第2話 焦がれ

 初対面の日から、藤花は母の監視下で魔王と交流を重ねた。


 魔王は千年も白面家に管理されているとあって、白面家のことをなんでも知っていた。書物として残っているものばかりではなく、裏話などもよく知っていて、その話を聞くのは、単純に面白かった。



「藤花も知っているだろうが、白面という名字は白面金毛はくめんきんもう九尾の狐から来ている。三百年ほど前、安倍某あべのなにがしという陰陽師やら他の軍隊やらと共に、白面家が封じたあれだ。

 白面家はそのときまであまり表舞台に立たず、むしろ隠れていたのだが、あの頃から世間に認知されるようになった。

 九尾との戦いはなかなかに大変でな。

 私の力を使えば、まぁ九尾を倒すこともそう難しくはなかった。だが、当初は、胡散臭い封印師の協力などいらん、と朝廷連中に突っぱねられた。そのせいで多くの兵が九尾に殺された。

 人間側が劣勢になってから、ようやく白面家が戦うことになった。それからはもう、死者は一人も出なかった。それに、表向きは最後に白面家が九尾を封じたくらいになっているが、実際には白面家が単独で戦ったようなものだな。

 その後、お前たちは白面を封じた者と呼ばれていたが、やがて白面の者などと呼ばれるようになり、最終的に、お前たちは自ら白面の姓を名乗るようになった。まるでお前たちが九尾の家系のようだが、当然ながら血縁はない。

 ついでに言っておくと、九尾との戦い以前から、もちろん白面家は存在していた。白面を名乗る前、お前たちの中で私を管理する者は、木花姫このはなひめという名を世襲していた。今は椿が木花姫このはなひめを受け継いでいる。

 木花姫このはなひめという名の通り、私の管理を任される前には、白面の一族は安産やら子孫繁栄を司る神官の一人だった。それがどう転がったか、魔王を封じる一族に転換してしまったのだから、奇妙なこともあるものだよ」



 封印師の歴史に残ることばかりではなく、母や祖母の小さい頃の話もたくさん聞けて、藤花はそれも楽しんだ。母は気まずそうにしていたけれど。



「椿は今でこそ大人しいふりをしているが、小さい頃はよく近所のガキどもを殴り飛ばす腕白だったそうだ。私が直接見る機会はなかったが、藤花の祖母からよく愚痴を聞かされたものさ」


「え、そうなの? 全然想像できない……」


「……魔王。その話はやめなさい。目玉をくり抜くわよ」


「おお、怖い怖い。藤花よ、椿のようになってはいけないぞ?」


「そんな怖いことしないよ。やるとしても、ちょっと頬を抓るだけ」


「抵抗できない相手に暴力を振るおうだなんて、白面家は実に野蛮だな」



 そんな風に色々な話をして、藤花は魔王のことをもっと好きになっていった。


 顔が美しいからというだけではなく、そのどこかひょうきんな性格も、藤花は好きだった。


 ずっと話していたいと思ったし、一線を超えた関係にもなりたいと思ってしまった。


 そして、三ヶ月が経って、季節が移り変わり、秋の日のこと。


 藤花は、母の仕事に同行することになった。


 仕事とはつまり、妖怪退治。東の町に強力な大鬼が出たということで、母に退治の依頼が入ったのだ。


 平凡な妖怪退治については、藤花も経験済みだ。封印師としての修行の中で、小鬼くらいは退治したことがある。


 しかし、人の手に負えない妖怪の退治に同行するのは初めてのこと。


 月の綺麗な晩に、妖怪退治は決行された。


 深い森に現れたその大鬼は、藤花の三倍の大きさ、身の丈十五尺以上もあった。その手には、普通の人間ではとても扱えないような、大き過ぎる太刀。もはや、あれを太刀と称していいかはわからないが、とにかく大きな太刀だ。


 さらに、通常ではありえないほどの呪力を宿していて、藤花には、それが妖怪ではなく神仏の類にさえ感じられた。


 正直なところ、藤花は恐れを抱いてしまった。



(こんな妖怪に、勝てるの……?)



 既に、この鬼は多くの人間を殺している。武士も侍も、妖怪退治を生業とする者でさえ、この鬼は容易く斬り捨ててしまう。


 藤花が怯える中で、母は雪姫を封印の箱から取り出す。


 雪姫は、蓋の閉められた封印の箱に入っているとき、戦うことができない。できるのは、呪力の気配で周囲の状況を探ることと、会話すること。


 蓋が開けられると、雪姫は本来の二割程度の力で戦える。


 そして、箱から取り出されると、雪姫は本来の六割程度の力で戦える。


 雪姫自身にも封印の術が施されていて、もしそれを解けば、現状での本来の力を使える。


 なお、雪姫には、白面家の指示に従わなければならない縛りや、指示なく人を傷つけてはいけないという縛りも施されている。


 さておき、母は、雪姫の首を両手で持ち、鬼に向かって突き出す。



「魔王。あれを、殺しなさい」


「やれやれ。普段は箱の中に閉じ込めておきながら、窮地に陥ったときだけ私を利用する。実に身勝手な話ではないか」



 雪姫が呑気に話している間に、大鬼は太刀を振るい、藤花たちを斬り殺そうとする。



闇の盾ダーク・シールド



 雪姫がぼそりと呟いた。


 大鬼の太刀は、半透明の闇色の壁に阻まれる。大鬼は何度も何度も太刀を振るうが、その壁は決して壊れない。風が起こり、周囲の木々がなぎ倒され、地面がめくれようとも、決して、壊れない。



(詠唱もなしで、あんな強固な壁を作った……? すごい……っ)



 藤花は驚くが、母は全く動じない。至極当然のこと、と言っているかのよう。



「魔王。早く殺しなさい」


「どんな殺し方がお望みかね? 首をすぱっとやってしまうか、いっそあの巨体の全てを破壊し尽くすか」


「……死体は残しておいて。素材として使えるから」


「いいだろう。それでは、首だけを落としてしまおうか」



 雪姫は、ちょっと散歩にいこうか、くらいの雰囲気でそう言って。



風精霊の悪戯シルフ・ミスチーフ



 次の瞬間、猛烈な風が吹いて、藤花は目を閉じる。そして、再び目を開けたときには、大鬼の首が地面に落ちていた。


 その巨体も倒れ、地面が揺れた。



「そんな……あの大鬼を、こんなにあっさり……? 二級くらいの強さじゃなかった? 詠唱もなく、一体どんな呪術を……?」



 驚く藤花に、雪姫は言う。



「相手の力量を過大評価するなよ、藤花。あれでもせいぜい三級程度だ。そして、あれは呪術ではなく、魔法というのだ。まぁ、呪術も魔法も、根本はほぼ同じで、呼び名が違うだけかもしれんがね。とにかく、あれは風の魔法だ」


「……風の魔法。魔法って、わたしにも使えるの?」


「訓練すれば使えるだろうさ。ただし、椿が許せば、だがね」



 雪姫の首を箱に戻しつつ、母が言う。



「封印師は、魔法の習得を禁じられてるわ。そもそも、封印師は戦いのための呪術を学んではならない、とされている。藤花も、その理由は知っているわね?」


「……封印師が、力を持ちすぎないため」


「そう。封印師は、封印の力や身を守るための力だけを持つ。他に学ぶことを許されているのは、あの剣術とも呼べない剣術のみ。それを超えた力を持ってしまえば、世間から恐れられる存在となってしまう。特に、私たち白面家には、この魔王の首がある。私たち自身にはほとんど戦う力がなく、ただ封印するだけで、そして、さらなる力など求めようとしないからこそ、世間から辛うじて存在を許されているの」


「そう……」


「だから、藤花。魔王から、決して魔法など習ってはいけないよ」


「うん……。わかった……」



 藤花は少し残念に思う。しかし、雪姫の力を目の当たりにすると、白面家が戦う力を身につけてはならない理由も理解できた。


 肩を落とす藤花に、雪姫は言う。



「残念だったな、藤花。だが、掟や決まりなどというのは、時代に応じて変わっていくものだ。封印師が戦闘用の呪術を学んではいけないという決まりも、三百年ほど前にはなかった。藤花が生きている間に、それが変わることもあるだろうさ」


「うん……」



 あまり期待はできないだろう。残念だが、それも仕方ない。


 溜息をつく藤花に、母が言う。



「藤花。これで、魔王の首を使った妖怪退治は終わり。藤花は初めて見るだろうけれど、魔王の力はやはり凄まじい。首だけの状態でも、あんな妖怪をあっさりと倒してしまう。魔王が自由を取り戻し、さらに完全に力を取り戻せば、また人間の世界が脅かされてしまうかもしれない。決して、完全に封印を解いてはいけないよ」


「うん……。わかってる……」


「ゆめゆめ、忘れないように。じゃあ、大鬼の後始末をして、帰りましょ」


「うん」



 事後処理として、藤花は白面家に伝わる剣術と刀を用いて、大鬼の解体をする。必要な部位を取り、それ以外は廃棄。


 白面家の剣術は、剣術とも言えない代物だ。戦闘を前提としておらず、動かない相手をただ斬るための技術。全く実戦に向かないが、解体作業には使える。


 作業をしながら、藤花は雪姫に思いを馳せる。


 藤花は雪姫の力を見て、ほんの少し恐れを抱いた。強大過ぎる力は、やはり人の心に恐怖を植え付ける。


 しかし、少し気持ちが落ち着くと、藤花の雪姫への想いが膨らんだ。


 圧倒的な力は、恐怖と同時に、憧れを抱かせることもある。


 藤花は雪姫に憧れ、その思いがさらなる焦がれを産んだ。


 母から正式に管理人を引き継ぎ、自由に雪姫と触れ合える日が、さらに待ち遠しくなった。

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