小娘! 早くしろ! そいつを寄越せ! 家族を殺されてもいいのか!?」


「まぁまぁ、落ち着き給えよ、若人わこうど。人質というのは生きていてこそ価値があるのだ。殺してしまったら、もう交渉もできないだろう? 相手は小娘なのだから、悩む時間くらいは与えておやりよ」


「は! 人質は六人いるんだ! 一人殺したところで問題はない! おい! 小娘! 十数える間に魔王の首を寄越せ! さもなくば、まずはガキを一人殺す!」


 男が数え始める。


 悩んでいる時間はない。



(お母さんは、いつも雪姫を警戒している。どれだけ気さくに見えても、本質は邪悪な存在だって。でも……わたしは、そうは思わない。雪姫には、もうそんな邪悪さはない。きっと、大丈夫)



 藤花は、雪姫と過ごしたこの一年九ヶ月を信じることにした。


 そうする他なかった、ということでもあるのだけれど。


 藤花は雪姫を封印の箱から取り出し、両手で掲げて、唱える。



「万物に宿りたる尊き神々に告げる。我、今こそ魔王の戒めを解く。封印、崩解ほうかい



 藤花は、雪姫を封じていた力を消し去る。


 途端に、場の空気が変わる。


 淀みきって汚れきった空気が満ちて、藤花は呼吸さえも苦しく感じる。


 重力が強くなったかのようにも感じて、体が重くなる。


 ただ立っていることも難しくなり、藤花はそのままぺたんと座り込む。



「くっ! はははははははははははははははははははは!」



 雪姫が笑う。今までの、どこかひょうきんで、でも気高く誇り高い雰囲気が、消失した。


 その笑い声が、藤花の体をさらにずんと重くする。


 雪姫はただ魔力を放出しているだけだというのに、藤花は体が蝕まれていくように錯覚する。


 藤花だけではなく、三人の男たちもまた、魔王の放出する魔力に蝕まれ、地に膝をついて動けなくなっている。



「千年だ! 千年待った! ようやく忌々しい封印から開放された! 感謝するぞ、わっぱども! 脆弱にして矮小にして愚劣たる人間にしては、よくやってくれたものだ! 褒めてやろう!」


「ゆ、雪姫……?」



 雪姫は、藤花の呼びかけに応じない。



「おい、わっぱよ。私の解放を助けてくれた褒美だ。何か一つくらい、願いを聞いてやろう」



 首領の男は一瞬呆けたが、直ぐに気を取り直し、叫ぶ。



「あ、ああ……。お、俺に、力を、くれ! 世界を支配する、圧倒的な力を……!」


「力を望むか。実に人間らしく、くだらない願いだな。まぁ、それもよかろう。だが……お前程度の器で、我が力を受け止めきれるかな?」



 頭領の男が、闇色の靄に包まれる。



「ぐが!? うがああああああああああああああああああ!?」



 男がもがきながら絶叫する。さらに、その体がぼこぼこと変形し、最後にはパンッと弾けてしまった。


 生温い雨が降る。藤花はその光景に、ただ顔を引きつらせることしかできない。



「やれやれ。この程度の力すら受け入れられんとはな。やはり人間は脆弱だ。おい、あとの二人。何か望みを言え。さもなくば、ただ殺す」



 二人の男は一瞬顔を見合わせ、半ばやけくそ気味に答える。



「……か、かねだ! 金をくれ! 一生かけても使い切れないような、大金を!」


「俺には、強力な魔道具を! 世界の王になれるような、強力な奴だ!」


「全く、本当にお前たちは人間臭いな。まぁ、良かろう。受け取れ」



 雪姫が何かを唱えると、一人の男の上に巨大な金塊が落ちる。その重さに耐えかねて、男は潰れてしまった。


 もう一人の男の手には、不気味な短刀が出現。その途端、男はゲラゲラと笑い声を上げながら自らの喉を突き、絶命した。



「な、何が起きているの……? 雪姫、一体、何をしたの……?」



 藤花の知る、どんな呪術とも違う、異質な力。


 もはや人知を超えた神の所業とさえ思えてしまう。


 雪姫は、藤花の問いかけには答えず、逆に問いかけてくる。



「藤花よ。お前も、何か望みがあるか? せっかく封印を解いてくれたことだし、一つくらい、望みを聞いてやっても良いぞ?」


「わたしの、望み……?」



 望みを言えば、雪姫は結局自分を殺すのだろうか。


 あの三人を、容赦なく殺してしまったように。



(……何も言わなかったら、雪姫は私をどうするんだろう? やっぱり殺すの? でも……ねぇ、雪姫。あなたは、本当に悪い人だったの……?)



「藤花。お前にはなんの望みもないのか? 十五歳にして、欲しいもの全てを手に入れたわけでもなかろう?」


「わたしは……」



 ここはなんと答えるべきか。


 いや、もう、ただ望みを言うしかないのかもしれない。


 どうせ、自分の命は雪姫の気分次第でどうにでもなってしまうのだから。



「わたしは……雪姫が、欲しい。わたし、あなたが好きなの。初めて見たときから、あなたのことが好きだった。あなたがいれば、それでいい。あなただけが、欲しい」



 藤花は、雪姫の顔を自分の方に向ける。


 そして、ろくに相手の反応も確かめず、そのまま強く口づけた。


 その唇は、想像以上に柔らかくて優しくて、温かかった。

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