第4話 わたしのもの

 大鬼退治からは一年と半年、あの人型の鬼退治からは、一年と三ヶ月が過ぎた。


 季節は春。


 夕暮れ時で、柔らかな日差しと爽やかな風が心地良い日。


 藤花は、初めて雪姫と対面した離れの一室にて、雪姫の首が入った箱を抱えて寝転ぶ。


 十五歳になるまで、藤花は雪姫と二人きりで話すことを禁じられていた。しかし、今ではそれも許されている。


 許されていないのは、単独で雪姫を離れの外に持ち出すこと。そのため、藤花は雪姫と話をするため、離れに入り浸るようになった。特に命じられているわけでもないのに、寝泊まりも離れでしている。


 なお、雪姫は普段、この離れに安置されている。この離れに入っていいのは、祖母、母、そして藤花の三人だ。



「ねぇ、雪姫。もうじき、わたしがあなたの管理人を引き継ぐことになるよ」


「ああ、そうだな。藤花と初めて顔を合わせたのも、もう一年と九ヶ月前のこと。時が経つのは実に早いものだ」



 箱の蓋が閉まっているので、雪姫の声は少しくぐもっている。直接声を聞きたいけれど、必要な時以外は蓋を開けてはいけないと母に言われている。今のところ、藤花はそれを守っている。



「……早かったかな。わたしには、凄く長い時間だったよ」


「藤花はまだ十五だからな。一日一日が長く感じるだろう。私はもう千年以上も生きているから、一年だってあっという間に感じるさ。藤花も千年生きてみればわかる」


「……そうじゃないよ。わたしにとって、この一年と九ヶ月が長かったのは、わたしの歳のせいじゃない」


「はて、何か特別な理由でもあるのかね?」


「……わかってるくせに」


「一体なんのことだろうね?」


「ふん。とぼけちゃって。まぁ、いいよ。あと三ヶ月で……雪姫は、わたしのもの」



 初恋から、一年と九ヶ月。


 藤花の雪姫への想いは決して衰えることなく、むしろ高まるばかり。


 雪姫が母の管理下にあるうちは、気軽に触れることもできない。でも、あと三ヶ月が経ち、十六歳になれば、雪姫は藤花の管理下になる。


 好きなときに、好きなだけ、触れられる。



「私を手に入れて、何をするつもりかね? まさか、私の力で世界を支配しよう、などと思っているわけではあるまいね?」


「そんなことするわけないでしょ。世界なんていらない。わたしが欲しいのは……やっぱり、なんでもない」



 雪姫が欲しい。それは、まだ言葉にはしない。


 こんな箱に入ったときではなく、直接触れて、目を合わせて、伝える。そう決めている。


 雪姫が自分の気持ちを受け入れてくれるかどうかはわからない。でも、それはどうでもいいのかもしれないとも思う。


 雪姫の気持ちがどうだろうと、雪姫は藤花のものになる。


 藤花の要求を、雪姫は拒めない。


 気持ちが通わなかったとしても、それで、十分……。



「……ねぇ、雪姫」


「なんだ?」


「今まで、白面家の中に、恋人になった人はいたの?」


「いいや、私が白面の一族と恋仲になったことはない」


「じゃあ……あなたが、魔王をしていたときには?」


「千年以上も前の話が気になるかね?」


「……少し」


「魔王をしていた頃には、恋人のような関係だった者くらいいるさ。齢二百にして生娘のままでは格好がつかんだろう?」



 チクリ。藤花の胸が痛む。


 もう千年以上も前の話だというのに、当時、雪姫の隣にいた誰かに、嫉妬してしまう。



「……そもそも、雪姫って、今千二百歳くらいなんだ」


「まぁ、それくらいだ。正確にはもうわからん」


「ちなみに、その恋人は、まだ生きてるの?」


「さぁね。私と同じ魔族で、魔族は長命だから、もしかしたら生きているかもしれん」


「そう……」



 そもそもの話、魔族とは、人間に近しい姿を持つが、人間とは異なる、邪悪で強力な力を持つ種族のこと。人間と同等以上の知性を持っている上、寿命も長い。


 また、西の大陸には、魔物というものも存在するらしい。そのほとんどに高い知性はなく、人と異なる姿をした危険な存在だ。


 そして、魔族と魔物をひっくるめて、藤花の住む日ノ出皇国では妖怪と呼んでいるといったところ。



「ねぇ、雪姫。もし、その人と再会できたら……どうする?」


「どうもしないさ。千年も昔の思いなど、とっくに忘れている。再会したとして、まだ生きていたのか、しぶとい奴め、とお互いに苦笑するだけだろうよ」


「そっか……」



 本当のところはどうだろうか。


 もし、その誰かが生きていたとしたら、雪姫に会わせたくないとは、思ってしまう。



(……どうか、そいつがもう、死んでいますように)



 藤花が密かに願った、その日の夜。


 事件は起きた。


 藤花が離れの一室で眠っていると、突然、ドン、と大きな音がする。


 藤花は飛び起き、枕元に置いた雪姫の箱を抱える。



「何? 襲撃?」


「襲撃のようだな。まぁ、焦るな。別に初めてのことでもないだろう?」


「それは、そうだけど……」



 藤花がまだ七歳だった頃、雪姫の首を狙って、怪しい者たちがやってきたことがあった。


 藤花は何もすることができず、安全な場所に隠れているだけだった。対処したのは母と雪姫で、そのときに何が起きたのか、藤花はよく知らない。


 ドン、とまた大きな音がして、離れの建物が揺れた。



「え、えっと、ど、どうしよう。戦う? わたしが、戦わないといけないんだよね!?」


「落ち着け、藤花。どんな敵が来たかは知らないが、まぁ、お前でも対処できるのではないかね? それに、ここには私もいるのだから何も心配することはない」


「そ、そう、だよね……。わたしはともかく……雪姫が負けるわけ、ないよね……」



 ズガン。一際大きな音がして、離れに掛けられた結界が破られる気配。


 敵が来る。


 雪姫の言葉を信じるなら、自分でも無力化できる相手。


 だから、大丈夫。


 雪姫の力に頼らず、妖怪と戦ったことだってある。



「藤花。とりあえず、この箱の蓋を開けろ」


「う、うん……」



 藤花は取り急ぎ、封印の箱の蓋を取る。


 これで、雪姫は魔法を使えるようになる。蓋を開けただけでは二割程度の力らしいが、それでも大抵の敵を倒すには十分だ。



「……敵は全部で六人だな。この雰囲気、どうやら魔法使いだ」


「魔法使いってことは……西の大陸の?」


「西の大陸の、更に西の果て、といったところだ。わざわざご苦労なことだよ」



 話している間に、どこからから煙の匂いがし始める。



「離れが燃えてる!?」


「そのようだ。まぁ、火事ぐらいで焦る必要もないがね」


「……雪姫は本当に余裕だね。どんな敵が来ているかもわからないのに」


「自分と敵の力量差くらいはわかるさ。ただ……ふむ、そう来たか」


「そう来たかって……?」


「藤花の家族が人質にされているようだ。両親、祖父母、そして、弟と妹」


「そ、そんな! お母さんとお父さんまで人質に!? 二人が敵わないような敵が来ているの!?」


「そのようだな。それより、来ているぞ」


「え?」



 すぐ近くで、ドン、とまた大きな音。そして、藤花のいる部屋が燃え始める。

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