第3話 殺し

 藤花が次に雪姫と妖怪退治をしたのは、寒い冬の日のことだった。


 今度の敵は、人間に取り憑く鬼。


 雪がちらつく曇り空の下、もはや動く者のいない小さな村で、そいつは殺した人間を食っていた。


 外見は人間に近い。小袖姿の二十代女性で、顔も美しいまま。しかし、額に二本の角を生やしており、口には牙がある。


 三級以上の力を持つ恐ろしい鬼。藤花は、またもその姿に怯えてしまった。


 しかし、母と、母が両手に持つ雪姫は、全く動じない。まるで、ただの雑多な妖怪を見ているかのよう。


 鬼が襲ってきて、雪姫がまた闇色の壁で藤花たちを守る。


 それから、ふと雪姫が言う。



「椿よ。こいつの退治は、藤花にさせてみてはどうかね?」


「藤花に? どうして?」


「人の形をした者を殺める経験も、藤花には必要だろう?」


「それは……そう、だけど……。藤花はまだ十四歳よ?」


「次にいつこんな機会があるかもわからん。こいつで経験させておけばいい」



 母は眉を寄せながら、藤花を見る。



「藤花。この鬼を、退治してみる?」



 女の姿をした鬼は、雪姫の作る闇色の壁を壊そうと足掻いている。雪姫との間には圧倒的な差があるが、藤花にとっては恐ろしい鬼だ。



「え、えっと、わたしがこいつを退治するの……? 一人で……?」


「とどめを刺すだけよ。今からあいつを拘束の術で捕縛して、刀で首を落とすの。弱い妖怪相手には、やったことがあるでしょ?」



 藤花は、今日も帯刀している。この刀で、確かに妖怪を斬ったこともある。



「わたしにできるかな……」


「藤花の力があればできる。ただ……相手は人の形をしているから、抵抗があると思う」



 人の形をした者を斬る。想像しただけで吐き気がすることだと、藤花は感じる。


 迷う藤花に、雪姫は言う。



「藤花。お前ならできるだろう?」



 その一言で、藤花は決意する。雪姫に、あまり情けない姿を見せるわけにはいかない。



「……わかった。やる」


「いい返事だ。まぁ、白面家ならいずれ人と戦うこともあるだろうし、人を殺めねばならんこともある。今のうちから慣れておけ」


「……うん」



 白面家は、雪姫の管理人を務めている。雪姫を奪いに来る者がいれば、それと戦い、返り討ちにしなければならない。


 ときに、その者たちを殺す必要もある。


 だから、藤花も、人殺しには慣れておくべきだ。



「藤花。焦る必要はない。私がしばらく奴の動きをとめる。じっくり狙いを定め、拘束の術を掛けろ」


「うん。わかった。……けど、わたしの術で、拘束できるかな……?」


「白面の術は、私すら制御する強力なものだ。三級程度の妖怪なら、藤花にも拘束できる。もちろん、術を相手に当てられれば、だがね。お前一人では、相手に逃げられるか、術の発動前に殺されるだろうよ」


「……その辺は、雪姫との共闘ってことだね。やってみる」



 藤花は覚悟を決め、鬼を見据える。


 右手に刀印を作り、それを鬼へ向けた。鬼は異変を察知して逃げようとするが、雪姫がそれを阻む。地面から生えた土の手が鬼の足を掴んだ。鬼はその場から離れられない。



「ふぅ……。万物に宿りたる尊き神々よ。矮小なる人の子の祈りを聞き届け給え。清浄なる不壊ふえの戒め、ばく



 藤花が術を使うと、もがいていた鬼が三本の光の輪によって拘束される。手足も体も動かせなくなり、さらに呪術も使えなくなって、地面に倒れる。



「ぐぎっ」


「……良かった。効いてる。でも、破られそう……」



 藤花の術は、三級の妖怪をいつまでも拘束できるわけではない。早くとどめを刺さなければ。


 藤花は鞘から刀を抜く。


 赤い刀身を持ち、妖しい光を放つこの打刀うちがたなは、妖刀緋雨ひさめ。緋色の雨……つまりは血の雨を降らせるという意味の、禍々しい刀だ。一般の者は持つだけで呪われてしまう一品だが、封印の術を扱う白面の一族は、これを自由に扱うことができる。


 藤花は倒れている鬼の横に立ち、刀を中段に構える。鬼に掛けている拘束の術は、藤花が何もせずとも、首を切り落とすまでくらいは継続する。



「……ねぇ、雪姫。この鬼と人間を分離する方法は、もうないんだよね?」


「ないな。もはや完全に同化している」


「そっか。なら、殺すしかないね」



 藤花は集中して、刀に呪力を行き渡らせる。


 この過程だけでも、数十を数えるほどの時間を要する。


 刀に呪力を行き渡らせたら、藤花はゆっくりと刀を振り上げる。


 今から、この鬼を斬る。鬼だけれど、人の形をした相手を、斬る。


 藤花はいつになく緊張し、寒さ以外の理由で体を震わせてしまった。



(……これはもう、人じゃない。殺すことを、ためらう必要はない。そもそも、いずれ人を殺す必要があるかもしれないんだから、これくらいのことをためらってはいけない)



 藤花が自分に言い聞かせていると。



「やめて……助けて……もう悪さなんてしないから……」



 鬼が人間の言葉をしゃべった。ぽろぽろと涙を流してもいる。


 それ自体は珍しいことではないけれど、藤花は動揺してしまった。



「ほ、本当に、もう、悪さしないの……?」


「しない。しないから、許して……」



 藤花は、刀を振り下ろすか迷う。


 藤花が固まっていると、母が冷徹に言う。



「藤花。鬼の言うことなど聞いてはダメ。鬼は平気で嘘をつく。それに、そいつは既に死罪を免れないほど多くの人を殺している。斬りなさい」


「……うん。そうだよね。たとえ、これからもう悪さをしないとしても、こいつは、殺さないといけないよね」


「待って……お願い……本当に、もう悪さなんてしないから……助けて……」


「……ごめんなさい。わたしは、あなたを殺すよ」



 藤花は刀を振り下ろし、鬼の首を切り落とした。


 無抵抗の相手の首を落とすこの姿は、処刑人にも似ている。


 藤花は一息ついて、その場にしゃがむ。軽く吐き気がしたけれど、口を抑えるだけでどうにかこらえた。


 母が隣に来て、藤花の背中を優しく撫でる。



「よくやったわね、藤花。人の形をした者を斬るのは、どうしても辛いこと。今は少し休みなさい」


「うん……」



 藤花は母の温もりに癒されつつ、雪姫を見る。



「……わたし、やったよ」


「ああ、そうだな。十四歳にしては上出来だろうよ」


「うん……ありがとう」



 雪姫に褒められて、藤花は胸が熱くなる。


 母の温もりより、雪姫の言葉の方が、藤花には嬉しかった。



「……ねぇ、お母さんが初めて人を殺したのは、いつだった?」


「十七歳、だったかしらね。相手は単なる盗賊だったけれど」


「……そっか。やっぱり、辛かった?」


「そうね。あの日の夜は眠れなかった」


「あの日の椿は、眠れなくて、一晩中私を抱えて震えていたな。昔の椿はもっと可愛げがあったものだ」



 雪姫が口を挟んで、母は雪姫を地面に置き、ぐいぐいと上から押さえつける。



「……私の話なんてしなくていい」


「いいじゃないか。娘に聞かせられんほど恥ずかしい思い出でもあるまい? 二級の雷獣に怯え、小便を垂れ流したときの話をしているわけでもあるまいし」


「それ以上しゃべったら、耳を削ぎ落としてやるわ」


「おお、怖い怖い」



 母は、いまだかつてないほどに怖い顔をしている。藤花としても、少々気まずかった。



「……全く。白面家のことをなんでも知っている奴がいるというのも、厄介な話だわ」


「はは……。そうかも……」



 藤花がもし何かをやらかせば、雪姫が後の代の者たちにそれを語り継いでしまうのだろう。実に迷惑な話だ。他人の話を聞くのは、面白いのだけれど。



(お母さんのこととか、おばあちゃんのこと、いつか色々聞きたいな……)



 どんな話を聞けるだろうか? きっと、ろくでもない話をたくさん聞けるのだろう。


 そんなことを考えていたら、心が段々と軽くなってくる。



「お母さん。わたしはもう大丈夫。後始末して、帰ろう」


「……そうね」



 白面家を継ぐことは、決して簡単なことではない。でも、雪姫が一緒なら、何も怖いことはない。むしろ、きっと楽しいことばかり。


 藤花はこのとき、そう思っていた。

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