第2話 焦がれ
初対面の日から、藤花は母の監視下で魔王と交流を重ねた。
魔王は千年も白面家に管理されているとあって、白面家のことをなんでも知っていた。書物として残っているものばかりではなく、裏話などもよく知っていて、その話を聞くのは、単純に面白かった。
「藤花も知っているだろうが、白面という名字は
白面家はそのときまであまり表舞台に立たず、むしろ隠れていたのだが、あの頃から世間に認知されるようになった。
九尾との戦いはなかなかに大変でな。
私の力を使えば、まぁ九尾を倒すこともそう難しくはなかった。だが、当初は、胡散臭い封印師の協力などいらん、と朝廷連中に突っぱねられた。そのせいで多くの兵が九尾に殺された。
人間側が劣勢になってから、ようやく白面家が戦うことになった。それからはもう、死者は一人も出なかった。それに、表向きは最後に白面家が九尾を封じたくらいになっているが、実際には白面家が単独で戦ったようなものだな。
その後、お前たちは白面を封じた者と呼ばれていたが、やがて白面の者などと呼ばれるようになり、最終的に、お前たちは自ら白面の姓を名乗るようになった。まるでお前たちが九尾の家系のようだが、当然ながら血縁はない。
ついでに言っておくと、九尾との戦い以前から、もちろん白面家は存在していた。白面を名乗る前、お前たちの中で私を管理する者は、
封印師の歴史に残ることばかりではなく、母や祖母の小さい頃の話もたくさん聞けて、藤花はそれも楽しんだ。母は気まずそうにしていたけれど。
「椿は今でこそ大人しいふりをしているが、小さい頃はよく近所のガキどもを殴り飛ばす腕白だったそうだ。私が直接見る機会はなかったが、藤花の祖母からよく愚痴を聞かされたものさ」
「え、そうなの? 全然想像できない……」
「……魔王。その話はやめなさい。目玉をくり抜くわよ」
「おお、怖い怖い。藤花よ、椿のようになってはいけないぞ?」
「そんな怖いことしないよ。やるとしても、ちょっと頬を抓るだけ」
「抵抗できない相手に暴力を振るおうだなんて、白面家は実に野蛮だな」
そんな風に色々な話をして、藤花は魔王のことをもっと好きになっていった。
顔が美しいからというだけではなく、そのどこかひょうきんな性格も、藤花は好きだった。
ずっと話していたいと思ったし、一線を超えた関係にもなりたいと思ってしまった。
そして、三ヶ月が経って、季節が移り変わり、秋の日のこと。
藤花は、母の仕事に同行することになった。
仕事とはつまり、妖怪退治。東の町に強力な大鬼が出たということで、母に退治の依頼が入ったのだ。
平凡な妖怪退治については、藤花も経験済みだ。封印師としての修行の中で、小鬼くらいは退治したことがある。
しかし、人の手に負えない妖怪の退治に同行するのは初めてのこと。
月の綺麗な晩に、妖怪退治は決行された。
深い森に現れたその大鬼は、藤花の三倍の大きさ、身の丈十五尺以上もあった。その手には、普通の人間ではとても扱えないような、大き過ぎる太刀。もはや、あれを太刀と称していいかはわからないが、とにかく大きな太刀だ。
さらに、通常ではありえないほどの呪力を宿していて、藤花には、それが妖怪ではなく神仏の類にさえ感じられた。
正直なところ、藤花は恐れを抱いてしまった。
(こんな妖怪に、勝てるの……?)
既に、この鬼は多くの人間を殺している。武士も侍も、妖怪退治を生業とする者でさえ、この鬼は容易く斬り捨ててしまう。
藤花が怯える中で、母は雪姫を封印の箱から取り出す。
雪姫は、蓋の閉められた封印の箱に入っているとき、戦うことができない。できるのは、呪力の気配で周囲の状況を探ることと、会話すること。
蓋が開けられると、雪姫は本来の二割程度の力で戦える。
そして、箱から取り出されると、雪姫は本来の六割程度の力で戦える。
雪姫自身にも封印の術が施されていて、もしそれを解けば、現状での本来の力を使える。
なお、雪姫には、白面家の指示に従わなければならない縛りや、指示なく人を傷つけてはいけないという縛りも施されている。
さておき、母は、雪姫の首を両手で持ち、鬼に向かって突き出す。
「魔王。あれを、殺しなさい」
「やれやれ。普段は箱の中に閉じ込めておきながら、窮地に陥ったときだけ私を利用する。実に身勝手な話ではないか」
雪姫が呑気に話している間に、大鬼は太刀を振るい、藤花たちを斬り殺そうとする。
「
雪姫がぼそりと呟いた。
大鬼の太刀は、半透明の闇色の壁に阻まれる。大鬼は何度も何度も太刀を振るうが、その壁は決して壊れない。風が起こり、周囲の木々がなぎ倒され、地面がめくれようとも、決して、壊れない。
(詠唱もなしで、あんな強固な壁を作った……? すごい……っ)
藤花は驚くが、母は全く動じない。至極当然のこと、と言っているかのよう。
「魔王。早く殺しなさい」
「どんな殺し方がお望みかね? 首をすぱっとやってしまうか、いっそあの巨体の全てを破壊し尽くすか」
「……死体は残しておいて。素材として使えるから」
「いいだろう。それでは、首だけを落としてしまおうか」
雪姫は、ちょっと散歩にいこうか、くらいの雰囲気でそう言って。
「
次の瞬間、猛烈な風が吹いて、藤花は目を閉じる。そして、再び目を開けたときには、大鬼の首が地面に落ちていた。
その巨体も倒れ、地面が揺れた。
「そんな……あの大鬼を、こんなにあっさり……? 二級くらいの強さじゃなかった? 詠唱もなく、一体どんな呪術を……?」
驚く藤花に、雪姫は言う。
「相手の力量を過大評価するなよ、藤花。あれでもせいぜい三級程度だ。そして、あれは呪術ではなく、魔法というのだ。まぁ、呪術も魔法も、根本はほぼ同じで、呼び名が違うだけかもしれんがね。とにかく、あれは風の魔法だ」
「……風の魔法。魔法って、わたしにも使えるの?」
「訓練すれば使えるだろうさ。ただし、椿が許せば、だがね」
雪姫の首を箱に戻しつつ、母が言う。
「封印師は、魔法の習得を禁じられてるわ。そもそも、封印師は戦いのための呪術を学んではならない、とされている。藤花も、その理由は知っているわね?」
「……封印師が、力を持ちすぎないため」
「そう。封印師は、封印の力や身を守るための力だけを持つ。他に学ぶことを許されているのは、あの剣術とも呼べない剣術のみ。それを超えた力を持ってしまえば、世間から恐れられる存在となってしまう。特に、私たち白面家には、この魔王の首がある。私たち自身にはほとんど戦う力がなく、ただ封印するだけで、そして、さらなる力など求めようとしないからこそ、世間から辛うじて存在を許されているの」
「そう……」
「だから、藤花。魔王から、決して魔法など習ってはいけないよ」
「うん……。わかった……」
藤花は少し残念に思う。しかし、雪姫の力を目の当たりにすると、白面家が戦う力を身につけてはならない理由も理解できた。
肩を落とす藤花に、雪姫は言う。
「残念だったな、藤花。だが、掟や決まりなどというのは、時代に応じて変わっていくものだ。封印師が戦闘用の呪術を学んではいけないという決まりも、三百年ほど前にはなかった。藤花が生きている間に、それが変わることもあるだろうさ」
「うん……」
あまり期待はできないだろう。残念だが、それも仕方ない。
溜息をつく藤花に、母が言う。
「藤花。これで、魔王の首を使った妖怪退治は終わり。藤花は初めて見るだろうけれど、魔王の力はやはり凄まじい。首だけの状態でも、あんな妖怪をあっさりと倒してしまう。魔王が自由を取り戻し、さらに完全に力を取り戻せば、また人間の世界が脅かされてしまうかもしれない。決して、完全に封印を解いてはいけないよ」
「うん……。わかってる……」
「ゆめゆめ、忘れないように。じゃあ、大鬼の後始末をして、帰りましょ」
「うん」
事後処理として、藤花は白面家に伝わる剣術と刀を用いて、大鬼の解体をする。必要な部位を取り、それ以外は廃棄。
白面家の剣術は、剣術とも言えない代物だ。戦闘を前提としておらず、動かない相手をただ斬るための技術。全く実戦に向かないが、解体作業には使える。
作業をしながら、藤花は雪姫に思いを馳せる。
藤花は雪姫の力を見て、ほんの少し恐れを抱いた。強大過ぎる力は、やはり人の心に恐怖を植え付ける。
しかし、少し気持ちが落ち着くと、藤花の雪姫への想いが膨らんだ。
圧倒的な力は、恐怖と同時に、憧れを抱かせることもある。
藤花は雪姫に憧れ、その思いがさらなる焦がれを産んだ。
母から正式に管理人を引き継ぎ、自由に雪姫と触れ合える日が、さらに待ち遠しくなった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます