第62話 生きる道(魔)
「イスルギよ、畑で取れた野菜を持って来た。食べてくれ」
白く瑞々しい根菜の入った籠を大テーブルに置いたリューカは、もう良い年だ。髪の毛は薄く顔の皺は多く、背は曲がり動きも緩慢となっている。
だがイスルギは気にもせず頷いた。
「ふむ、なかなか美味そうだ。いつもすまんな」
「何を言うかね、儂の親代わりの方が」
「見た目はもうすっかり逆になってしまったがな。体調はどうだ、どこか調子が悪いようなら回復薬を飲んでいけ」
「大丈夫だよ。それより最近は孫の一人が勇者になると言いだしてな――」
椅子に座って喋り出すリューカの話は長く、時折そこに昔の話がまじって分かりづらくもある。
だがイスルギは頷いて静かに聞いてやっていた。
同時に、かつて赤ん坊だったリューカを預かった時の事を思い出していた。それこそが勇者用品店をはじめる切っ掛けとなった出来事であった。
イスルギは歴代最強の魔王だ。
強すぎるが故に、戦いを挑むだけでも名誉とされるほどだ。しかし、わざわざ死ぬと分かって挑む者は極少数なのだが。
そして為政者としても優秀として評判が高い。
実際には優秀なのは家臣団であり、イスルギの役目は最終決定をする程度。
おかげで暇だ。
何かするにしても、立場が邪魔にして動くこともできない。だから同じような日々をおくり、玉座を温めるだけが役割のような状態だった。
そんな無聊を慰めてくれるのが、側近のヤサカだ。
ヤサカがパタパタ走って珍しいものを持って来たり、何か失敗して騒ぎを起こす時ぐらいしか変わった事の起きない日々である。
今日はヤサカが書物を何冊か持って来た。人間たちの間で人気のものだそうだ。
「ふむ……」
壁も床も天井も石造りとなった堅牢な広い部屋。壁には色鮮やかな織物が吊り下げられ、床には入り口から一直線に赤絨毯が敷かれている。
魔法の灯火による照明が設置されているが、全体としては薄暗い。
「如何ですか?」
問われたイスルギは、ページをめくる手を止め顔をあげた。
「よく分からぬ事が幾つかある。なぜ才能の欠片もなかった人間が勇者になった途端に秘められた才能が開放されるのだ?」
何冊か目を通したが、だいたいは何の努力もせず力を得て周囲から称賛され、言いなりの奴隷を連れ、苛ついた相手に仕返し鉄槌。あげくに自分が最強で自分だけが活躍するといった話ばかり。
「それに、こちらの種類の書もな。人の国はどうなっているのだ?」
しきりに公爵家令嬢ばかり登場、その身分にも関わらずいきなり婚約破棄され、従者の如きに嫌がらせを受ける。しかし勇者となって一発逆転、皆がひれ伏して、ぎゃふんと言う様に悦に浸って成り上がりる。
どれもこれも同じような展開で、少し目を通しただけで飽き飽きした。
「きっと勇者には、凄い力があるのですよ。間違いありません」
「本当か……?」
「ええそうです。本気になって必死になると、想像以上の力を出すのです」
「だが、俺はそのような勇者は見た事がないな。まあいい、少し外出してくる」
イスルギは玉座から立ちあがり、そのまま転移の魔法を発動させた。
残されたヤサカはしょんぼりとした。
イスルギに喜んで貰いたかった書物が不評だったからでもあるし、イスルギの物憂げな様子が変わらなかったからだ。
「そう気を落とされますな」
エルダーリッチの爺やは慰めるように言った。もちろん壁際に控えていた護衛たちも、同意して頷いている。
「でも、あんまり喜んで貰えませんでした」
「なになに、気になさらず。こうして目を通し知った事が、いつの日か知識として役立つものですぞ。人間共のテンプレ勇者譚と令嬢譚であろうとも」
「爺や様、以外に詳しい?」
「多少嗜んでおる程度ですがな」
ヤサカを慰めるための言葉かどうかは分からないが、爺やは軽やかに笑った。しかしエルダーリッチなので顔色は悪く、邪悪な笑みにしか見えなかったのだが。
「それはさておきましてな。ヤサカ様が来られて、イスルギ様は随分と変わられましたぞ。しっかり喜んでおられるのでしょう」
「でも私には、そうは思えませんけど」
「以前のイスルギ様は鋭い刃の如く、寄れば斬られそうな凄味がありました。ですが今は柔らかくなられた。それでよいではありませぬか」
爺やの言葉に、しかしヤサカはあまり頷くことが出来なかった。
イスルギは領の外れに姿を現した。
人の国にも近い辺りになるが、なぜここに現れたかと言えば特に理由はない。強いて言うならば、ヤサカの書物を読んだ事で念頭に人間があった事だろうか。ただその程度の理由でしかない。
険しい山の上に立てば、遠くまでが見通せる。
濃緑色をした絨毯のような山の木々が麓に向け厚く広がり、徐々に柔らかな色となって、ふいに若草色した草原に変わる。その先にある煌めく筋は日の光を返す河の流れ。さらに遠く、微かに見える茶色じみたものが人の街。
「くだらぬな」
こうして景色を眺めていると、破壊衝動が込み上げてくる。
物憂がつきまとう気持ちを払うため、思いきり暴れて憂さ晴らしをしたい気分だ。過去の魔王たちが兵を率いて世界に挑んだのも、同じような気持ちかもしれないと思えた。
暇ほど強い毒はなく、つい下らない事を考え実行しようとしてしまうものだ。
「俺も、いつかは耐えられなくなるか?」
イスルギは自嘲するように笑った。
ヤサカが来て日々目新しい事が起きるようになったが、同時にその目新しさが新しい日常となって飽いてしまう事が恐かった。
魔王城という限られた空間の限られた関係で暮らしていれば、いずれそうなる。
「いっそ魔王である事をやめ、この広い世界を旅するのも悪くない」
ただしイスルギが離れた後の領は動乱渦巻き、さらには他領からの侵略もあって多くの命が失われるだろう。
それを思うと二の足を踏む。
イスルギに全てを放り出せる無責任さはなかった。
「ん?」
その時であった、広々とした平原の中に動く点のようものに気付いたのは。
単に生き物が動いているだけの、気にする必要もない事だ。しかし目に留まったのは事実であり、何より暇だった。
イスルギは魔力を集中させ、その場所へと転移した。
男が何かを片手で抱えながら、もう片手で剣を振るい戦っていた。
相対するのは獰猛さと貪欲さで有名な、ゲマゲーマというモンスターだ。人間であれば手練れの何人もが戦って、何とか勝てるかどうかだろう。
姿を消して見ていたイスルギは嘆息した。
――来て損をした。
人はモンスターを狩り、モンスターは人を喰らう。
それは自然の摂理であって、イスルギにとっては当たり前の事でしかない。さして手を出すような事ではないのだ。
――くだらぬな。
イスルギは興味を失い、また元の場所に戻ろうと魔法を展開させた。
だが、その時にゲマゲーマが悲鳴をあげた。男の剣が深傷を負わせたのだ。
「ほぉ」
感心したイスルギは転移を中止し、戦いを見やった。
その男は懸命だった、まさしく命懸け。何度も剣を振るい、傷つく事を恐れずゲマゲーマに立ち向かう。どうやら背後に置いた包みを護ろうとしているようだ。
気付けばイスルギは戦いに見入っていた。
男は裂帛の気合と共にゲマゲーマの頭に剣を突き立て、同時にその爪に身体を刺し貫かれていた。
見事な相打ちだ。
イスルギは感心のあまり思わず姿を現し歩み寄る。だが、男はまだ生きていた。力尽きる寸前だが、イスルギの姿に気付いて安堵したように笑う。
「ああ、良かった……そこの方、申し訳ないが頼みたい。他に頼める人もいない、どうか聞き届けて欲しい」
死相を通り越し、もう完全に死に覆われている。
命乞いかと思いきや、男は震える手で包みを差し示す。それは柔らかな布に包まれた小さな赤ん坊だった。
「俺はパバス、その子はリューカ。この子を助け、やって、報酬、俺の持つ全て、俺の全て、差し上げ、る、だか、ら」
死に覆われた顔の中で、ただ目だけが強い。
そこに宿っているのは強き意志、譲れぬ想いが男を支えている。
イスルギは何か得体の知れない感情を抱いた。それが何かは分からない。これまで感じた事もない感情が込み上げ、思わず頷いていた。
「いいだろう、任せるがいい」
それを聞いたパバスは笑って死んだ。
イスルギは赤ん坊のリューカを抱き上げ、パバスの骸を見つめた。
「…………」
ただの人間が、到底勝てぬはずのモンスターを倒してみせた。
もしこれが勇者であればどうだろうか。ヤサカから借りた書物に記されていたように、魔王にも勝てるのだろうか。もしかすると、もしかすれば――。
そんな想いが強く込み上げていた。
「どうしたかね?」
リューカの声で、イスルギは回想から我に返った。
「ああ、すまない。ぼんやりとしていた」
「儂のような年寄りならともかく、イスルギがそんなではいかんな」
「何を言うか。こう見えて俺は何百年も生きている、お前よりも年寄りだぞ」
「はははっ、そうれもそうだったのう」
すっかり年をとったリューカの顔立ちは、あのパバスによく似ている。嬉しそうに笑う顔もそっくりだ。希望を与えてくれた男の面影をそこに見ながら、イスルギもまた優しく笑った。
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