第63話 強き乙女(勇)

 トトラは裕福な商家の育ちだった。

 ある日のこと両親が姿をくらまし、その生活は突然に終わった。

 混乱するトトラと従業員たちの前にノノヤリ商会が乗り込んで来ると、驚くようなことを説明したのだ――トトラの父親が方々に借金をしていたのだと。

 動揺する皆の前に現れたのは、ノノヤリ商会の若旦那ウシオであった。

「トトラちゃん、君の身の振り方は二つある。借金の返済一環として娼館に行くか、もしくは……ぼ、僕のものになるかだ」

「はぁ?」

 こいつは何を言ってるのかと、トトラは困惑した。

 思わず幼馴染みの、ぽっちゃりとして気の弱そうな顔を凝視する。油で撫で付けた変な髪型に、あまり似合っていない正装だ。

 ひっ捕まえて頭を洗って着替えさせてマシな格好をさせたくなってくる。

 だが、そんな気持ちを堪えておく。

 何にせよ。小さいころから人の後ろをついてきた情けないウシオが何を言い出すのやらと、トトラは心の底から呆れてしまった。

「本当にもう、何を言いだすか思ったら何なのよ」

「いや、だからね。うちで借金を一本化したわけだから。君は僕に借金をしている状態で、払えないのならトトラちゃんは、ぼ、僕のものになるしかなくって……だからつまり……」

「お黙んなさい」

 ピシリと言うとウシオは首を竦め黙り込んだ。

 護衛の剣士に何か小声で励まされ気を取り直しかけたが、しかしトトラが一瞥するとまた小さくなってしまう。幼い頃から叩き込んだ上下関係は絶対なのである。


「まったく、馬鹿言わないでよね」

「ご、ごめん」

「ああ、でもそうね良かったわ。ノノヤリ商会で借金を全部管理してくれて、それに今回の責任者がウシオで安心だわ」

「そ、そうなんだぞ。だから――」

 何か言わせる前に、こちらの要求を突きつけるのは交渉の基本だ。

「責任者なら返済を少し待つよう手配しなさい」

「うわーっ、トトラちゃんがまた変な事を言い出したよ」

 ウシオどころか護衛たちまで呆れきっている。

「もちろん全額だなんて言わないわよ。この屋敷と屋敷にあるもを全部売り払うのは構わないわ、それで残った分の借金について待ちなさいって事なのよ」

「いや、そういうわけには……」

「出来ないっていうの? なによ、私に逆らう気? 子供の頃はトトラちゃん大好きとか言ったり、抱きついてきたりしてきたくせに」

「その後で張り倒された覚えがあるけど」

「あら、そうだったかしら?」

 都合の悪い事は忘れるに限る。だが、実際のところはあんまり覚えていない。なぜなら、ウシオを張り倒す事はよくあったのだから。

「で、でも。僕は子供の頃だけじゃなくって。ずっとトトラちゃんが……」

「私が喋っている間に口を出さないの」

「はい」

「とにかく私のために配慮なさい。お泊まり会で寂しくなって泣いた貴方と一緒に寝てあげたり、夜にトイレに行けなくて酷い事になった貴方を助けてあげたり、苛められて泣いた貴方を助けてあげたのは誰?」

「……トトラちゃんです」

 そうした幼いころからの上下関係がある。


 ウシオが項垂れると、護衛の剣士が変な顔をしている。

 どうやらウシオの情けなさに呆れているらしい。だが、こちらにまで同じ目を向ける理由は分からないが。

「分かったら、言った通りにしなさい。あとそれから……うちで働いてた皆に迷惑かけたくないから。今のまま働けるようにしてあげなさい」

「滅茶苦茶だぁ」

「なによ? 迷子になった貴方を探してくれたハクメさんとか、お漏らしした貴方をお風呂に入れてくれたアザフさんとか。まさか見捨てるって言うの?」

「何とかします……」

 ウシオが項垂れて言うと、護衛の剣士がますます憐れむような顔をした。しかし、あまりにもウシオが憐れまれると、トトラの方もちょっとムッとする。

 注意してやりたいが、いまはどうしようもない。

「待って、だったらトトラちゃんはどうするのさ」

「借金を返すために、ちゃんと稼ぐわよ。この身体で」

「か、身体で!? ま、まさか……自分から娼館に行く気!? そんなの駄目だよ嫌だよぉ!」

「はぁ?」

 あんまりにも馬鹿な事を言うのでトトラ冷たい目で一瞥した。

「貴方ね、どういう想像しているのよ。そんな子に育てたつもりはないわよ」

「いや育てられてはないような……」

「なんか生意気ね。まあいいわ、とーにーかーく! 私は稼ぐの、勇者になって!」

 そう宣言するとウシオは口をぽかんと開けて固まってしまった。


 思い立ったら即行動、トトラは神殿に行った。

 勇者の加護は当然授かった。ほんの少し、本当に少しだけ加護が貰えなかったらどうしようと不安に思っていたので、勇者になれて嬉しかった。

「さて、これからどうしましょうね」

 お金はある。

 トトラのお小遣いは借金で取り立てられなかった。勇者の加護、当座の生活費、装備を買うぐらいの余裕はある。

「ウシオも気が利くわね」

 言いながら少し寂しく不安になった。

 今の自分には何もない。両親には捨てられ、棲む場所もなくなり、自分を守ってくれていた家族同然の使用人たちもいない。

 この身一つで全て決めて、全てやらねばいけない。

「こんな時にウシオでもいたらね」

 全く頼りにはならないし情けないし、むしろ世話のかかる幼馴染み。話し相手や玩具としてなら最適だが、どうしてウシオの事が思い浮かぶのか分からない。

「でも、まずは装備よね。武器とか防具とかないと駄目だもの。そうなると、あそこに行かなければ――勇者用品店に!」

 手を突き上げ張り切って向かう。

 トトラは以前から、その店を知っていた。

 ただし知った経緯は少々アレだ。

 かつて父親は最初この店を買い取ろうとして失敗。さらに潰そうとして失敗し、屋敷の中で怒り狂って罵っていた。それで興味を持ち調べた結果、とても良い店だと知ったのである。

 今の自分が行くべき場所なのは間違いない。


「いらっしゃい」

 応対してくれた店員は堂々として立派、身のこなしも優雅だ。ウシオに見習わせたいと、意味もなく頭に浮かぶ。

「良いお店ですね」

「そう言って貰えると嬉しい。君は勇者かな?」

「ええ、そうよ」

 勇者の証を見せると、大テーブルの席に座るよう促された。

 そうして、改めて店内を見回す。双剣や両手盾もあれば、仲間と使うに良さそうな野営道具や調理器具もある。ティーセットや化粧品、上流階級御用達のような繊細な工芸品すらあった。

 どの出来も品質も飛び抜けている。

 父親がこの店を欲しがり、そして失敗した理由もよく分かった。

「では勇者よ、何を求める?」

 イスルギと名乗った店主は穏やかに微笑んだ。

 それを見てトトラは、お手並み拝見と決めた。この人がどうするのか、とても知りたくなった。

「そうね、今の私に相応しいものをいただけるかしら」

「なるほど。君に相応しいものか」

「ええ、そうよ。予算はこれで、今の私の全てよ」

 革の小袋をテーブルに置く。

 中身は金貨が十枚と他は銀貨が数枚、そこそこの金額となる。しかしイスルギは一瞥すらせず軽く頷いた。

「ふむ、いいだろう。用意はするが少し時間がかかる。しばし待つと良いだろう」

 店の奥に姿を消す店主の代わりに、綺麗な白髪をして女性がお茶とお菓子を運んできてくれた。

 軽く口にして目を見張る。

 様々な高級品を口にしてきたトトラには、それが一級品だと分かった。驚き尋ねて彼女の手作りと分かって、また驚く。

 絶対ここの常連になると決めた。


 思いのほか待たされたが、イスルギが幾つかの包みを持って来てテーブルの上に置いた。剣と布のようだ。

「まずはレイピア、本来は重量のある武器だがな。これは真銀製なので軽くて君にも扱いやすいだろう」

「……え? 私の出した額では到底足りないわよ」

「問題ない。次に、このベール」

 ふわりと広げられた布は柔らかな白色で、思わず見入ってしまう。

「これは魔鋼虫の糸で編まれている」

「待って、待って! こんなの買えるわけないわ! 魔鋼虫の糸だけでも信じられないのに、それを編んだものなんて!」

「大丈夫だ、うちだけの購入先があって専属の職人が編んでいる。だから値段はたいしてかからない」

「嘘……」

 どうして父親が負けたのか心の底から理解した。

 この相手は商売をしていない、もっと別の理由で店をやっている。利益や採算など考えていない。そうでなければ、こんな売り方はしない。商売人が挑んで勝てるはずのない相手だ。

「それから冒険に欠かせぬ一番のものが来たようだ」

 店主が指し示す先で店の入口ドアが開いた。


 カランコロン――小気味よいドアベルの音が響く。


 そこに姿を現したのはウシオだった。

「冒険に欠かせないものって、もしかしてウシオが持って来てくれたの?」

 振り向いて問いかけるが、イスルギはいつの間にか少し離れ微笑み、何も言わないまま手で合図してくる。ウシオと話せという事らしい。

 トトラは戸惑いながら、近づいて来るウシオを見つめた。

「どうして、ウシオがここ来るのよ」

「だって、この店について知りたいって言ったのはトトラちゃんじゃないの」

「そういえばそうだけど……」

 父親が失敗した後に、ウシオに命じて調べさせたのだった。そして二人して良い店だと感心した覚えもある。

 だから勇者になるトトラが、ここに来ることは容易に想像がつくだろう。

 しかしウシオが何故来たかは分からないが。

「で、何の用なのよ?」

「トトラちゃん、僕も勇者の加護を貰ってきた! 僕、一緒に勇者をやるよ!」

「はぁ?」

 こいつは何を言ってるのかと、今日何度目かの困惑だ

「あのねぇ、ウシオが何言ってるのよ。それに勝手な事をしたら、おじ様だって困るでしょ。とっとと帰りなさい」

「父さんは大丈夫だよ。むしろ、そうしなさいって言ってたし」

「呆れた、おじ様に許可を貰って勇者をやるの?」

「違うよ!」

 珍しくウシオが力強く言い放った。

 ちょっと驚いて、内緒だが少し怯む。

「父さんに許可は貰ったけど、勇者になったのは間違いなく僕の意思だよ!」

 どうしてこんなにも勇者になりたがるのか。

 少し考えてトトラは気付いた。

「もしかしてウシオ、そうまでして追いかけてきたのって」

「そうだよ、僕はずっと。ずっと……」

「勇者に憧れていたのね」

「え?」

「そうならそうと早く言いなさいよ」

 嬉しかった。

 とても安心できた。やっぱり仲間は大事で、今の自分に必要なもので、それがウシオであるなら一番よい。

 何故か肩を落としているウシオの肩を小突いておく。

「仕方が無いわね、先輩勇者である私が面倒見てあげるわよ」

「先輩って、まだ一日も経ってないじゃないか」

「うるさいわね。先輩は先輩なのよ。さあ、これからも私に付いてきなさい!」

 トトラとウシオの冒険は、まだ始まったばかりである。

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