第58話 運命(魔)

 王権を象徴する城。

 その尖塔に月がかかる時刻、王の執務室は窓から差し込む月光だけが唯一の灯りだった。どっしりとしたテーブルには紙束や書物が置かれ、ガラスのペンとインク壺が静かに翌日の政務を待っている。

 薄暗い室内の景色が歪み、次の瞬間に一人の男が姿を現した。

 勇者用品店の主にして魔王であるイスルギだ。

 ただし、そこはイスルギの治める国の城ではなかった。それどころか魔族の国ですらなく、人の国の王が住まう城になる。

「…………」

 イスルギは無言で辺りを見回すと、室内にある応接用の椅子に座る。軽く足を組み腕を組む様子は来客どころか、まるで部屋の主の如き姿だ。

 ややあって部屋のドアが開いた。

 入って来た大柄な男は、イスルギの姿を見ても平然としている。

 なぜならば――。

「すまんな、呼びつけてしまって」

 人の国の王のハーニヤスが、魔王イスルギを呼んだのである。勇者と勇者用品店の主という関係だけでなく、お互いが王という立場である事も知った上での友人付き合いだった。

「気にするな」

「よし、ならば気にせぬ。それより飲むか? 美味い奴がある」

「頂こう」

 いそいそとハーニヤスが本棚に手をやると、その一部が動いた。現れたのは隠し棚で中には瓶が何本か納められていた。

 イスルギは呆れた。

「おい、普通はそこに大事なものをしまうものだぞ」

「だからだ。なかなか自由に飲めん立場なんだよ、お前だってそうだろ?」

「そうでもないが」

「羨ましいな、魔族の王は」

 ハーニヤスはグラスを持ってきて席に着くと酒を注ぐ。しかし、たっぷり注ぐのは自分のグラスにだ。イスルギの方は常識の範疇の量だった。

「お前ときたら……」

「そう言うなよ、お前は好きに飲めるのだろ。ああ、そうだ。今度来るときは酒を幾つか持って来てくれるか。もちろんコッソリとな」

「まさか、それを頼みたくて呼んだのではなかろうな」

 半ば本気で疑いながらイスルギは酒を軽く口にする。

 軽い口辺りで雑味が少なく、ややアルコールの強い独特の味わいだ。冷やしてなくても美味いのは確かだった。

「まさかそうではないさ」


 ハーニヤスは美味そうにグラスを空け、さっそく次を注いでいる。グラスが小さいとは言え、良い飲みっぷりだ。

「しかし、来て貰ってなんだがな。こうもあっさり侵入されると困ったもんだ。転移防止の結界を強化させねば」

「結界はルシアンの手によるものだな、まあ人間が出来る範囲では最高峰だ。並の遣い手では到底突破はできんさ、安心しろ」

「来れるのはお前ぐらいか」

 ハーニヤスはまたグラスを空けた、それも一気にだ。

 どうやら、そうせねば話しづらい事があるのだろうとイスルギは察した。

「さて、本題に入るとしようか。問題が起きている――」

 ハーニヤスが語る事によれば、配下の貴族の一部に不穏な動きがあるのだと言う。もちろん単なる謀反や弑逆の動きなら、自力で対応する。だが、無辜の民を大量に捕らえている様子が確認出来たのだ。

「しかも、捕らえた者で魔法の実験をしている疑いが強い。近衛は動かした。こちらも隙をつくって、俺が襲われやすいようにもした。だが、なかなか尻尾が掴めぬ」

「つまり野放しというわけか」

「ある程度までは絞れたが、それ以上が難しい」

 その言葉には悔しさが滲んでいる。

 安易に動けば相手に付けいる隙を与えるだけになる。身分と立場があるからこそ、逆に出来ない事がある。

「俺が狙われる事は構わん。家族が狙われる事も、耐えがたいが仕方なくはある。しかし民は違う、何も関係ない」

「確かにその通りだ」

 イスルギは凄味のある顔で笑った。

「分かっている場所を教えろ、全部に行けば片付くだろう」


 建物が弾け飛び炎に包まれた。

 そこは住宅街の一角だが、近隣住人は誰一人として気づいていない。なぜなら建物の周囲には結界が張られ、そこで起きている事は外に伝わらないからだ。

「これで五箇所目か、なかなか当たらないものだな」

「ですが、その内には見つかりますよ」

「そうだな」

 ヤサカの言葉にイスルギは静かに笑った。

 力ある者同士がぶつかり命を削るのは構わない、力強き者に力弱き者が挑み命を失うのも構わない。片方が一方的に蹂躙されたとしても、そこに戦いの意志があれば構わない。

 だがしかし、弱く戦う意志のない者を捕らえ蹂躙するなど気分が悪い。

 つまりイスルギは腹を立てていたのだ。

 魔王としても、統治者としても、一己の命ある者としても不快を感じていた。ハーニヤスに頼まれずとも、自力で犯人を探し潰しても構わないぐらいに。

 だから即断即決即行動。

 勇者用品店に戻るやいなや、魔王城から配下を動員してまで対応にあたっている。人の国に大量の高位魔族が侵入しているという、ちょっと客観的に見れば拙い状況だが仕方がない。

 もちろん呼び寄せたのは目立たず、加減が出来る者だけだ。

 前者はともかく後者が出来る者は少ないため、残念ながらそれほど数はいない。

「どうにも力加減の分からん連中ばかりだからな」

「皆さん、いつも全力ですからね」

「ヤサカが他の箇所を受け持ってくれると良かったのだが……」

「嫌です。私はイスルギ様の副官です、イスルギ様のお側にいます」

「これだからな」

 イスルギは、やれやれと頭を振った。

 しかしヤサカは気にした様子もなく、むしろ当然の事といった様子で笑っており――ふいに軽く顔をあげ小さく頷いた。

「イスルギ様、クシナから連絡です」

「見つけたか」

「はい、どうやらその様子です」

 基本的にクシナは無口で報告も同様なのだ。

「そうか、ならば行くとしよう」

「行きましょう」

 転移の魔法を発動させ、二人の姿は一瞬で掻き消えた。

 同時に建物を覆っていた結界が解除される。建物を包む炎を周囲の住民たちが知るところとなり、悲鳴と共に騒がしくなっていく。

 しかし、その炎は瞬く間に消え失せ他に延焼する事もなかった。


 クシナが蹂躙していたのは貴族の邸宅だったが、その地下には大勢の人間が囚われていたのだった。

「なるほど」

 地下に足を踏み入れたイスルギが言い、険しい顔をした。

 数々の死体が転がり、その姿は無惨なもので言葉に表せないほどだ。生きている者は肉体の一部がモンスター化し、まともに動く事も喋る事もできない。

 辛うじて聞こえる声は救いを求めるのではなく、死を懇願していた。

 隣に立つヤサカは感情を押し殺していた。

「これは酷いですね、如何なさいます?」

 魔法において古来から禁止されている項目が幾つかあり、その一つが生き物の本質を歪める行為だ。これをやった者は問答無用で処断して構わない。

「完全に消滅させる。俺は、こういうのが嫌いだ」

「畏まりました。それでは、リストにあった箇所も同様に致します」

 クシナが男を引きずってきた。見た目はか弱い少女でもアークデーモンの一族で、並の人間など及ぶところではない身体能力を持っている。

 無造作に放り出された男が床に叩き付けられた。

「貴様ら、この私にこんな事をして許されると思うな! 誰ぞ来い! 早くこいつらを捕らえよ」

「ほう、なかなか楽しい奴ではないか」

「いいか許さんぞ、モンスターに生きたまま喰わせてやるぞ。何故誰も来ん!」

「なるほど。それがお望みか」

 イスルギは微かに笑い、男へと大股で歩いて近づき手を伸ばす。

「触るな!」

「これだけの事をしたのだ。覚悟は出来ているのだろう?」

「何を言う。高貴なる私が愚民どもを使い、魔術の研究をしただけだ。何が悪い!」

「なるほど……大型モンスターで一気にと思ったが、少し趣向をかえるとしよう」

「おい? 何を言っている。早く誰か来い! こいつらを――」

 小煩いのでイスルギは男を転送させた。

 送り先はとある辺境。獲物を活かしたまま卵を産み付け、孵化した我が子の餌にする小型モンスターの生息地だ。活きの良い餌は大歓迎だろう。

「研究に携わった者は全て同じ運命とする」

「その他の者はどうします?」

「大型モンスターに喰わせてやれ。それよりも――」

 イスルギは辺りで死を求める者たちに視線を向けた。

「汝らを苦しめた者たちは、お前たち以上の苦しみを与えておいた」

 とたんに死を求める声に感謝の声がまざった。

「我が名はイスルギ、魔を統べる王なり。そして汝らの願いを叶える者である。汝らに待ち受けるであろう次の生に幸あらんことを祈ろう」

 言うと同時に、イスルギの魔力が解き放たれ地下牢の中を駆け抜けた。そこにあった禁呪の痕跡は憐れな被害者を含め、全て一瞬にして消滅していく。

「さて、とりあえず依頼は完了だ。まったくハーニヤスの奴め……これはグラスの一杯では安すぎたな」

 イスルギは静かに呟いた。

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