魔王の首を管理する封印師、見初めた魔王に体を与えるため、世界に散らばった『呪体』を集める。たとえ誰を敵に回したとしても。〈百合〉

春一

第1話 首

 蝉時雨が騒がしく、じとりとした暑さが疎ましい夏の日。


 白面藤花はくめんとうかは、母に呼び出されて向かった離れの一室で、美しき魔王と初めて顔を合わせた。


 藤花はその美しさに息を飲み、心臓を高鳴らせ、袴をぎゅっと握った。


 十四歳の誕生日。


 思いがけない、初恋の瞬間だった。

 


「……お母さん。この人が、魔王、なの……?」


「ええ、そうよ」


「……わたし、もっといかにも恐ろしい顔をした、鬼のような奴だと思ってた」


「顔だけ見れば、恐ろしい存在には見えないかもしれない。でも、これは確かに魔王。千年以上も昔、西の大陸で多くの人を虐殺して、世界の支配を目論んだ魔族の王よ」



 藤花の対面に座る母、椿が両手に抱えているのは、幾重にも封印の札が重ねられた木箱。


 その中に、魔王の首が納められている。


 新雪のように白い髪と肌、異国風の彫りの深い顔立ちに、紅玉の瞳。絶世の美女、あるいは傾国の美女と評すべき整い過ぎた顔立ちは、人形か芸術品めいて見える。


 藤花がその美しさに見惚れていると、魔王の桜色の唇が動いた。



「お前が椿つばきの娘か。椿に似て可愛らしい子だな。桜模様の小袖に紫袴もよく似合う。名を、藤の花、藤花とうかと聞いているが、間違いないかね?」



 首だけのくせに、当たり前のように魔王は生きていて、さらに言葉も発している。生きている理屈も、言葉を発する仕組みも、藤花にはわからない。でも、魔王と言われるくらいだから、きっとそれくらいのことはできてしまうのだろうと、藤花は納得しておく。


 それよりも、魔王の凛とした声に、藤花は聞き惚れた。数秒呆けて、それからハッと我に返る。



「あ、えっと……わたしは、お母さん、白面椿はくめんつばきの娘、藤花。あなたの、次の管理人だよ。正式に引き継ぐのは、わたしが成人する二年後になる予定だけど」


「時間が経つのは早いものだな。つい最近椿が娘を産んだかと思えば、もうその娘が私の管理人を引き継ぐ準備を始めるとはね。長く生きると時間の感覚がおかしくなって困るよ。それにしても、なぁ、椿よ。お前も年を取ったものだなぁ」


「……そうね。私ももう三十五歳になる。私は随分年を取ったけれど、あなたは何も変わらないまま。その美貌も、飄々とした性格も」



 母の声は妙に冷めている。普段はもっと朗らかなので、藤花は少なからず驚いてしまう。


 魔王は、母の態度を気にすることなく話を続ける。



「椿は年を取ったが、私に対する冷めた態度は変わらないままだな。夫よりも付き合いが長いのだし、もう少し打ち解けてくれてもいいのではないかね?」


「あなたは魔王で、私はあなたの管理人。たとえ付き合いが長かろうと、私とあなたが友人のように親しくなることはない」


「やれやれ。生真面目な奴はこれだからつまらん。歴代の管理人の中には、もっと気さくに私と交流した者もいたものだぞ?」


「そうかもしれない。でも、私があなたに気を許すことはない。あなたは大罪人で、何をしでかすかわからない危険な存在なのだから」


「全く、この千年で私がどんな悪さをしたと言うのかね? 殺めたのは罪人か妖怪の類だけで、一般人を殺めたことなど一度もない。罪人や妖怪殺しでさえも、自分の意志で殺したわけじゃない。全て白面の一族に命じられてやったことだ。私を危険と言うのなら、私に殺しを命じた白面の一族こそ危険というものだ」


「……そうね。あなたは、気味が悪いほどに白面家に従順だった。まるで、私たちがあなたに気を許す瞬間を、虎視眈々と狙っているかのように」


「はぁ……。そこまで疑われてしまっては、もはや私が何をしても疑われてしまう。反抗的な態度を取れば邪悪な魔王で、従順な態度を取っても反逆を企てる邪悪な魔王。これではどうにも救いがない。噂に聞く魔女裁判じゃあるまいし、こんな理不尽が許されるのかね?」



 母は軽く溜息をつき、魔王の問いには応えない。



「藤花。……藤花?」


「……あ、うん。何?」



 名を呼ばれて、藤花はまたハッと我に帰る。魔王の声に聞き惚れて、また少し呆けていた。



「藤花。私たち、白面家の役目は、わかっているわね?」


「……うん。魔王の首を、封印し続けること」


「そう。白面家は代々封印師の一族で、千年も前からずっと魔王を封じ続けている。それが、私たちにとって一番大事な務め」


「うん。……でも、ねぇ、お母さん。魔王って……本当に、悪い人、なの?」



 藤花には、魔王がただの気さくなお姉さんのようにしか見えない。世界を支配しようとした大罪人の面影など、感じられない。


 だからこそ問いかけた藤花に、母は鋭い視線を向ける。



「藤花。騙されてはダメ。千年の月日が流れようと、悪人は悪人のまま。改心などするわけもない。私たちが封印を解いてしまえば、魔王は再び世界を支配しようとする。無害に見えるからと言って、気を許してはいけない」



 母は、まるで自分自身に言い聞かせるように、きっぱりとそう言った。



「……うん。わかった」



 藤花は頷いて、それ以上の追及をやめた。



「藤花。魔王を封印し続けることも大事だけれど、それと同時に、私たちには別の役目もある。わかっているわね?」


「うん。まずは、魔王の首を色々なことに役立てること、だよね? 魔王の力を一部だけ解放して、人助けをしたり、人に危害を及ぼす妖怪を退治したり」


「そう。ただ力を封じるだけなら、強力な封印を施しておしまい。今のように少し弱めの封印を施しているのは、魔王に世の中のために働いてもらうため。それを管理するのも、私たちの役目」


「うん」


「最後、三つ目の役目も、わかるわね?」


「うん。魔王の首を手に入れようとする者たちから、魔王の首を守ること」


「そう。今までにも、魔王の首を狙う者は少なからずいた。異国にも、国内にも。魔王の封印を解き、世界を破壊しようと企てている者もいたし、兵器として利用し、天下統一をなそうとしている者もいた。特に、この戦乱の世なら、兵器利用しようとする者はまた出てくるかもしれない。そういった者たちから、私たちは魔王の首を守らなければならない。魔王の首が、悪事に利用されないために」


「うん。わかってる。ずっとそのお話は聞いてきたし、お母さんがそうしてるのも、見てきたから」


「そう。それならいいの。それと、これ改めて言っておくけれど、魔王の肉体は、今も世界各地で管理されている……はず。私たちの手元には首があるけれど、両腕、両足、上下二つの胴が、どこかにある」


「討伐のとき、魔王の体は七つに分けられて、世界各地で封印されるようになったんでしょ?」


「そう。その全てが揃ってしまったら、魔王はまた復活してしまう。それを防ぐ意味でも、この首を誰にも渡してはいけない」


「うん」


「千年続く責任の重い仕事だけれど、藤花、やれるわね?」


「……うん。わたし、やるよ」



 物心ついた頃から、藤花はこの役目を引き継がなければならないと言われていた。そんな重責を自分が本当に引き継げるのかということには疑問もあるけれど、今の気持ちとしては、やり遂げるつもりでいる。



「あまり気負わなくていいわ。私もあなたのおばあちゃんも、藤花を手助けしていく。藤花が一番の責任者になる、というだけで、全てを一人で背負う必要はない」


「うん。わかった」



 藤花が頷くと、母も頷く。その表情は、魔王と話すときと違い、とても柔らかいものだった。


 藤花は母から視線を魔王に移し、尋ねる。



「ねぇ、魔王さん。あなたの名前は、何ていうの?」


「白面の一族は、私を雪姫ゆきひめと呼んでいる。なんとも安直だし、私は姫などと呼ばれる歳でもないのだがね」


「雪姫……。あなたによく似合う名前ね。でも、本当の名前は他にあるってこと?」


「ああ、そうだ。知りたいかね?」


「……うん。知りたい」


「そうか。では、特別に藤花にだけ教えよう。私の口元に耳を近づけてくれ」


「あ、うん」


「ダメよ、藤花」


「え?」



 藤花を制して、母が魔王の首を遠ざける。



「藤花。魔王はそうやってあなたに近づくよう促すことがある。でも、おそらくそれはあなたに支配の魔法をかけるための罠。従ってはいけない」


「え? あ、そう、なの……?」


「とんだ濡れ衣だな、椿よ。私はただ、あまり知られたくない本当の名を、藤花にだけ話そうとしただけだというのに」


「私に知られては困る理由も、ろくにないでしょうに」


「いやいや、本当の名を使って相手を縛る呪術も、この世にはあるだろう? だから、藤花にだけ話そうとしたんだ」


「それを警戒するのであれば、藤花にだって本当の名を教えるわけがない」


「ふぅ。椿は本当に私を疑ってばかりだ。私は千年も白面の一族に尽くしてきたというのに」


「あなたの言うことは、信用しない。藤花も、魔王を信用してはいけないよ」


「……うん。わかった」



 母がどうしてそこまで魔王を警戒するのか、藤花にはよくわからなかった。


 わからないからこそ、魔王は警戒すべき対象なのかもしれない。


 ともあれ、藤花と魔王は、顔合わせを済ませた。


 藤花は魔王に一目惚れして、管理人を引き継ぐことに、密かに高揚した。


 好きになった相手に近づけることと、そして……その人を自分の支配下に置けることに、高揚した。

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